寒川神社参拝記(3)
別嬪の巫女よ破魔弓買ひまする (拙句)
大門をくぐって斎庭(さにわ)に歩み入ります。門と対面の壮麗な拝殿そして両脇の社務所などに四囲をぐるっと囲まれた斎庭はけっこうな広さです。
三が日ならばこの中は、大勢の参拝客で身動きできないほどにごった返します。いよいよ暮色つのり、さすがに人影も多くはありません。すいすい拝殿近くまで進んで行かれます。私はいつも真ん中あたりの最前列で参拝したい主義なので、3列目くらいで前の人の参拝が終わるのを待ちます。
しかるべき場所が空き、いよいよ参拝です。毎年定額の五百円玉を出して、すぐ前に設置されている長々と大きなお賽銭箱に投げ入れます。拝殿内を見ると、中に十数人くらいの人がいるようです。別途申し込んだ特別祈願の人たちです。
『あれっ。一礼二拍手か、二礼二拍手か?どっちだ?』。以前ならば各神社の拝礼法などかなり詳しかったはずですが、毎年一度のことで今はすっかり忘れてしまいました。『まあ、そんなに気にすることはないよな』。結局一礼二拍手をしてから、頭を垂れてしばしの祈願に入ります。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完(まっと)うされますように
神様ありがとうございます
この地域が一年平和でありますように
神様ありがとうございます
どこかでお聞きになったことがおありでしょう。五井昌久先生(1916年~1980年)が提唱した「世界平和の祈り」の拝借です。実際は「神様ありがとうございます」は、
守護霊様、守護神様ありがどうございます
となります。私はかれこれ10年ほど、同社初詣はこの祈りで統一しています。自分でも人並み以上に宗教的な人間だなと思いつつも、特定の組織には所属していませんし、これからもそのつもりはありません。しかし良い祈りは良い祈りです。「世界平和の祈り」は唱えやすくて実は奥の深い真正な祈りだと、私は思っております。
私自身は人様より欠けるものが沢山ありながら、何もわざわざ相模一之宮にまで参って自分自身の願いごとでもあるまい、と考えています。いささか格好よく申せば、
心だに真(まこと)の道に叶いなば祈らずとても神や護らん (菅原道真公御歌)
といったところでしょうか。
冒頭の拙句は、だいぶ前の参拝の折りのことを後になって詠んだものです。当時はまだ大改築前で、今の門構えの辺りに、お札や破魔弓や絵馬を売る建物がありました。
斎庭行く巫女らの一人くしゃみせり (拙句)
巫女と言えばまたその前後の年、斎庭を歩いている数人の巫女さんたちを間近で見ました。と斎庭の真ん中辺りで、一人の巫女が身を少し前に屈めながら「ハクション!」と大くしゃみをしたのです。すぐ後で、当人も周りの巫女たちも大笑いです。いくら神事に仕える巫女とは言え、何せ箸が落ちても笑い転げる年頃です。あのように「大笑い」出来るのは、身も心も大健康な証拠です。(なお、くしゃみは冬の季語です。)
参拝を済ませて拝殿を後にし、帰りは屋台がいっぱい立っている道の方へと向います。ここの通路にはまだ大勢の人がおります。さまざまなものを売る何十もの店が、夕闇迫る中で、明々と照明に照らし出されて活気づいています。私はその一、二店でたこ焼きと甘酒を買って、喫煙OKの場所で一時食べたり飲んだりしました。
やがて辺りはとっぶりと暮れ出した中、帰路につきました。 ― 完 ―
(大場光太郎・記)
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