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成人式の思い出(1)

 きょう1月12日は成人式の日です。厳しい年に新成人を迎える人たちは、「あのような時代に成人を迎えたことによって気が引き締まり、その後かえってしっかりした人生を築くことが出来た」と、後で振り返れるようであっていただきたいものです。

 私はこの4月某日で満60歳を迎えます。と言うことは成人式から、早40年弱経つことになります。しかしその歳月はまさに「光陰矢の如し」で、成人式は何やらつい先日のことのようにも思われます。我が成人式は、ある出来事により忘れられないものだったからなのかも知れません。
 そこで今回は、私自身のその時のもようをご紹介してみたいと思います。

 私が成人式を迎えた昭和45年は、激動の年でした。
 既にその前年の1月、東大安田講堂攻防戦や同年10月の国際反戦デーの新宿駅での騒乱など、後に「70年安保闘争」「70年学生運動」と呼ばれることになる、全学連メンバーを中心とした学生運動が、首都東京を中心に全国により一層広がる勢いを見せていました。また同年は大学側と学生側が鋭く対立し、東大の受験取り止めという前代未聞の事態まで発生しました。
 そして翌昭和45年は、3月31日に発生したよど号ハイジャック事件、3月から9月にかけての大阪万博、11月25日の三島事件と、これまた重大な事件や出来事が多かった年でした。

 私は「二木紘三のうた物語」の『昭和ブルース』や当ブログの『東海大学湘南キャンパス(2)』などで述べましたように、昭和43年3月山形の高校を卒業した18歳の時に当地(厚木市)にやってきました。
 以来2年経って20歳になっても、東北の田舎者でありどこかに『オレはこんな所でこんな仕事をする人間じゃなかったんだ』という思いもあり、首都圏の一地方都市の生活、業務、人間関係などになじめず苦しんでいた時期でした。
 当地にやって来てからの18歳から20代全般は、我が半生の中でも、とりわけ情けない時期でした。

 だから私には20歳になって成人式の招待状をもらっても、嬉しくも晴れがましくもありません。少し対人恐怖症気味でもあった私は、かえって『あヽ面倒くさいなあ』という気分が先立ったくらいなものでした。かと言って、成人式不出席などという勇気ある行動が出来るわけでもなく。『しょうがないから、出席するか』くらいな、甚だ覇気に欠けた新成人でした。

 会場は厚木中学校の体育館でした。厚木中学は今でもバス通りで、本厚木駅に向う少し手前の右側にあり、以前の記事の中で同校に触れたことがあります。
 1月15日午前10時頃。いよいよ式典が始まりました。会場には私と同年代の男女がびっしりと、パイプイスに座って並んでいます。私は比較的前列で右よりの席でした。私の世代は後に「団塊の世代」と呼ばれることになり、昭和24年生まれはその最後の世代です。それででしょう、体育館がびっしり埋まるほど新成人の数が多いのです。『エェーッ。厚木市にも同じ世代がこんなにいたんだ』。

 式の途中気になってそれとなく周囲を見渡してみると、男も女も皆私などよりしっかりして大人びて見え、私は何となく気後れしてきました。とにかくその頃の私は、自分にまるで自信が持てず、その時も何となく周りの雰囲気に気圧(けお)されがちで、縮こまって晴れの式典に臨んでいたのでした。  (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)

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