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『K-20怪人二十面相・伝』のこと

 『K-20怪人二十面相・伝』という日本映画が、12月20日公開されるそうです。これは江戸川乱歩の同シリーズを翻案した、劇作家・演出家の北村想(きたむら・そう)の『怪人二十面相・伝』を原作とする映画で、佐藤嗣麻子監督は「日本でも海外でも、こんな映画は見たことがないというものに仕上がった」と日本発のアクション大作として自信のコメントをしているようです。

 映画を観ていないので詳細は述べられませんが、今テレビで流されている予告編によれば、時代は1949年(昭和24年)。そして物語の中では第二次世界大戦は起こっておらず、戦前の体制が存続している社会という設定のようです。
 つまり現実では敗戦と共に廃止された「華族制度」がそのままより強固な体制として続いており、華族という特権階級を頂点とする厳しい階級社会で、例えば結婚なども同じ身分階級でないと許されないような、同特権階級以下の人間たちの自由が厳しく制限されている社会という設定です。

 考えてみれば現代も自由主義社会とは名目で、経済競争の勝者たちが、あたかも昔の貴族階級のように断然優位に立つ格差社会です。これだけ格差が固定化されてしまうと、この硬直したシステムは容易なことでは揺るがないと言われています。その上更に管理システムが、全国津々浦々に網の目のように張り巡らされている重苦しい、息苦しい社会でもあります。
 その意味で、設定こそ違えこの映画の背景は、今日的状況とどこか通底したものがありそうです。

 同映画は、日本の架空都市・帝都を舞台に、富裕層だけを狙って出没する“怪人二十面相(K-20)”を巡る戦いを描いたものだそうです。騙されてK-20に仕立て上げられたサーカス団員の遠藤定吉(金城武)が、富豪の令嬢・羽柴葉子(松たか子)や名探偵・明智小五郎(仲村トオル)らを巻き込んでK-20に挑むというストーリーのようです。

 ところで昭和30年代前半頃の子供たちにとって、「怪人二十面相」は、二十もの顔を持つミステリアスで神出鬼没で痛快な「悪のヒーロー」でした。その存在感は、好敵手の名探偵・明智小五郎をもしのぐものがありました。
 おそらく推察するに、1949年の架空の帝都を背景に、怪人二十面相はそのような重苦しい体制に風穴を開ける、ドロップアウトした「怪盗」「怪傑」「義賊」として描かれているのではないでしょうか?

 私は評判の『レッドクリフ』は観ないつもりです。と申しますのも、同映画は『三国志演義』の骨子を大きく変えてしまっている部分がありそうで、私の三国志のイメージが崩される懸念があるからです。例えば『演義』では呉の大都督・周諭は、諸葛孔明の神の如き明察を恐れて密かに殺意を抱き、陰に陽に孔明を亡き者にしようと画策します。しかし同映画では、孔明が周諭の人格に惚れ込み兄のように慕い、共に一致協力して曹操の魏軍という「悪」に立ち向かうという設定にしているようです。
 『はぁっ?』。いくらなんでも、それはいかがなものか、というのが私の率直な感想です。片方を何が何でも「悪」に仕立て上げ、それに敢然と一致協力して立ち向かう「善のヒーローたち」。その過程での「友情」「愛」といったくさいストーリー。いかにも「ハリウッド映画的発想」です。

 その点『K-20怪人二十面相・伝』は、江戸川乱歩の原作を十分尊重し、なおかつそれへの愛惜の念からの翻案と思われます。
 それにこの映画では、『レッドクリフ』で諸葛孔明を演じた金城武が、今度は遠藤定吉という怪人二十面相(K-20)の「二代目(?)」という主役の人物を熱演しているようです。私個人として、諸葛孔明役には「?」をつけました。しかしこちらの金城武は面白いのかなと期待しています。

 またこの映画は、昨晩たまたまテレビで観た『ALLWAYS 続・三丁目の夕日』のスタッフが主に製作した映画だそうです。時代背景の見事な再現力は折り紙つきですから、その意味でも私が生まれた1949年をどのように描いてくれているのかも、大いに興味をそそられます。何より、私の子供時代の怪人二十面相への郷愁も呼び起こされそうだし…。
 この映画は、是非観てみたいと思います。
 (大場光太郎・記) 

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コメント

 同映画の原作者・北村想氏の名前を間違えてしまいました。(これで、にわかに情報を仕入れたことが、明らかになってしまいました。)謹んでお詫びしつつ、訂正させていただきました。
 なお本文では長くなるため、記述を省きましたが。北村想の原作は、それ以前の推理作家・綾辻行人の、二十面相は『鉄塔の怪人』で死んでしまい、その後の物語に出てくる二十面相は別人による二代目なのではないか?との考えに基づいているようです。『鉄塔の怪人』で二十面相は、衆人環視の中高塔の天辺から身を投げており、とても生きて逃亡できる状況ではなかったはずだというのです。
 その上に立って、今回の映画が製作されたわけで、裏を返せば江戸川乱歩の『怪人二十面相シリーズ』が、後代の作家やクリエーターたちをいかに刺激し続けてきたかということの証明かと思われます。 

投稿: 大場光太郎 | 2008年11月23日 (日) 00時53分

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