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流れ行く大根の葉

   流れ行く大根の葉の早さかな   高浜虚子

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《私の鑑賞ノート》
 大根は「冬の季語」です。葱と同じく年中穫り入れはできるものの、旬が冬なのでそう決まったようです。そういえば、11月頃からスーパーでも、丸々と大きな大根がこの物価高の割には一本100円で、よく特売されているのを目にします。
 また市内を車で回っていると、とある旧家の軒先に白い大根がズラッと並んで吊るされて干してあるのを目にしたりします。

 この句は、中学2年か3年の国語の授業で習いました。そしてこの句は、ごくありふれた日常の一場面を切り取った句、まさに俳句ならではの「生活句」です。

 しかしこの句は凡百の生活句と違って、まさにこれ以上ない絶妙なタイミングで「俳句的場面」を捉えています。

 一枚の大根の葉の、青々とした色がくっきりと浮かんできます。上流のどこかのたもとで、大根を冷たい川水に浸して手も水に浸かりながら、ジャブジャブ洗っている人の姿まで思い浮かびます。
 極めて絵画的な句です。そして何よりも、生きたリアルさが伝わってきます。この句は虚子がどこかの冬の川―多分それほど大きくはない川―の土手に実際に立って詠んだものでしょう。そうでなければ、これほどのリアルな句は生まれません。

 この句のリアルさを引き立たせている最大のものは、流れ行く大根の葉の「早さ」を捉えたことにあると思います。まさにこれです。「早さ」の発見こそが、この句の生命線です。これこそが、生々流転してやまない自然万物の、「今この時」の生の実相の発見のように思われます。

 おそらく、上流から『何か青い葉っぱのようなものが「流れ来る」ぞ』という段階では、まだ「早さ」はさほど実感していなかったはずです。それが虚子の立ち位置の間近まで来た時初めて、『あっ、大根の葉だ』と気がついた。とその瞬間、虚子は『これは、俳句的題材そのものだ』と直感した。そこで虚子はもっと仔細にその葉を見つめたくなった。『待て、待ってくれ。その葉っぱ』。しかし大根の葉は無情にも、そんな虚子の思惑など委細構わず、下流にあっという間に「流れ行く」。虚子はその時「早さ」を実感、把握したのだろうと思います。

 この「早さ」は、見ている対象物への深い関心、あるいは深い愛情のまなざしがないと、なかなか発見出来るものではないと思います。

 (大場光太郎・記) 

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