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フォーマルハウト(北落師門)

  今宵 南の空の中ほどに
  ただひとり
  しかも気高く
  フォーマルハウトは輝けリ

  そが玲瓏(れいろう)なる面(おも)は
  秋の日の 侘(わび)しさを
  そのままに

  汝(な)れは
  遠く聖なるものながら
  孤高の冷たさを 感じさせない
  人間界のささやかな生業(なりわい)をも
  ただ見つめている
  微笑(ほほえ)む如くに

  げにも 貧しきこの我でさえ
  汝れへの心からの凝視に耐ええる

     (昭和42年11月作―大場光太郎)

 …… * …… * …… * …… * …… * ……
 
《注記》
 フォーマルハウト(Fomalhaut)は、みなみのうお座にある、視等級1.16等の恒星です。太陽を除けば、地球から見て17番目に明るい星です。地球からは25.1光年離れており、比較的近距離の恒星といえます。
 
 フォーマルハウトという名前は、アラビア語のフム・アル・フート(Fam al-Hut)に由来し、これは「魚の口」という意味です。その名のとおりフォーマルハウトは、みなみのうお座の口にあたる場所に位置しております。紀元前2500年頃から、ペルシャではフォーマルハウトは、アンタレス、アルデバラン、レグルスと並んで、ロイヤル・スター(王家の星)の一つとされてきました。
 中国では「北落師門(ほくらくしもん)」と呼ばれています。「北落」は「北の垣根」、「師門」は「軍隊の門」という意味です。これは、中国の星座では、夏と秋の星座が「北方」とされたことによります。長安の城の北門は、これにちなんで「北落門」と呼ばれました。

 秋の宵に北半球で夜空を眺めると、南の空高くに夏の名残りとして、夏の大三角形を構成するベガ、デネブ、アルタイルの3つの一等星があるものの、南の空低くには明るい星が少なく、フォーマルハウトだけがポツンと光っているように見えます。
 ここから日本ではフォーマルハウトは、「秋の一つ星」や「南の一つ星」と呼ばれました。(フリー百科事典『ウィキペディア』-「フォーマルハウト」の項より)

 私がこの星を知ったのは、この詩を作る直前の高校2年の秋頃です。その頃星と宇宙の神秘に興味を抱き、天文図鑑や宇宙論などの本を少し読みかじりました。そしてたまたまこの星の記述を見つけ、フォーマルハウトという呼び名の美しさ、また中国名の北落師門という名の響きにも魅了され、我が乏しい詩想が刺激され作った詩です。 

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コメント

 この詩は、本補足文にもありますが、私の高校2年秋に作った詩です。もう今から50年以上前ですね。一字一句変えず当時のままです。一読して、高校生が何でこんな文語体の詩を?とお思いかもしれません。が、当時は、島崎藤村、土井晩翠、国木田独歩、三木露風といった明治、大正の詩人たちの影響が強すぎて、作る詩の多くが本作品のような文語体の詩になったのです。変な話ですが、平易な口語詩を作ろうとしても作れなかったんですよ、これが。

 当時私は天文学大好き少年で、ビックバン理論とかドップラー効果、膨張宇宙論などをわくわくしながら探っていました。この詩もその表れのひとつだったのでしょう。翌年の高3の夏頃は、アルバイトと奨学資金を貯めて、それなりの高価な天体望遠鏡を買い、毎夜外に出て星々を見ていましたからね。月の鮮明なあばた面、土星には確かに輪があること、シリウスが実ははっきりした二連星であることなどをこの目でしっかり確認した時は嬉しかったですね。

 当地に来て夜空を仰ぐ機会はめったになくなりました。過酷な高卒労働者としてそんな余裕はまるでなかったということもあります。が、それより大きいのは仰ぎ見る星空がなくなったのです。これは「二木紘三のうた物語」の『家路-遠き山に日は落ちて』コメントにも記しましたが、昭和40年代前半の山形の郷里町では、それはそれは見えすぎるくらい見事な星々の大饗宴が仰ぎ見られたのです。そんな具合なのに「誰か星空を仰がざる」、夜ともなると自然に目は星空に向かうものです。きらびやかな夜の都会の虚飾光は、森厳かつミステリアスでロマンチックな星空をかき消してしまいます。

投稿: 時遊人 | 2018年10月23日 (火) 03時02分

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