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“ブログ”について(2)

 さて「ブログ」は「ウェブ上の日誌」であると言いました。そこで「日誌」なのだから自分(ブロガー)の述べたいことを何でも好き勝手に述べていいのか?という問題に直面します。あくまでもプライベートな「日記」のように、日頃のウップン、悩み、グチなどをブログに書き綴ることはどうなのかということです。
 すべて「表現の自由」は、現憲法で保証された国民の権利の一つです。ですからそのような記述も、他に害を与えない限りは許容範囲なのかもしれません。案外ブログには、そんな場合の「はけ口機能」という側面もあるのかもしれません。

 中にはそのようなブログもあるようです。例えば昨年クリスマス・イヴに変わり果てた姿で発見された飯島愛などはそうだったようです。一昨年春芸能界から引退した時、多くの関係者やファンは、彼女は別のステージに華やかに転身していくのだろうと予想していました。しかし実際は彼女は悪化する病状と戦い、また芸能界を引退したことで友人、知人が一人また一人と離れていく中で孤独感も徐々に深まっていったようです。彼女もブログを持っていて、その悩みなどをブログの中で度々訴えていたようなのです。

 それが彼女の死因とどう結びつくのかは分かりません。しかし悩みをブログに書き綴ることは、当人の悩み解消に役立つものなのでしょうか?専門の心理療法士などの見解では、むしろ否定的であるようです。
 一般的に悩みを紙に書き出すことは、問題や悩み解決には有効のようです。しかしそれには一つ条件があって、書いたら直ちに破り捨てるか燃やしてしまうことが必要だそうです。書く→破る(燃やす)という行為は、大変有効な悩み、ストレスの解消法のようなのです。
 しかしブログに綴った場合はそうはいきません。当人が削除しない限り、いつまでも残ります。問題は、書き込んだ当人が何度もそれを読み返してしまうことにあるようです。それによって悩み、グチなどのネガティヴな感情が消えていくどころか、逆に増幅されてますます落ち込む原因になりかねないというのです。

 それにブログは、いくらでも個人の秘密が書き込める日記と違って、ウェブ上に公開されます。ブログの規模にもよりますが、多かれ少なかれ「公共性」を帯びているわけです。
 ですからその書き込みに対して、読者から慰めや、励ましや、解決のヒントとなるようなコメントでも寄せられればまだしも、中には逆のコメントが寄せられることもありえます。そんなのを読めば、当人はますます落ち込むばかりなのではないでしょうか?
 よって「ブログ」は「公開日誌」であり、不特定多数の読者の目にとまる可能性がある以上、ブロガー個人の悩みや、グチといったネガティブな内容のものは極力避けた方が賢明かと思われます。

 私もなるべく、そういうものは書かないようにしております。また私は、毎日幾つかのブログを訪問させていただいております。本当ならばもっと積極的に多くのブログを訪問し、それぞれの良い点を吸収するなりコメントを残すなりすれば、当ブログの発展に大いにプラスになるのかもしれません。しかし生来ものぐさであまり社交的ではなく、ましてブログ専従でもないため、現在は必要最低限しか訪問しておりません。
 そして訪問先ブログは、皆訪問者に元気とインスピレーションを与えてくれるものばかりで、ネガティヴブログは一つもありません。(そんなブログだったら、最初から訪問していませんし。)  (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)

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日常」カテゴリの記事

コメント

 本シリーズいつものクセで、何の成算もないままスタートさせました。この先どうもって行けばよいのか、迷っています。そこで本シリーズは、ここで中断と致します。
 しかしながら、私自身まがりなりにも一ブログ運営者として、「ブログ」についての考察は重要と考えます。また何か思いつきましたら、不定期で記事にしていきたいと存じます。
 どうぞご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月28日 (水) 02時56分

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