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当家は“平家”の流れ !?(1)

 今回の記事は与太話の類いとして、お気楽に読み流してください。
                       *
 今から数年前の夕方のことです。
 私は厚木市内の神奈川県のある出先機関で、書類提出のための順番待ちをしていました。私の前に一人の男性がいて、机を挟んで対面の担当者から、既に提出している各書類のチェックを受けているところです。
 年の頃は私より少し若いくらいの、太った体格の人です。今まで見たことがない顔です。どうも同業者(行政書士)ではなさそうです。

 その人のチェックが済みました。その人は担当者に礼をして、帰りがけに側机の上の受付表をチラッと見て、少し驚いたように私を見ました。そして言いました。
 「おたく、大場さん?」
 「ええそうですが」
 「実は私も大場なもんで、同じ苗字の人がいると思ってびっくりしたんですよ」
 「ああそうですか」
 次が私の番ですから、そのことに先ず気を取られています。それに以前は「大場」という苗字は珍しいと思っていましたが、今では日常でもテレビなどでも大場姓を時折り目にすることがあります。ですから『忙しいのに、それがどうした』というような感じだったのです。

 彼は改めて私に問いかけました。
 「大場さんは(当人も同じ姓のくせして)どちらのご出身?」
 「山形ですが」と、私はいささか面倒くさ気に答えました。しかし次の彼の話には、少々びっくりしました。
 「あヽそうでしたか。山形の大場姓は元は平家なんですよ。私の先祖も山形だったんですが、明治くらいに開拓団で北海道に渡り、以来函館に定着したようなんです」

 ここまで話されて、私も大いに興味をそそられました。しかし私の次に順番待ちしている人はいないとはいえ、担当者をこれ以上待たせるわけにはいきません。私のそんな気配を察知して、その人は出口の方に歩きながらまた言いました。
 「山形の大場家のルーツは上山(かみのやま)ですよ」。そしてドアをまたぐ辺りで、なお私に言ったのは、
 「昔上山に最初にやって来たのは、大場じんない !」
 少し大きな声でそれだけ言うと、彼は去っていきました。

 何やらその人は、私にそれを告げるためだけに現われたもののようで。以来同庁舎に何度行っても、彼に会うことはありませんでした。
 私はその後、その人が言ったことが何となく気になりました。それはそうでしょう。その時まで、山形の山深い村の零落した水呑み百姓の小倅だとばかり思っていたのが、いきなり「平家の血筋」ですから。
 『すると縄文以来代々みちのくという辺境の、まつろわぬ民の末裔ではなかったわけだ』。『あの壇ノ浦の合戦で敗れた平家武者が、遥々山形まで落ちのびて来たというわけか?』。『それじゃあ、このオレだって、世が世であればって、とこだな』。あらぬ想像、妄想がふくらみます。

 それにしても、「大場じんない」という具体名は大いに気になります。『大場じんないは、多分大場陣内だろうな』。ただいずれにしても、もし実在の人物としても、山形くんだりまで落ちのびて来た遥か昔の人物のことなんか、調べるのはとても無理なはずです。
 しかし今回記事にするにあたり、『いくら与太話とは言っても…』と、「大場陣内」でネット検索してみました。そうしましたら、その名前が、110幾つの項目であったのです。何となくイヤな予感がしました。
 
 早速見てみましたら、そのほとんどが昭和32年制作の東映映画『佐々木小次郎・後編』の登場人物としてでした。ちなみにその映画は、佐伯清監督、村上元三原作、主役の佐々木小次郎には東千代之介、宮本武蔵役が片岡知恵蔵という往年の名スターが出ている映画です。肝心の大場陣内(演じたのは清水荘司という役者)というのは佐々木小次郎の敵役で、ともすれば小次郎の命を付け狙うというような殺し屋です。
 『えっ。こんなのが平家の血筋で、オレなんかのご先祖様か?』。私はがっかりしてしまいました。その後なお調べましたら、「架空の人物」で実在ではなかったことが救いと言えば救いです。

 むしろ調べない方がよかったようなものです。あの時のその人の話し全体が、はったりのように思われてきました。何やら与太話の二乗、三乗のような気もしてきました。『この記事は没にするか』。そうも思いました。
 しかしもう深夜もかなり回っています。今さら別の記事を書けそうにありません。そしてあの時の雰囲気からして、彼は大真面目そうだったし…。結局記事として、続行することにしました。どうぞ皆様、今回の与太話に最後までお付き合いください。  (以下次回につづく)  
 (大場光太郎・記) 

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コメント

私は大場さんの頁では、この話が一番好きです。

投稿: 仙人 | 2009年1月17日 (土) 21時44分

仙人様
 こんばんは。そして今回の記事にご賛同いただきまして、大変ありがとうございます。私としては、『ホントに、こんな根拠のない話を取り上げていいんだろうか』と心配でしたので、大変心強く思います。(但しこういう記事は、あまり「視聴率(?)」が取れません。)
 次回分を間もなく公開致しますので、どうぞそちらもお読みください。

投稿: 大場光太郎 | 2009年1月17日 (土) 23時13分

こんばんは☆
たまたまこちらにたどり着きまして、ついついコメント書いてしまいました…あきこと申します
(^▽^)


私も平氏の末裔です☆
うちは桓武天皇の子孫が、今の茨城県に下った折りの平氏です。
平将門が出たとこです(^^)


地名の玉造を名乗っていたそうです。


そのDNAのせいか!?子供の時から今で言う「歴女」でした
(^o^;)

ほんと世が世なら殿と姫でしたね(笑)


平氏は皆繋がってますから、「平氏の末裔会」とかあったら楽しそうですね
(=^▽^=)

ではでは…

投稿: あきこ | 2010年1月20日 (水) 02時45分

あきこ様
 本記事お読みいただき、大変ありがとうございます。あきこ様のご家系は、れっきとした系図のようなものがおありのようですね。桓武天皇直系、平将門の地。間違いなさそうですね。本当に「世が世であれば」、あきこ姫君ですね。
 私の場合は、ずいぶん零落して代々東北の貧しい百姓で、系図のようなものは何もありません。ただ何となく、言われてみれば平家に連なるような気がするのです。
 本当に「平氏の末裔会」があったらいいですよね。あきこ姫様。またお気軽に、お立ち寄りください。

投稿: 大場光太郎 | 2010年1月20日 (水) 03時10分

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