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当世若者気質(2)

 私は近年移動手段としてバスをよく利用します。その中で気づくことがあります。乗り合わせた若者の多くが、乗ってすぐに携帯電話(以下「ケイタイ」と略称)を取り出してその画面とにらめっこしていることです。

 ついこの前の、夕方本厚木からの帰りのバス車中でのことです。私はバスの最後列の一つながりの座席の真ん中に座りました。車中をよく見渡せます。私の両隣や前の座席は、いずれも若い人たちで占められています。彼らは座席に落ち着くなり、真っ先にケイタイを取り出し、例によって画面とにらめっこです。
 周りの人のことなどまるで眼中にないようです。むしろ周りとの関わりを絶つ手段としてのツールのようです。あっという間に互いがケイタイを通して、没交渉的世界に入り込んでしまったかのようです。幸い通話する者はおらず、周りに迷惑をかけるものではないので、その行為自体は特段とがめだてするようなものではありません。(時には周りのことなどお構いなしで、車中ずっと大声で通話している不届きな若者、特に若い女性もいます。)

 しかし一人や二人ではなく、周囲の若者(10人弱)のほぼ全員がケイタイとにらめっことなったらどうでしょう?当人たちにとっては、当たり前の行為なのかもしれませんが、それは一種異様な光景に映ります。
 私のようにケイタイといえば専ら通話専用で,、メールその他の機能を全く使っていない者には、彼らが食い入るように見つめている画面で何をしているのか仔細には分かりません。
 彼らにとっては、「近くの隣人より遠くのメル友」ということなのでしょうか?まるで彼らにとって、今身を置いている現実は彼らにとってのバーチャル世界であり、画面を通して現われている世界こそがリアリティある世界のようなのです。

 現実の行動の中には、生身の周りの人たちとの生きた会話、コミュニケーションが必要な場面が多々あります。それは時にはうっとうしく、わずらわしいことです。私のようにこの世で長くメシを食ってきた者でも、時にそれを避けたくなる時もあります。その点、都会生活は比較的好都合に出来ています。対人関係から逃げようとすれば、それなりの手段はいくらでもありますから。
 しかしそれでも、人間社会の一員である以上最低限度の対人関係は不可欠です。ニートや引きこもりのように、一生家という殻に閉じこもっていることなどできはしません。
 
 ここで、私の想いはいささか飛躍します。彼らのようなテレビ、ゲーム機、パソコン、ケイタイなどのバーチャル画面を何の抵抗もなく受け入れ、否それ無しでは生きていけない世代がどんどん広がった近未来の世界は、一体どうなるのでしょう?
 現実とバーチャルが主客転倒している世界、そしてその住人たち。そのSF的世界の住人たちは、およそ「生きている」という実感も喜びも感じられない。既に根無し草のように地から遊離してしまっている、肝心な部分では皆々死んでいる一種の「ゾンビ状態」の人々なのではないでしょうか?そう考えると、何やら冷ややかで、不気味で、空恐ろしい心地がしてきます。

 …そんな私の想いをよそに、なおも若者たちは夢中でケイタイ画面とにらめっこなのでした。

 (大場光太郎・記)

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