去年今年
去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの 高浜虚子
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《私の観賞ノート》
新年明けましておめでとうございます。
平成21年(2009年)がスタートしました。皆様新年をいかがお迎えになられましたでしょうか。今年は現下の大不況のもと、世界的にも国内的にも激動が予測されますが、そんな荒波を乗り越えて、この1年を実りある良い年にしたいものです。
さて今回の虚子の句についてです。
私たちは午前0時の時報と共に、『さあ、まっさらな新年を迎えたぞ !』という気分になります。またそういう気分になろうとつとめます。年の大きな「Change」なのですから、当然です。
なのに虚子は「去年今年貫く棒の如きもの」と詠むのです。まるで、上の通念に対してのアンチテーゼの句のようです。つまり年はあらたまっても、実は「時間」というものは、過去、現在、未来と連続したもので切断されるものではないのだ、ということを言いたかったのでしょう。
考えてみれば確かに、例えば財産などは増えもせず(但し銀行預金などは、当節微少の金利はついています)減りもせずに、新年にそのまま引き継がれていきます。同様に負債も、またそのとおりです。財産はともかく負債の方は、金銭的なものでも心理的なものでも、そっくりそのまま去年に置いて来れれば何と好都合なのでしょう。しかしどっこい、そうはまいりません。
だからこの句は、「後悔とか負い目を負うような生き方はしなさんなよ」ということを言外に匂わせているのかもしれません。(私などは、大いに耳が痛い話ですけれども。)
「貫く棒」という形容は凄いですよね。過去・現在・未来という「時間の連続性」というものはかくも確かなものなのであり、ともすれば切れやすい糸のようなか細いものではないわけです。
新年にあたり、常平生の心構え、生き方について考えさせられます。そして、思わず粛然とさせられるような句だと思います。
(大場光太郎・記)
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