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当代総理大臣事情

 現麻生政権は、発足後2ヶ月余で早くも迷走状態に陥ってしまったようです。当ブログでも先日述べた、定額給付金を巡る総理の右往左往ぶりが大きなキッカケになったようです。それ以来、麻生総理の無策ぶり、「阿呆総理」ぶりがそれこそ総理愛読のマンガではありませんが、マンガチックにおもしろおかしく報道されています。
 ある世論調査では、内閣支持率が危険水域とされる20%台に降下しました。と共に与党内から早くも、総選挙の顔として自民党総裁として選ばれたはずなのに、「麻生総理の下では来るべき総選挙は戦えない」という声が出始め、既に水面下では「麻生下ろし」の怪しい動きも始まっているようです。

 それにしても、小泉元総理以後の3代の総理大臣はそろいも揃って何という無様な姿なのでしょう。内閣総理大臣といえばいやしくも、一国の顔となるべきトップリーダーです。時に国全体の浮沈をその双肩に担うべき極めて重い職責のはずです。なのにこの体たらくは一体どうしたことなのでしょう。自民党は長く一党独裁を続けてきましたが、もう耐用年数が尽きて、今の麻生総理は(大変失礼な物言いながら)「出がらし総理」ということなのでしょうか。
 ともかく、この事態は国内的に大きな損失のみならず、国際的に見ても日本の国益を大きく損なうこと測り知れないのではないでしょうか。

 少なくとも私が子供の頃あるいは若い頃の総理大臣は、皆々どっしりした重厚さとそれなりの威圧感、存在感がありました。それが時代と共に国民全体が劣化してしまったからなのか、特に現麻生総理などは史上最軽量級総理であると言わざるをえません。

 話は変わりますが。以前8・15の記事『終戦記念日に思うこと』のある人へのコメント返信で述べたことを、ここで改めてご紹介したいと思います。
 昭和10年以前、時代がかつてない難局に向いつつあることが識者の目に明らかになった頃、大本(教)の聖師・出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)がある人に漏らしました。「西郷隆盛は一等星だった。しかしそれ以降政界に一等星は出ておらん。今こそ総理大臣に一等星をすえなきゃならん時なんじゃがのう」。「それじゃあ、日本のため、聖師あなたが総理になられればいかがか」。
 何しろ出口王仁三郎は、大本神諭の神が「三千世界の大化け物」と表現しているほどの巨星です。当時教勢は全国のみならず広く海外にも拡大していました。(それが官憲に強い警戒感を抱かせ、昭和10年12月8日の「第二次大本事件」に到ります)。それに実は皇室の血も流れており、明治維新時「宮さん、宮さん」と歌にも歌われた有栖川宮・熾仁(たるひと)親王のご落胤でもあります。資格は十分過ぎるほどあったのです。
 対して出口王仁三郎は、「ワシが総理になってやってもいいんじゃが、今の連中は皆小粒な二等星以下の者ばかりだから、満足に組閣一つ出来んのじゃよ」。

 戦前の政治家はさておき、このような巨視的尺度で戦後の歴代総理を振り返ってみるとどうでしょう。西郷以上は酷としても、西郷に肩を並べるような大器量の人物が果していたのでしょうか。
 何やら国難めいてきた現下の金融危機の情勢下、本来ならば一等星のごとき大人物が総理大臣の椅子にどっしりと腰をおろし、各大臣も一等星に準じる綺羅星が揃い、国内的には国民皆を安心させられるビジョン豊かな政策が確実に実行でき、対外的にはアメリカや中国などとも対等以上に渡り合え、諸外国から「尊敬される国・日本」へと国の価値を高めてくれる。そんな体制を整えることこそが、今緊急に必要に思われるのに。現実の政治的貧困には、深く嘆息させられます。
 (大場光太郎・記)

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