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児玉神社参拝記(1)

 だいぶ前のことです。昭和63年頃(定かではありません)の元旦、私は江ノ島の児玉神社参拝のため、当時住んでいた綾瀬市から車で向いました。
 当日は大快晴でした。『まさか元旦から駐車取り締まりもないだろう』とばかりに、江ノ島の手前のとある通りに駐車して、そこから徒歩で向いました。江ノ島大橋を渡る途中、湘南の青い海の遥か彼方に富士山の姿がくっきりと認められました。その気高いばかりの秀麗な姿に、心搏(う)たれたことを思い出します。

 皆様は児玉神社をご存知でしょうか?多分ご存知ない方が多いと思われます。
 児玉神社は、日露戦争の英雄である児玉源太郎大将をお祀りした神社なのです。同戦争の英雄として他に東郷平八郎や乃木希典がおり、両名は東京の格式高い神社に祀られていることはどなたもご存知のことでしょう。しかし日露戦争最大の功労者といっても過言ではない児玉源太郎はなぜか江ノ島にひっそりと、なのです。(児玉源太郎という人物像や事跡を少しでも知っていただくため、また改めてその小伝などをご紹介できればと思います。)

 大橋を渡り切ると江ノ島神社の上り参道で、両側に土産品を売る店がズラッと並び元旦から大賑わいです。皆々江ノ島神社参拝の帰りの人たちなのでしょう。私はそれらの店や人たちをしり目に、ひたすら参道を上って行きます。
 大勢の人でごったがえす江ノ島神社の社殿を一瞥しながら、私は左折します。同神社境内沿いの道を更に左に曲がりながら進みます。もう回りは鬱蒼とした木立で、さながら山道を上がっている感じです。そこから今度はグルッと右に曲がって、石の階段になりそれを一直線に上り続けると目指す児玉神社です。

 児玉神社はその時限りの参拝でした。なぜ急に参拝となったかといいますと。当時私は学習研究社刊の月刊『ムー』の熱心な愛読者でした。さすがに40代前半頃に同誌は卒業しましたが、同誌は、UFOや心霊現象などの超常・不思議現象やムーやアトランティスといった超古代文明や古今の神秘思想を特集したりする、風変わりながら若い層を中心に結構な読者を獲得している月刊誌だったのです。(もちろん同誌は今現在でも続いています。)

 私は以前『私の不思議体験』で述べましたような少し変わった体験をしたり、中学、高校の頃はこれも以前何度か述べたとおり、「うっとり体験」「頂上体験」のようなものを結構味わいました。高校時代は其の他金縛りにしょっちゅうあったり、ひそかに心霊学の本も読んだりしていました。私の本格的な神霊探求は、昭和57年春のある深夜の体験が直接的なものですが、そういう関係の情報を積極的に求める素地は幼少の頃から既にあったのです。
 その月刊『ムー』のある号に、翌正月の児玉神社参拝案内の広告が掲載されていたので、そんなに遠くもないことだし参拝することにしたのです。

 それに児玉源太郎はそれ以前から、司馬遼太郎の『坂の上の雲』や評伝などでその凄さは知っていましたし。しかし児玉が神としてその神社に祀られているのは、その時初めて知りました。
 同神社の宮司さんは何と、「山本白鳥(やまもと・はくちょう)」という女性なのです。日本各地に神社は無数にあれど、女性の神官、神職、宮司というのは極めて珍しいのではないでしょうか?
 実は山本白鳥は、当時のムー愛読者にとってはおなじみの名前だったのです。  (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)

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