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天皇家3代の御名・考(3)

    一八(イワ)の世は早や終わりけり今今は
    十世(カミヨ)に到る九(ク)の産道(ミチ)の中  (拙歌)

 前回『天の数歌』をご紹介致しましたが、「天の数歌」は天地創造のプロセスであると共に、実は私たち「人間の進化プロセス」でもあるのです。ある人の説によりますと、今地上に生きる人はすべて、「一~八」までのプロセスはクリアーしてきているそうです。

 我が国神道系の教義で説くところでは、そもそも人は「霊止(ヒト)」、つまり「幽の幽」から発した神聖意志が分霊に分霊を重ねて「顕の顕(現界)」で魂魄(こんぱく)として肉体という形にとどまった存在、それが人間なのです。それゆえ私たちの肉体はまた、「神の生宮(いくみや)」とか「肉宮(にくみや)」と呼ばれることもあります。本来は皆様どなたも、「ミコト(ヒメノミコト)」であり「神の子」であるのです。
 更に数霊学的に見ると、人はまた「一十(ヒト)」でもあります。『天の数歌』の出口王仁三郎の言霊解によりますと、十は「完成の意味」なのでした。そして十はまた、「神そのもの」をも表わす数字でもあるのです。
 つまり「真人(本当の人)」とは、「一~十」のすべての生成化育のプロセスを経て、明らかに弁え知る「神人(しんじん、かみひと)」のことを言うのです。例えば、古代では釈尊やイエス、近代では黒住宗忠公や聖師・出口王仁三郎や五井昌久先生といった霊的巨人のことを言うわけです。(注―黒住宗忠公は幕末の黒住教教祖、五井昌久先生は「世界人類が平和でありますように」の提唱者です。)

 その意味で私たち通常人は「一~八」のプロセスは踏んでいても、その先には未だ達していません。ですから私たちはまだ本当の意味では「人」ではなく、人に到るまでの「人間」つまり中間的存在と言うべきものです。

 さて、1989年は重要な年であったようです。この年は1月7日昭和天皇が崩御され、年号が平成に変わった年でした。また同年11月に「ベルリンの壁崩壊」という歴史的な出来事もありました。
 以下は、1990年代これも関係者の間でブームになった『火水伝文(ひみつつたえふみ)』を伝達された、我空徳生(がくう・とくお)という人及びそれを解説した白山大地(しろやま・だいち)という人の説です。
 1989年は「厄年」だったそうです。この場合の「ヤク年」とは、八から九に到る年と言うことです。冒頭に述べましたとおり、それまで人間は「一~八」の「一八戸(岩戸)」の中にいたのです。閉じ込められていたという言い方もできますし、保護されていたという言い方もできるようです。ともかくその年まで人類は、おなかの中(子宮の中)にいたと言うのです。

 それが1989年の「ヤク年」に、子宮を出て「産道」に向かったのだそうです。すなわち「岩戸が開いた」わけです。そして翌1990年は、「九、十の道」に到る産道に私たちが入ったと言うのです。今私たちは「九の産道」を通過中であり、やがていやがおうでも「十の世界」に産み落とされるそうです。つまりまっさらな真地球世界で、「○九十の一十(マコトのヒト)」として新生(神生)していかなければならないと言うのです。
 なお、今の「九の産道」を「苦」とするか「楽」とするかは、各人の心がけ次第です。出来るだけ「頭を低くして」通させていただけば、道中も出産も「楽」だそうです。(このたびの逆児は大変だそうです。)

 そろそろ本考の結論です。
 目に見えず手でも触れ得ずとも「天の経綸」は着実に進み、時々に「今がいかなる時であるのか」を、天皇家御3代の御名や年号を用いて「神示し」に示しておられるわけです。そして今や経綸はその最終段階だと思われます。平成明仁天皇の今、こうして私如き者まで、「ヒトの意義」を「明らかに」述べることができるのですから。
 後は現皇太子徳仁殿下の、「マコトのヒトに成る」御世を残すのみです。
 
 (本記事は、『火水伝文と○九十の理』-白山大地著・四海書房-を参考にさせていただきました。)  ― 完 ―
 (大場光太郎・記) 

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