いよいよ師走です
曇り日や暴発しさうな冬の柿 (拙句)
早いものできょうは12月1日。あと今年も1ヶ月を残すのみとなりました。既に街の目抜き通りには、例年のことながら電飾イルミネーションが飾り付けられ、夜ともなると華々しい光彩を放って、街を行き交う人の目を楽しませてくれています。それに当今はちょっとしたシャレた店や、心得のある一般家庭でも前面に電飾を施してくれている所もちらほら見かけます。いずれの場合もどこかに「終わり良ければすべて良し」、年の最後くらい豪華にパァーッと行こうぜ!というような気持ちがあるのでしょうか。
どちらかというと、懐疑的文明論者(?)である私などは、『そんなに麗々しくしなくても、もっとつましい年の瀬でもいいんじゃないの』と例年なら思うところです。しかし今年は少し違う心持ちです。
というのも、これだけうすら寒い不況風がじわじわ吹き始めると、そのような年の瀬の恒例の装いに、ふっと『あヽこれじゃあ、まだ大丈夫だな』と妙に安心した気分になれてしまいます。
午後たまたま車で通った厚木中学校の、校門から少し学校に入った校庭との境の所に、まあ何とも真っ赤に紅葉した、二本の楓の木が目に飛び込んできました。本当に「This is Koyo !」と言いたくなるような見事さでした。
当地では本当の紅葉など見られないと、我が郷里での先入観から今までそう思い込んでおりました。しかし木によっては当地でも、かくも見事に紅葉するものなんだ。私はつかの間、「本当の季節感」を味わえた気分になりました。
実は本日は、きのうから開始しました『田母神論文をめぐって』の第2回目を公開するつもりでした。ある人からは、「是非田母神問題を扱った今回の番組(『朝まで生テレビ』)への、感想・意見をお書きください」という励ましのコメントもいただきました。
そこで、業務の合い間をぬっていざまとめようと試みました。しかし考えてみればこの問題は、我が国の歴史認識の問題、防衛上の問題、更には現憲法の問題等さまざま大変な問題が絡んできます。いざ続きを少し書き始めて、『いやぁ、よく分かりもしないで大変な問題に首を突っ込んじゃったなあ』と頭を抱えてしまいました。
とにかく、軽々に書きなぐって済まされることではなさそうです。この問題は、しばし長考のお時間をいただきたいと存じます。
ともかくも、残すところ後30日。パーフェクトに完璧に、今年のことは今年のうちに。私に限ってそんなことはハナから無理なのは百も承知です。ですからせめて、今年に何か大きな忘れ物(やり残したこと)が引っかかって、後ろ髪を引かれる思いで新年を迎える、そんなことだけはないように。残された今年の日々を、出来るだけ充実していければと思います。
(大場光太郎・記)
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コメント
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厚木の地で「真紅な紅葉」に出会えて良かったですね、故郷を大いに思い出して下さい。
「師走」だからと言ってやり残しや、積み残しを追いかけて慌てて処理するのは反対です。
タイムスケジュールのあるものは、これは当所から別・・
遣り残し、積み残しも、普段のペースで対峙して、始めて毎日の充実があるものです。
年の切り替え・・? それは新しい年はそれなりのスタンスに進歩がなければ、自分自身の進歩に拘わることですから。
投稿: 仙人 | 2008年12月 2日 (火) 10時36分
仙人様
コメント大変ありがとうございます。
仙人様の、年の瀬、のみならず日々の事柄への対処のお考え、含蓄に富み、大変興味深く読ませていただきました。日頃からのしっかりしたタイムスケジュール、そして何よりセルフコントロール・セルフマネージメントが大切ということでしょうか?仙人様の、日頃からの精力的なご活動の秘密の一端を、垣間見る思いが致しました。
また高浜虚子の有名な句の、
去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの
を何となく思い出しました。現在(きょう)から切断された、いかなる明日もありえませんね。あらためて、「今この時」をしっかり充実して生きていく大切さを認識致しました。ありがとうございました。
投稿: 大場光太郎 | 2008年12月 2日 (火) 11時12分