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寒川神社参拝記(2)

 正月も4日であり夕方でもあり、神社前の通りを行き交う人の群はほどほどと言ったところです。境内東端の出店がズラッと並ぶ所から入ると近道ですが、私はいつも律儀にも更に歩いて正面の大鳥居をくぐって境内に入ります。
 鳥居は本当に普段私自身がまみれている俗世間と、神域という非日常的空間の「結界(けっかい)」の役割があるようです。くぐった途端、何やら侵しがたい神気が漲っているように感じられます。

 薄暮とは言え、広くて長い参道を拝殿に向って進み行く人の数は多くいます。参道の両側には、既に灯が点された風格ある灯籠がずらっと先まで並んでいます。
 神社の広大な敷地は、鬱蒼たる常緑樹で覆われています。見るところ落葉樹は一本もないようです。皆つやつやした常緑広葉樹です。そうなのです ! これこそが日本古来の樹相というものです。いつかご紹介したいと考えておりますが、「日本一多くの木を植えた男」といわれる宮脇昭・横浜国立大学名誉教授の説によりますと、弥生時代以前日本列島を隈なく覆っていたのが、シイ、タブ、カシなどの常緑広葉樹だったのだそうです。

 私たちが日常目にしている落葉樹は、我が国本来の樹相からすれば「偽物の自然」なのだそうです。したがって本来の常緑広葉樹林に戻すべきだというのが宮脇教授の主張で、現にその通りに全国各地にその土地に適した常緑広葉樹を植え続け、見事な森として再生させているのです。
 言われてみて気がつくことは、この寒川神社はじめ我が国古来の神社や鎮守の森には常緑広葉樹が多く繁っていることです。その意味で古社や鎮守の森は、我が国本来の自然を守り続けてきた貴重なエリアであったとも言えると思います。

 …長い参道が終わると共に樹林も切れて、正面に立派な門とその奥の堂々たる威容の拝殿が見えてきます。その前に、左手のこれも立派な手水舎(ちょうずしゃ)で両手を洗い口を漱ぎます。
 寒川神社は今から10年ほど前、拝殿、社務所、門構え、参道そしてこの手水舎などの大改築が行われました。確か私も微額ながら寄進した覚えがあります。以来相模一之宮としての風格が更に増しました。しかし改築当初の何年かは周り中ピカピカ真新しくなり、何か古式ゆかしい風趣が失われてしまったような違和感を感じたものです。でもその後は風雪と加わる歳月によって、今ではだいぶ以前の風趣を取り戻しつつあります。

 手水舎前面右の柱に、いつも当月の御歌が掲示されています。見ると新年の今、明治天皇御製「新年祝」とあり、
    あしはらの国のさかえを祈るかな
     神代ながらの年をむかへて
と読めました。
 手水舎にも大門手前の広場にも、まだけっこう人がいます。手水舎の先には、まあたくさんのおみくじが結わえられた場所があります。垂れている縄の数知れず、更に一本の縄に結わえられているおみくじはこれまた無数です。結わえた無数の人たちの想いは、縄を伝って地中深く流れ地霊にまで届くものなのでしょうか?
 
 大門の手前には、これまた立派な狛犬の石像が、左右に分かれて頑丈な台座の上に立っています。両方ともらんらんとと形容してもいいような目と憤怒の形相ですが、右の方はカッと口を開け左の方は口を閉じています。「阿吽(あうん)の狛犬」とでも言うべきものでしょうか。
 また大門はと仰ぐと、門の上部には、青森のねぶた人形のような凛々しい武者が両脇に、そして中央には(そう言えば私自身のエトでもある)大きな牛が、それぞれ立体飾りで取り付けられていて中から照明されています。
 その門をくぐって拝殿へと歩みを進めます。  (以下次回へつづく)
 (大場光太郎・記) 

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