行く年の…
行く年の路地に仄(ほの)めく街灯よ (拙句)
一年を締めくくるにふさわしく、大晦日のきょう当地は朝から快晴となりました。冬日が我が家内にも長く伸びてきて、日だまりの台所のフロアーで、愛猫の一匹である10歳の(子の方の)猫が日向ぼっこよろしくうずくまっていました。雑種めいたあんばいの三毛の毛ヅヤがピカピカ光っています。
午後2時過ぎ本厚木駅に向うべくバスに乗りました。途中246号線沿いのお仏壇のはせがわの壁面に、例の「しあわせ少女ゆうかちゃん」の大きなポスターを見ました。きょうもゆうかちゃんは、つぶらな瞳の童女観音のような合掌姿で、行き交う車中の人々や街の行く年来る年の幸を祈ってくれているかのようです。
厚木市役所の通りの反対側の広い公園に、大晦日のきょうはさすがに人影はほとんどなく、園内のすっかり葉を落とし尽くしたケヤキの木立が、心なしか淋しげに黒々とした幹や細い枝々を晴天の空に伸ばしていました。
用を済ませて厚木一番街の遊歩道を歩いていると、ちょうど例の「夕焼け小焼けチャイム」がどこからともなく高らかに鳴り響いてきました。午後4時半ということです。
通りの途中ではお年寄りが小さなイスに腰掛けて、来年のカレンダーをずらり並べて売っています。また本厚木駅北口広場の一角では、毎年恒例のどこぞの鳶(とび)職によるお飾りや注連縄売りの、紅白のめでたい布で覆われた屋台が設けられています。店の前には通行人がけっこう集まって、並べられた各種の正月飾りを物色しているようです。
真冬の澄明な大気の中で、地上のもの皆が明らかにあるべき姿で見えています。ことにこの寒空の下、街の花壇のパンジーのけな気な色とりどりの花がくっきりです。
今年最後の赤い返照を戸毎の壁にそっと押し当て、西日は大山の南のなだらかな稜線に静かに沈もうとしています。大山と右手の丹沢の峰の連なりは、ただ一色濃紺のシルエットとなり、雲一つない西空の薄茜(うすあかね)色とのコントラストが截然です。
この年末、私もずいぶん忙しく慌しい思いをしました。いずれも「忄(りっしんべん)」が付きますが、これは「心」を表わす「へん」だそうです。そうすると「忙」とは「心を亡くす」こと、「慌」は「心が荒れる」ことになります。
あるいはそのとおりだったかも知れず。例えば、当月はついつい例の中津川に行くことがほとんどありませんでした。暮色迫る5時前頃久しぶりで行ってみました。
中津川の流れは、下流の大堰がこの時分は完全に開けっ放しで、そのため幅10m弱の一本の狭い流れになっています。堰の少し下流の瀬から、ゴォーッという水音が絶えず聴こえてきます。
流れの向こう半分一面は州となって、対岸際まで広がっています。こちら岸にもあちら岸にも赤茶けた枯れ草が覆い尽くし、荒涼たる冬川原の趣きです。
本夕流れは鏡のように静かな水面です。かなり水温が低いせいなのか、プカッと浮いてくる小魚も、水面の上でもんどりうつ鯉の姿も皆無です。ただ北西の低空の横雲や対岸堤上の大きな一本の木の天辺のみ、水面にくっきり映し出されているばかりです。
帰り際、振り返りざまに西空を見上げました。すると堤防道の反対敷地の三階建ての県営住宅の上空に、鋭鎌(とがま)のような眉月(びづき)が光っていました。少し離れて、宵の明星がこれまた煌たる光を放っていました。
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末尾ながら。当ブログ開設以来大変多くの皆様にご訪問いただき、感謝申し上げます。特に当初から毎日のようにご訪問くださった皆様には、深く感謝申し上げます。また不定期でご訪問の皆様、そして通りすがりでお立ち寄りいただいた皆様、感謝申し上げます。大変ありがとうございました。
どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願い申し上げます。
(大場光太郎・記)
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