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児玉神社参拝記(2)

 山本白鳥は、月刊誌『ムー』で‘80年代後半からブームになった、「日ユ同祖論(日本民族とユダヤ民族は同一の祖先を持つ民族同士であるとする説)」に始まる「神日本ムーヴメント」の仕掛け人のお一人であったようです。
 ご自身は古神道を受け継ぐ家系に生を享け、日本古神道を中心に据えつつ『遥かなる白き神』という著書に見られるように、遠く南米のチチカカ湖やエルサレムに御神業(ごしんぎょう)のため赴くなど、エネルギッシュに活動されていました。

 なお同ムーヴメントの仕掛け人としては、他に武田崇元(たけだ・すうげん)という人がいました。この人はやはり‘80年代後半頃カッパブックスで『霊界からの大警告』という本を出し、すっかり忘れ去られていた大巨人・出口王仁三郎を当時改めて紹介し、出口王仁三郎ブームを起こした人物です。(私も同書によって初めて、出口王仁三郎を知ったのです。)
 武田崇元は東大法学部卒業後神霊研究の道に進み、『地球ロマン』編集長を経て、八幡書店社主として現在に至っているという変り種です。このお二人は一緒に日本の聖地を訪れることも多く、例えば関門海峡では二匹の巨大な龍が踊っている姿を、山本女史が霊視したなどの紀行文が『ムー』誌上に載ることもありました。

 …1日3回の参拝のうち、私は一番早い午前中の参拝でした。私より若い男子二人と一緒でした。
 山本宮司と間近で接するのは初めてです。当時私は40歳少し前くらいでしたが、宮司は私よりお若い30代半ば過ぎくらいのお歳でした。純白の神服に身を包み、ほっそりと美しい凛としたお顔立ちの女性だったと記憶しています。
 その山本宮司が私たちを先導して、ご神前に立ち諸々の祝詞を宣(の)られ、私たちは深く頭(こうべ)を垂れて参拝させていただきました。その間10数分くらいだったでしょうか。祈願が終わると、神前に予め供えてあった「ダルマ」が各自に授与されました。これは参拝申し込み時に、一緒に注文しておいたものです。私は欲張って、2個のダルマです。

 参拝が済んで、社務所に上がらせていただき直会(なおらい)というのでしょうか、山本宮司を囲んでお餅などをいただきながらしばし歓談となりました。
 社務所のしかるべき壁面に、本でよく見る児玉源太郎の、軍服姿の肖像写真を大きく拡大したのが掲げられていました。山本宮司は、「この神社には本当にご縁のある方でないと参拝できないんですよ。たまに間違えて、アベックなどが迷い込むことがありますけど」と、笑いながら話されました。

 また山本宮司の前に、お二人の男性が宮司を勤められたものの、とにかく「児玉大神の神威が強すぎて、お二人とも体に変調を来たしてお辞めになり、それで私に白羽の矢が立ったのです」とも話されました。
 当時私は「日本霊学」に強い関心があったもので、その後いくつかの質問をさせていただきました。内容は亡失しましたが中に不躾な質問があったらしく、山本宮司は少し憮然とされ、「後の方何か質問はございませんか?」と、私の次の質問をさえぎられました。

 こうして参拝が済み、私は大小二個のダルマを両脇に抱えながら、児玉神社を後にしました。二つとも真っ白いダルマです。大きい方は「開運」と朱書された一万円也のダルマで、もう一つの中くらいの大きさのは「金運」と朱書された五千円也のダルマです。
 「大神への祈願により願望成就間違いなし」とのことで、二つともその両目には既に黒々と目が入っていました。

 しかし元々怠け者の上不信心な私は、それ以降も「金運」は下がる一方で。後で思ったことには、『少しケチったのがいけなかったのかなあ。やはり金運の方も大きいのにしとくんだったなあ』。
 こうして金運ダルマの方は、ずっと後年相模一之宮である寒川神社初詣の折り、同神社のお焚き上げ所に置いてきました。開運ダルマの方は、だいぶほこりをかぶっているものの今でも事務室書棚の天辺に置いてあります。今回ほこりを落としました。改めて見てみますと、ダルマさんの前頭部に「六芒星(ろくぼうせい-または「ダビデの星」)」が描かれており、その真ん中に山本宮司の指紋の朱の押印がありました。  ― 完 ―
 (大場光太郎・記)

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コメント

 検索フレーズランキングをご覧の方はお分かりかと存じますが。
 「児玉神社 山本白鳥」という検索アクセスがけっこうあることに、驚いています。もうすっかり過去の人かと思っておりましたので。山本白鳥は今でも、児玉神社の宮司をお勤めのようです。あるネットで、平成19年の同神社例大祭のもようが、画像つきで紹介されていました。宮司のお姿も映っていましたが、幾分お太りになられた感じでお元気そうで何よりでした。
 私は参拝の後だったかと思いますが、明治神宮内にある建物での講演を聴きにいったことがあります。詳しくは覚えていませんが、「言霊」や「人間の死後」などについてお話されたように記憶しています。武田崇元氏もご一緒でした。
 以前山本白鳥は、中国のある大師より、「日本・大本・山本が揃えば、アジア全体の平和が達成される」という「三本主義伝承」の、「山本とは山本白鳥のことである」とご託宣を受けたのは有名な話です。なお「大本」は、大本教を指します。山本宮司には今後とも益々ご健在で、余人には替えがたい「御神業(ごしんぎょう)」を遂行していただきたいものです。 

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月 7日 (土) 02時38分

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