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サーカス

            中原中也

    幾時代かがありまして
    茶色い戦争ありました

  幾時代かがありまして
    冬は疾風(しっぷう)吹きました

  幾時代かがありまして
    今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
      今夜此処での一と殷盛り

  サーカス小屋は高い梁(はり)
    そこに一つのブランコだ
  見えるともないブランコだ

  頭倒(さか)さに手を垂れて
    汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

  それの近くの白い灯が
    安値(やす)いリボンと息を吐き

  観客様はみな鰯(いわし)
    咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

       屋外は真ッ闇(まっくら) 闇の闇(くらのくら)
       夜は劫劫(こふこふ)と更(ふ)けまする
       落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルヂアと
       ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん

  …… * …… * …… * …… * …… * ……
1001

《私の観賞ノート》
 中原中也(なかはら・ちゅうや)。明治40年(1907年)~昭和12年(1937年)。山口県山口市湯田温泉生まれ。無名ではなかったものの、詩壇の中心にいたわけでもなく生前はごく少数の読者がいただけだった。しかし今日では、最も愛誦される近代詩人の一人である。詩人、歌人、翻訳家。350篇もの詩を残し、それらの一部は中也自身が編纂した詩集『やぎの歌』『在りし日の歌』に収録されている。また、『ランボー詩集』を出すなどフランスの詩人の紹介にもつとめた。

 先日観た『K-20怪人二十面相・伝』の前半部分で、主役であるサーカスの曲芸師・遠藤平吉(演じたのは金城武)の凄いトリックで、観客の度肝を抜くシーンがありました。続いてサーカス小屋の薄汚れた舞台裏のようすが描写されました。その時ふとこの詩が思い浮かびました。
 
 『サーカス』は、中原中也が独特かつ繊細な感性でとらえた「中也のサーカス像」です。
    幾時代かがありまして
      茶色い戦争ありました
 何やらサーカスなどの見世物小屋の前口上のような出だしです。この詩は、昭和4年10月号『生活者』に発表された、『山羊の歌』の第一部「初期詩篇」中に収められた作品とのことです。
 ですからこの詩の「幾時代」とは、明治、大正、昭和と移り変わった時代、茶色く変色した写真のように遠い記憶になってしまった戦争とは、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦などを指すものと思われます。幾時代かの回想の冒頭に「戦争」が置かれているのは、注目すべきことであると思います。

     幾時代かがありまして
       冬は疾風吹きました
 「茶色い戦争」「冬は疾風」。これらからうかがえる中也の心象風景の中の「幾時代」は、決して明るいものではなく、むしろ暗い色調を帯びているようです。そんな幾時代が積もり積もって行き着いた果てのような「今夜」。「此処」でのサーカス小屋の賑やかなようすが描かれていきます。

 中也が想像の中でフォーカスしているのは、「見えるともない」一つのブランコです。
    ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 実に独創的なリフレインの揺れの表現です。
    それの近くの白い灯が
      安値いリボンと息を吹き
 これまた何という若々しく斬新な詩的表現なのでしょう ! 意味は今一つ解りかねるとしても。

 「みな鰯」と戯画化された観客たちが一心に見ているのは、そのブランコに体を逆さにして巧みな技を披露している曲芸師です。しかし中也のフォーカスの力点は、なぜかブランコそのものであるようです。

 「戦争と平和」の間を行きつ戻りつしている幾時代。ブランコは、その象徴のようにも思われます。今夜観客たちは、そんな面倒くさいことには思いを致さず、曲芸につかの間の慰安を見出しているけれども…。

 願わくば、私たちの今この現実に、「茶色い戦争」が「リアルで凄惨な戦争」となって揺り戻されて来ませんように。

 (大場光太郎・記)  

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コメント

突然のコメント失礼致します。

この度 弊社で企画・制作致します舞台、
『中也が愛した女』 のご案内をさせて頂きたく
不躾ではありますがコメントさせて頂きました。

誠に勝手で申し訳ございませんが、ブログを
読ませていただき、関心を持っていただければと
投稿いたしました。

下記URLが「中也が愛した女」のサイトです。
http://www.chuyagaaishitaonna.com/
ご興味がありましたら是非お越しくださいませ。

このようなコメントが失礼に当たりましたら大変申し訳ございません。
何卒御容赦くださいませ。

投稿: 『中也が愛した女』 事務局 | 2009年2月15日 (日) 00時29分

『中也が愛した女』事務局 御中
 まあわざわざ、私のとこのようなブログにまでお越しいただきまして ! いかほどの宣伝効果がありますことやら。かえって恐縮です。
 早速貴サイト訪問させていただきました。その他主演の、山田キヌヲさん、池上リョウマさん、溝渕隆之介さんのブログも。皆さん活気がおありでいいですね !
 夭折の詩人・中也なら、さぞかし華やかなロマンスがありそうですね。小林秀雄も懐かしいし。舞台の大成功、お祈り致しております。もし余裕がありましたら、舞台をのぞかせていただきます。『サーカス』には、ボチボチアクセスがありますが、ご期待に添えるかどうかは…。 

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月15日 (日) 01時07分

こちらこそ、あたたかいメッセージをありがとうございます。
この企画を通して、生誕100年を過ぎて尚、「中也の詩」が現代に生きていることを改めて感じております。
来月から稽古も始まります。その様子もサイトにアップして
いきますので、覗いていただければ幸いです。
これからもよろしくお願いします。

投稿: 『中也が愛した女』 事務局 | 2009年2月18日 (水) 13時14分

『中也が愛した女』事務局 御中

 またわざわざ恐れいります。
 そういえば、それまで無名に近かった中原中也を、その死後世に出すのに尽力したのは、親友の小林秀雄でしたね。一人の女性をめぐつて、中也と秀雄の間に何か綱引きや葛藤があったのか、無かったのか。中也の生涯をそれほど知らない者には、興味深いところです。
 外出致しお返事おそくなりましたが。貴ブログ、また時折り訪問させていただきます。

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月18日 (水) 20時52分

 今回トップ面に再掲載するにあたり、中原中也画像を新たに加えました。

 なお中原中也は昭和12年(1937年)10月22日、30歳の若さで没しました。昭和12年と言えば、この年の7月7日「盧溝橋事件」の勃発により日本は本格的に中国大陸に出兵、泥沼の日中戦争に踏み出した年でもあります。

 『サーカス』のテーマの一つは「戦争」だったわけですが、夭折の詩人・中原中也は、刻々に軍国化していく当時の世相、時局をどんな想いで見ていたのでしょうか。

投稿: 時遊人 | 2016年10月 3日 (月) 03時58分

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