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寒川神社参拝記(1)

 本日4日夕方私にとって恒例の、寒川神社に初詣に行ってまいりました。
 きょうも朝から晴天で、正月三が日の良い天気がそのまま引き継がれた感じでしたが、昼過ぎ頃から少しずつ雲が出てきました。私が同神社に車で向った午後4時前頃には、空はけっこう黒い雲で覆われていました。ただ空の青い色も所々に見られる具合の空模様です。

 寒川神社は、神奈川県高座郡寒川町宮山3916番地にある神社です。祭神は寒川大神、応神天皇など諸説あるものの、現在は寒川比古、寒川比売の夫婦神とされ、かつては朝廷の尊崇も篤かったようで、旧社格は国弊中社の相模国一之宮でした。現在でも相模国一之宮の呼称はそのまま引き継がれ、「八方除けの守護神」として関東一円から参拝者が集まります。
 古来相模川沿いは相模国造(さがみのくにのみやつこ)がおり、また同社が高句麗(こうくり)系渡来人入植の地である高座郡に属することから、有力な豪族が造営したものと推定されています。雄略天皇在位の時期(456年~479年)に奉弊、神亀4年(727年)に社殿建立と伝える古記録があり、但し公式には、承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授かるという記録(『続日本後紀』)があるそうです。 (この項、フリー百科事典『ウィキペディア』より「寒川神社」の項参照)

 私は若い頃は初詣などとんとしませんでした。しかし30代前半日本霊学を少しかじり始め、神社の意義が分かると共に参拝し出すようになっていったのです。以後は毎年欠かさず参拝に出かける習慣になっています。
 20年以上前は、先に述べましたように江ノ島の児玉神社や鎌倉の鶴岡八幡宮に行ったこともあります。しかしそれは特例中の特例で、それ以外は寒川神社オンリーで現在に至っております。

 以前は正月三が日の内に行っていました。元旦に行ったこともありますが、その日だけでも何万人と押しかけるものなのか、参拝客でごった返して境内は身動きが出来ないため止めたのです。また移動手段は主に車ですが、だいぶ前3日の日に出かけた時は、間道を通ったにも関わらず途中でピタッと動かないほど大渋滞で、『こりゃダメだ。日が暮れちまう』とばかりに途中から引き返し、翌日改めて出直したことがあります。
 そんなこんなで、以後私の参拝日は4日または5日と決まった次第です。

 寒川神社から少し東に寄って南北に縦断する県道を左折して、東にぐるっと回った向うの道から、その道と県道との間に広がる田んぼ道に少し入り、そこだけ果樹のある畑の一角に車を停めさせていただきます。
 そこから田中の道を通って改めて県道に出て、それを横切って神社へと向うのです。田中の道を歩き始めて間もなく、どこからか「うさぎ追いしかの山…♪」の『故郷(ふるさと)』のメロディが高らかに鳴り響きました。時計を確認すると、ちょうど4時半です。当厚木市では『夕焼け小焼け』そして寒川町では『故郷』というわけか。
 県道際だけ畑になっており、薄暮に大根や葱や春菊などの冬菜の青々とした葉が引き立っていました。

 田中道から西を眺めると、もちろん神社の壮麗なお社群や森が大きく見えていますし、その上の彼方に大山の姿も見えます。もっと天気が良ければ大山の南の方に富士山の姿も見えるはずですが、本日は西空を黒雲が覆っていて残念ながら見えません。
 ただその雲の切れ間から夕陽が真っ赤な光体となって、きょう最後の直視するにはまぶしすぎる輝きを放っています。見ると大山の峰よりびっくりするほど南寄り、平塚というよりは大磯の方角に沈もうとしているようです。  (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)

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