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秋深き

   秋深き隣は何をする人ぞ   松尾芭蕉

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《私の鑑賞ノート》  
 松尾芭蕉(まつお・ばしょう)。寛永21年(1644年)~元禄7年(1694年)。現在の三重県伊勢市出身の江戸時代前期の俳諧師。蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、「俳聖」と呼ばれた。しばしば旅に出て、『野ざらし紀行』『鹿島紀行』『笈の小文』『更科紀行』などの紀行文を残した。また元禄2年(1689年)、弟子の河合曽良を伴いみちのくの旅に出て(元禄4年江戸に戻る)、有名な『奥の細道』を著した。
 最期も旅の途中であり、大阪御堂筋の旅館で客死した。享年50歳。生前の「墓は義仲殿の隣に」という遺言により、大津膳所(ぜぜ)の義仲寺(ぎちゅうじ)の木曾義仲の墓の隣に葬られた。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)
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 俳句はわずか「十七音」の極めて短い詩形式です。それゆえ余分な説明や叙述は一切出来ません。この句において、芭蕉が独居しているのはどこだったのか、そこを包む周囲の状況は?などはすべて省かれています。(それらは、読み手の想像に委ねられているわけです。)
 そして描かれているのは「秋深き」時期であること、それに「隣は何をする人ぞ」という問いかけだけです。 しかしそれだけで、晩秋の持つもの淋しさ、侘しさが十分伝わってきます。それに今から300年以上前の、(耳に聴こえずとも電磁音が世界隈なく覆い尽くしている)現代人がもはや味わうことが出来ない「本当の沈黙」も。果ては、人間存在の持つ根源的な孤独さ、それを越えようとする見えない隣人との命の連帯感までもが、読み手に印象されてきます。

 俳句は例句のように、一面では「沈黙の文学」です。詠み手の主張、思想信条、理屈などは先ず述べられません。それらを句として表わせばもちろんのこと、言外ににおわせただけでも途端につまらない句になってしまいます。このように俳句は、「言挙げ(ことあげ)せざる文学」という、世界でも類を見ない詩形式なのです。
 この日本精神のエッセンスとも言える俳句が、「HAIKU」として「ZEN(禅)」などと共に、多くの国々で受け入れられ愛好者を増やしていることは、まことに慶ばしいことです。

 世界一短い文学ということは、言ってみれば「世界一不利な文学」でもあります。しかしだからこそ同時に、読み手の感性、想像力などを「世界一要求する文学」でもあると申せましょう。
 私たちは加齢と共に、感性、想像力などが硬直してうまく働かなくなりがちです。すると当然一句の持つ、広がりや奥行きが感受、イメージ出来ず、ただ字面だけを追って「面白くない、つまらない」となりがちです。
 
 今若い人の間でも俳句への関心は高いものがあります。彼らにとって俳句は、魅力的な自己表現の一形式なのでしょう。一例としてだいぶ前から、選抜された学校単位による「俳句甲子園」が、正岡子規生誕の地・愛媛県松山市で毎年開催されています。人生で一番豊かな感性とイマジネーションに溢れた彼らの俳句に接すると、本当にハッとさせられます。

 俳句が芸術であるのかないのか、学の無い私には分かりません(俳句が芸術でないのなら、他の文学形式―和歌、短歌、詩、フランス文学など―も、皆々芸術ではないのでしょう)。また家元俳句(家元政治、家元宗教、家元学問…)、そんなことも我々末端の俳句愛好家にとっては、どうでも良いことです。
 「言挙げ(主張や争論や理屈づけ)」せず、自身の感性や想像力を枯渇させないためにも、今後とも「俳句への言挙げ」には沈黙を守り、真摯に俳句に向き合っていきたいと存じます。

 (大場光太郎・記) 

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