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『天地人』について(1)

 新春4日に始まったNHK大河ドラマ『天地人』も、3回目まで進みました。
 1、2回は、直江兼続の幼少時代・与六を演じた子役の泣かせる演技で、一気にドラマに引き込まれました。これは私だけがそうだったわけではなさそうで、先日の「ココログニュース」でも、子役の演技に涙した全国のお茶の間が多かったことを伝えていました。そしてそのため同番組の視聴率が一気に上がったとも。なお「わしはこんなところに来とうなかった」という名ぜりふの与六少年を演じたのは、加藤清史郎(かとう・せいしろうー7歳)という子役だそうです。

 2回目の後半で、どうにもなじめない雲洞庵を脱け出した幼少与六は、雪の真夜中道我が家を目指します。庵でも喜平二(後の上杉景勝)が与六がいないことに気がつき、探しに出かけます。与六はやっとの思いで我が家にたどり着きます。が、非情にも戸口で母に中に入ることを拒まれ、追い返されます。
 この辺は史実ではなく、後代の近江の儒学者・中江藤樹の少年時代のエピソードを、拝借したのではないだろうかと推測されます。そしてドラマでは、後を追って来た喜平二に背負われながら、夜明けの雪原を戻っていきます。その時初めて、5歳違いの上杉景勝と直江兼続との、終生変らぬ主従の絆が結ばれたのだという美談つきで。
 なお上杉景勝の少年役も、大人になってからの景勝役の北村一輝も、いずれもいいですね。謙信役の阿部寛同様、これは評価します。

 それから歳月がいっぺんに飛んで、10代後半頃の直江兼続に切り換りました。時代背景は、上杉謙信のライバル武田信玄の死去の頃のことです。
 以下はあくまでも私だけの感想ながら。これが何ともさまになっていないのです。何がですって?主役である直江役の妻夫木聡の演技がです。何か軽々しい美男のお小姓さんといった感じです。まあ今は実際若い時代の直江役だからいいものの、これから戦国波乱の大舞台で、秀吉や家康と互角に渡り合った、軍略家としての本領を発揮していくことになる直江兼続を、妻夫木は本当に演じられるのだろうか?現在のメーキャップ技術によってある程度はカバー出来るでしょうが、それにしても壮年、晩年の直江山城守兼続の重厚な人物像を果して演じ切れるのだろうか?

 第3回目は「殿の初恋」というような題でした。それを元に架空の話をふくらますだけふくらませた感じで、正直あまり面白くありませんでした。『そろそろ大河ドラマのいつものクセが始まったぞ』という感じなのです。
 大河ドラマは、年初から年末まで合計40数話になるのでしょう。とにかくその間、何とかお話をやりくりしてつないでいかなければならないわけです。しかし思うに、無理して長く引き伸ばす必要もないのではないでしょうか?1年を前半、後半に分けて、それぞれ違うドラマにしたらどうなんでしょう?日本史には、ドラマになりそうな波乱万丈の英傑がまだまだいっぱいいるのですから。それに地方切捨て的このご時世、番組で紹介してもらいたいと思っている地方、郷土も全国には多いことでしょう。

 さして感動やインパクトを与えないストーリーをだらだら続けられるよりは、その方がずっと引き締まっていいと思います。『天地人』後半は間違いなく米沢が舞台だからと思って今のところ観ていますが、あまりにも面白くなかったら『もうやーめた !』となりそうです。
 もし同番組ただ今ワクワクしながら観ておいでの方がおられましたら、ごめんなさい。以上は、あくまで私の個人的な感想です。
 (大場光太郎・記)

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

昨年の『篤姫』ほどには面白くないかもしれませんね。3回目になって少しだらけてきた感じも・・・でも、長い目で見ましょうか。NHKは昔、一時だけですが半年で題材を変えたことがあります。
『琉球の風』などがそうですが、やはり事情があったのか、1年で1話に戻りましたね。大場さんがおっしゃるように、だらけるようだったら1年に2話やっても良いのではと思います。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年1月23日 (金) 15時57分

 歴史好きな矢嶋様なら、『天地人』観ていると思っていました。そうでした。昔『炎燃ゆ』という奥州藤原氏の先祖物語と、『琉球の風』やってましたね。北と南を1年でいっぺんに。私はあの形式でいいと思いますが。
 昨年末の同番組始まる前の記事でもいいましたが、なぜ大NHKは、自局で放映した韓流ドラマ『宮廷女官・チャングム』のような、毎回文句なしに感動的な番組をどうして作れなくなったのでしょう?

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月23日 (金) 16時48分

『チャングムの誓い』は面白かったです。濃密な人間関係がよく描かれていて、とても魅力的なドラマでした。
基本は「脚本」だと思います。なにも英雄・豪傑をやる必要はありません。人間と人間関係を掘り下げることが大切でしょう。NHK大河ドラマでは、例えば昔の『三姉妹』などが秀逸でした。歴史を背景とした、あのような人間ドラマこそ求められると思いますが、やや安逸な手法に偏りがちです。
原作も重要ですが、カギは「脚本」の成否にかかっていると思います。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年1月24日 (土) 00時05分

 いつもは「早寝早起き」の矢嶋様にしては、珍しいお時間に…。
 私も『チャングム』は、国内外の近年のドラマの最高傑作だったと思っています。「濃密な人間関係」は確かにおっしゃるとおりです。昨年末にも述べましたが、チャングム役のイ・ヨンエ。彼女以外には考えられないと思うほどの、はまり役でした。(だからNHKも、先ずしっかりした主役のキャスティグから始めてもらいたいとも…)。『チャングム』を話せば切りがありませんが、キャスティングで次に光ったのが、悪役のチェ尚宮を演じた、キョン・ミリでした。いやあ、実に魅力的な悪女ぶりでした。
 『三姉妹』は知りませんでした。とにかく、「安逸」「安直」な大河ドラマ作りに走りすぎてるんじゃないの。私が、NHKに一番言いたいことです。
 私は詳しいことは分かりませんが、「基本は脚本」「成否は脚本にかかっている」はそのとおりかもしれませんね。

 (皆様への追記) 新たな記事更新を見送りました。ご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月24日 (土) 01時08分

 前の矢嶋様コメント中、「脚本」の重要性についてのお話がありました。そこで関連したお話を、少し述べさせていただきます。
 当ブログには、脚本家の方もお見えになっています。お名前は今回は伏せさせていただきますが、テレビ朝日系列の「刑事ドラマ」の脚本を、主に手がけておられるようです。
 近々この人が担当する番組をご紹介しておきます。1月29日(木)PM8:00からの、テレビ朝日1時間刑事ドラマ『おみやさん』は、この人の脚本だそうです。ちなみに主演は渡瀬恒彦、ゲストは国生さゆり。同番組は、数人の脚本家が各話を分担しているようです。
 私はサスペンスドラマは最近ほとんど観ておりませんが、今回は観てみようと思います。よろしかったら、皆様もどうぞ。

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月25日 (日) 13時35分

大場様 今晩は。
久方ぶりにお邪魔させていただきます。
 私はNHKの大河ドラマは殆ど観ておりませんが、今年は直江兼続が主人公ということで、米沢市はおおいに盛り上がっていることでしょうね。兼続といえば何といっても米沢という町の基礎を築いた恩人と言っても過言ではないでしょうから。かの鷹山公がその治世に臨んで模範としたのは、専ら兼続の政策であったとか、どこかで読んだ記憶があります。私がこの人に興味を惹かれたのは、前田慶次郎や本多政重との関連からでした。この兼続という人、文武両道に秀でた傑物ですが、大変懐が深くなかなか一筋縄ではいかぬ御仁ではなかったか、そんな感じがしています。

投稿: くまさん | 2009年1月29日 (木) 21時35分

くまさん様
 お帰りなさい ! 首を長くしてお待ちしておりました。当ブログ、時折りのくまさん様のコメントがありませんと、いま一つ物足りませんし、盛り上がりません。今後ともお気楽にどうぞ。
 私も大河ドラマは、今回久しぶりで観ました。もう何回も述べていますが、だいぶ以前につまらなく感じましたので。くまさん様のように、確固たる直江像をお持ちの人は、妻夫木・直江兼続には『何だこりゃ』と、ますます観る気がしなくるかもしれませんね。私はいま少し観続けます。当ブログのネタ作りのために。
 私が、直江兼続に興味を抱いたのは、他ならぬ『万物備乎我(6)』のくまさん様のコメントからです。その後関連書物など読んでみましたが、武将、軍略家、政略家…。多面的な人物であったように思います。でもやはり「愛と義の人」として、米沢の家臣団を一人もクビにすることなく守り抜いたことなど、情け容赦ない派遣切りの当今の情勢と比較する見方もあるようです。鷹山公が見習ったとしたらますます凄いですね。
 米沢はおっしゃるとおりでしょう。こんな折りでもないと、東北の一都市などおよそ注目されませんから。我が郷土我が県は、全国的にも各指標でも低い県の部類だと思います。これを契機に、少しは浮上してもらいたいものです。
 前田慶次郎、本多政重は名前も、当然事跡も知りませんでした。今後勉強します。

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月29日 (木) 23時57分

私に確固とした直江像があるなどと言われましたが、とんでもない! 私のような小人にあのような大人物が掴めるはずがありません。凡人なりに「山城守とはあんな人だったのかな、それともこうだっただろうか」と勝手に想像を逞しくしているのに過ぎません。でもこれがまた凡人には楽しいんですわ。
 前田慶次郎(または慶次)については、歴史好きの方にはご存知の方も多いのではないかと思いますが、本多政重という名前は、金沢市周辺以外ではあまり知られていないと思います。金沢の中心部に本多町という区画がありますが、ここは嘗て加賀藩筆頭家老の本多氏(5万石)の広大な屋敷跡にちなんで付けられたものです。その初代が本多安房守政重なんですが私はこの人物に大変興味を持っております。この人、実は徳川家康の側近中の側近、本多正信の次男なんですね。しかもこの人、ある時期兼続の娘婿つまり養子になっているんです。間もなくして縁組は解消されるんですが、その後も兼続と政重は親交を継続しています。何故なんだろう・・・と空想は膨らむ一方で・・・困っています。
 ところで、私は未だ兼続の墓所(林泉寺)のある米沢市へは行ったことがありません。しかし故地である越後高田(上越市)の林泉寺には、隣県で近いこともあり何度か訪れています。少年時代の上杉謙信はここで学問修行に励みました。また、謙信の墓はもともとは此処にありました。居城春日山城はすぐ近くです。以前はよく訪れました。ちなみに、この城の一画にある春日山神社の社務所は、「日本のアンデルセン」と呼ばれた童話作家小川未明が少年時代住んでいた家です。この神社、謙信マニアだった彼のお父さんが建てたのだそうです。たしか鳥居の脇に「春日山神社」と大書した東郷元帥閣下の石碑が建っていましたっけ。ああ、また行きたくなりました。

投稿: くまさん | 2009年1月30日 (金) 17時38分

 いえいえ、凡人とはご謙遜を。くまさん様の宗教や歴史についてのご造詣の深さには、いつもながら感服しております。
 前田慶次郎という御仁は、かの前田利家の義理の甥で、文武両道に優れた武将だったものの、奇矯を好むいわゆる「カブキ者」だったとか。本多政重は私も、「本多姓」から本多正信を連想しましたが、何とその次男だったのですか。
 その本多政重と直江兼続とのただならぬ関係、大変興味深いですね。その辺が、徳川家康に五分の勝負を挑んだ兼続の面目躍如、ある意味策士的なところなのかもしれませんね。政重が兼続の人柄にほれ込んだのでしょうか。
 北陸はもう30年以上前、当時の会社の旅行で訪れただけです。能登、金沢城、東尋坊など。しかしお話うかがっていると北陸にも、ずいぶん歴史的な史跡など多そうですね。またじっくり「歴史探訪」などで行ってみたくなりました。もしその節は、くまさん様ご案内してくださいね。(いつのことやら)
 機会がありましたら、米沢にも是非行ってみてください。名所旧跡保証します。先週の『天地人』の舞台紹介は、米沢でした。街並みが、昔の武家屋敷風にきれいに整備されていました。こちらも改めてじっくり回ってみたいものです。

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月30日 (金) 19時59分

このコラムは歴史に関係していますので、厚かましい話ですが、私なりの歴史観を少々披瀝させて下さい。
 私は、自国の歴史について正しい理解や認識を持つということは、取りも直さず自分の国を愛する、大切にするということだと思っています。一昨年の春、金沢の街を歩いていたら、シドニーから来たという老夫婦の観光客と話す機会がありました。その日は休日だったので、金沢城や武家屋敷など案内してあげたのですが、歴史の浅い国から来た彼らにとって伝統的なものへの憧憬は、我々の想像する以上のものがあります。それ以前にやはりこれと同じ経験を、アメリカ人との場合にもしております。
 日本人が真の国際人になるためには、日本人としての確固たるアイデンティティを持つ必要がありますが、そのバックボーンとなるのは、やはり長年に亘って培われ練り上げられてきた伝統ということになろうかと思います。
 私は、神社や仏閣など物理的な伝統だけではなく、今なお書店の一画に奈良や平安時代の古典文学のコーナーが必ず設けられていることの重要性を強調したいと思います。21世紀の日本に生きる我々が、今なお「春は曙 やうやう白くなりゆく山ぎは少し明かりて・・・」と諳んじられる幸せを、「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは・・・」と諳んじられる幸せを今一度噛み締めたいと思います。そしてたとえ死を目前にしても「風さそふ 花よりもなほ 我はまた・・・」と詠ずる精神を大切にしたいと思っています。すぐれた武将であった直江山城守は、あの第一級の文化人細川幽斎とも対等に渡り合える教養人でもあったといいます。我々が彼に惹かれる理由の一つがここにあります。

投稿: くまさん | 2009年1月31日 (土) 00時15分

くまさん様
 素晴らしいご文です。既にお分かりかと思いますが、ご文当ブログ記事として公開させていただきました。勝手にタイトルを、『私の歴史観-(特別寄稿)』としましたこと、冒頭部分を一部削除ししましたこと。併せて、どうぞご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月31日 (土) 01時17分

大場 様
 はからずもあのような駄文を表に押し立てていただき、いささか驚いております。しかしながら、たとえ一人なりとも意とするところを理解してくださる方がおられたなら、私としては大変嬉しく思います。有難うございました。

投稿: くまさん | 2009年1月31日 (土) 22時18分

くまさん様
 無断転載快くご承諾たまわり、まことにありがとうございます。ついでにご報告致しますが、今回の『私の歴史観』へのアクセスが10余件もありました。(中にはトップ面から直接ご入場の人もおられるため、実際はもっと多くの人がお読みになっておられます)。私としても大助かりです。
 また今後ともくまさん様の「珠玉のコメント」、当ブログ記事として取り上げさせていただくことがあるかも知れません。ご承知おきください。

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月31日 (土) 23時16分

今回あのような拙文を寄稿させて頂いたのは、昨年ノーベル賞を受賞された日本人物理学者のことを思い出したからです。
 悲しいかな、私はコテコテの文科系人間なので、物理学の話など聞いただけで貧血を起こします。でも湯川秀樹博士の大ファン(ミーハー的な表現ですみません!)なのです。私には湯川博士は物理学者というよりも、大思想家という表現の方がふさわしいという気がします。高校時代は先生の随筆を読んでしびれました。
 「自然は曲線をつくり、人間は直線をつくる。」
という一節など今も深く印象に残っています。先生は和歌もよくされましたが、老荘思想(特に荘子)や空海についてのお話は実に深いものです。あのπ中間子理論の発想や後年の素領域の理論も、その奥にはどこかで老荘や仏教哲学(たとえば般若心経)が関係しているのではないかと想像しています。たしかこの湯川先生の素領域の概念が、後に南部博士や益川・小林先生の「ひも理論」に発展して行ったのではないでしょうか。湯川先生のお師匠さんは仁科芳雄先生、仁科先生のお師匠さんが東北大学創設者である長岡半太郎博士。湯川先生の話によると、長岡先生はもし物理学者にならなかったら漢学者になるつもりだったそうな。その長岡博士がスェーデンのノーベル賞選考委員会に湯川先生を推薦したから、日本人初の受賞のとなったのですね。
 話は違いますが、私が俳句というものに関心を持つようになったのも、寒月すなわち物理学者寺田寅彦博士の『俳句の精神』と題する随筆を読んだのがきっかけでした。寒月先生に俳句を入れ知恵したのは、もちろんクシャミ先生ですね。

投稿: くまさん | 2009年2月 1日 (日) 15時34分

くまさん様。またまた素晴らしいご文お寄せいただき、ありがとうございます。(午後から外出致し、返信遅くなりました。)
 まことに勝手ながら、先のご文の続編としてまた当ブログ記事として公開させていただきます。私のこの返信の以下の拙文も一緒に添えさせていただきます。どうぞご了承ください。
 くまさん様ご存知かと思いますが、湯川博士の自叙伝で『旅人-ある物理学者の回想』というのがあります。高校時代感激して読んだことを懐かしく思い出しました。湯川博士のことはあまりよくは知りませんが、中間子理論の発見には、幼年時代の「老子の素読」が目に見えない形で影響している、というようなことを述べておられたようですね。
 「自然は曲線をつくり、人間は直線をつくる」。根源に限りなく迫った深い洞察だと思います。過去・現在・未来と「直線的時間」に束縛されてきた人間は、各種建造物などからもうかがえるとおり、なるほど「直線的かつ不調和なもの」しかつくれませんでした。対して「無時間に属する」自然は、すべてがフラクタル的かつ調和の取れた優美な曲線です。人間は本当に謙虚に、自然界から学ばなければならない時期を迎えているのかもしれませんね。
 

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月 1日 (日) 20時05分

湯川博士の自叙伝「旅人」は、わたしも高校時代に感激して読みました。それから「本の中の世界」とか。ところで私が大学に在学中、博士は2度ばかり金沢市に講演に来られたことがあり、幸いにも間近でお話を聴く機会がありました。一回目のときは益川・小林氏の恩師である坂田昌一先生もご一緒でした。
核兵器の廃絶および「世界連邦」創設の意義を訴えるためでした。湯川先生は小さな声でボソボソと話されるので、大変聴き取りにくかったことを覚えています。その時の博士の印象は物静かな文人といった風でした。また坂田先生の手振りをまじえた、いかにも温厚篤実な語り口も強く印象に残っています。わずかその2年後に永眠されたのは本当に残念でした。

投稿: くまさん | 2009年2月 2日 (月) 23時19分

 坂田昌一はお名前だけ。少し調べてみますと、湯川秀樹、朝永振一郎などと共に京都帝国大学のご出身ですね。京都帝大はなぜか、理論物理学その他の分野で、東京帝国大学を寄せつけないほどの世界的学者を輩出していますね。
 自由な校風と京都の町のトラディショナルな雰囲気そしてかの「哲学の道」逍遥のたまものでしょうか?
 ところで「金沢の大学で湯川博士の講演を…」ということは、くまさん様ご出身は金沢大学ですか?もしそうなら北陸第一の名門国立大で学ばれたわけで、道理で…!
 本日は『私の歴史観(2)』を公開させていただき、ありがとうございました。今後とも『優れたコメントで公開したい』と思った時は、勝手に公開させていただきます。時に単独だったり、私の返信付きだったりするかと思いますが、ご了承ください。(新記事作成の手間が省け、大助かりです。)
 くまさん様との有意義な「意見交換記事」。他のブログには真似の出来ない、当ブログの「売り」になろうかと存じます。

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月 2日 (月) 23時53分

この記事へのコメントは終了しました。

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