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呂布と貂蝉(3)

 以上が『三国志演義』に基づいた「美女連環の計」のいきさつです。(特に、かなりの部分を中国電視台が1994年に製作した『三国志』に準拠しています。)
 董卓殺害後、その地位を襲おうとした呂布の企みは失敗し、わずか数百騎のみで首都長安を逃れていきます。しかし丁原、董卓と二人の義父を殺害したことで「親殺し」の悪名をこうむり、群雄たちから疎んじられ、その後諸国を変遷することになります。

 気になるのはヒロインである貂蝉のその後の消息です。『演義』では董卓亡き後呂布の妾となるも子は出来なかったとしています。198年呂布は曹操によって捕らえられ、縛り首の刑で果てますが、それ以降の貂蝉の記述はありません。
 なお、我が国で広い読者を持つ吉川英治の『三国志』では、連環の計が成し遂げられるのを見届けて自害して果てたというように翻案しています。ヒロインの最期としては、こちらの方の訴求力が断然かと思われます。

 西施、王昭君、楊貴妃と共に古代中国四大美女の一人と称えられる貂蝉ですが、史実にその名はなく、架空の人物である可能性が高いと言われています。
 ただモデルとなった女性はいたようです。史書である陳寿の『三国志』には、「呂布が董卓の侍女と密通し、発覚を恐れて王允に相談した。そこで董卓打倒を狙っていた王允は、この際董卓を討つべしと進言し、呂布はそれを実行した」という記述があるそうです。
 そこで、この「董卓の侍女」こそがモデルで、後世の講談や物語において「貂蝉」という架空の名前をつけ、この物語で重要な役割を果たした王允の養女ということにした、というのが真相のようです。だから『演義』において、呂布の最期の時まで妾として連れ添った貂蝉こそは、この侍女だったのかもしれません。
 
 考えてみれば、男でも女でも余程傑出した「何か」がなければ、伝説化され後世さまざまな説話が生まれることはないと思われます。例えば、諸葛亮(孔明)の場合も、「七星壇で風を祈る」や「空城の計」などの『演義』中の名場面は、架空の物語だと言われています。しかしそのような超人的な物語を生み出したくなる「何か」を、諸葛孔明は備えていたということです。
 貂蝉の場合も、この他にさまざまなバリエーションの説話が残ってます。それからすれば、モデルとなったこの侍女は後世中国四大美人と言われたくらいですから、類い稀な美貌の女性だったのではないだろうか?と推測されます。

 ところで西施、王昭君、楊貴妃は、中国史上実在の人物です。その余りの美しさのゆえなのか、それぞれに数奇な運命をたどります。いずれも大変興味深い物語かと思われます。いつの日か、当ブログでも「中国美女列伝」というような形でご紹介できればと思います。
 
 また冒頭に紹介しました、「中国電視台」は中国のNHK的テレビ局です。同局が国家的プロジェクトとして総力を挙げて製作した『三国志』は、『三国志演義』を初めから終わりまで、ほぼそのまま映像化した壮大なスケールの物語です。私は3年ほど前、厚木市の某出先機関からビデオを借りて全巻観ました。その面白さに、ニ、三度繰り返し観たほどです。いささか長いものの、『レッドクリフ』とはまた違った三国志の醍醐味が味わえると思います。
 孔明も曹操も周諭も小喬もそして今回の主役の呂布も貂蝉も、実に良いキャスティングでした。三国志ファンの皆様には、お薦めです。  ― 完 ―
 
 (大場光太郎・記)

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