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魂の映る菊見とは?

    たましひのしずかにうつる菊見かな   飯田蛇笏

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《私の鑑賞ノート》
 飯田蛇笏(いいだ・だこつ)。明治18年、山梨県五成村(現境川村)生まれ。早稲田大学英文科中退。大学時代、詩や小説に熱中し「俳壇散心」に参加する。虚子の俳壇復帰とともに「ホトトギス」に投句。大正6年、俳誌「キララ」を「雲母」と改称主宰、虚子に次ぐ俳壇の巨匠となり、西島麦南、中川宋源などの俊秀を育てた。『山響集』『雪峡』『家郷の霧』『椿花集』などの句集がある。評論、随筆も多い。昭和37年没。没後制定された「蛇笏賞」は、俳句における最高の賞である。(平井照敏編・講談社学芸文庫『現代の俳句』略歴より)

 先日2回に渡り私の郷里の「菊祭り」の思い出そして現在のようすなどをご紹介致しました。それをまとめている過程でふと浮かんだのが、この句です。
 同記事で述べましたとおり、我が小学校の校庭が菊花展の会場となり、そのつど出展者が丹精込めて育てた大輪の菊花を、子供ながらに驚きながら見て回ったこともお伝え致しました。
 しかし私のような凡人は、その時も今この年になっても、それがいくら美しく見事であってもやはり菊は外見どおりの菊です。そして菊を見て作る句はといえば、だいぶ前に作った、
    携帯を耳に当てつつ菊見かな   (拙句)
くらいなものです。

 それに比べて(いえ本当は次元が違いすぎて比べることなど出来ないのです)、蛇笏の例句の見事さは何ということでしょう。菊を見て「たましひのしずかにうつる」とは、恐るべき慧眼です。(本当に申し訳ありませんが)引用の拙句は、ただの状況説明的な「外観」の凡句。翻って蛇笏の句は、菊の外形の奥に在るものを深く透かし見た「真の写生句」ないしは「内観」の名句です。

 我が国古神道(こしんとう)の伝統的行法に、「鎮魂法」という秘伝があるそうです。いわゆる「御魂鎮め(みたましずめ)の法」です。特にこのような一子相伝的行法が秘密裏に伝えられていたということは、常人、凡人の心はそれこそ「コロコロ」と絶えず落ち着きなく動き回り、それを静めるのがいかに困難であるかということだと思われます。
 しかしこの句を詠んだ時の蛇笏は、鎮魂法に見られるような、まさに明鏡止水の心境だったのではないでしょうか?
 (大場光太郎・記) 

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