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私の歴史観(3)

 今回は、 『天地人』について(2) の私の、大河ドラマは「史実どおりであるべきか否か?」という問題提起に、くまさん様と矢嶋武弘様が感想をお寄せになりました。お二人とも大変示唆に富む内容ですので、以下で公開させていただきます。
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 ご指摘のように、このNHKの大河歴史ドラマというのは日曜日の8時台というゴールデンタイムを占有する国民的ドラマです。したがってその影響力には看過できないものがあります。
 実は、私は以前からこのような実名を冠した歴史ドラマには一種の危惧を抱いている者です。たとえどのように綿密に資料を精査し、どのように綿密に時代考証を重ねても、詰まるところ、原作者や脚本家、演出家の想像の域を出ないものではないかと思います。つまり100パーセント史実に忠実ということはあり得ないということです(まあ、当然ですが)。言い換えれば、この番組はNHKが作り上げた人物像、歴史像を、茶の間の私たちに知らず知らずのうちに植えつけている可能性があるということです。
 この番組は、主人公に人気タレントを起用するのが常であることから、娯楽番組の部類に入ると思われます。だからあまりかた苦しいことをいうのは野暮だという考え方もできます。また、この番組は多くの人に歴史に関心を持たせる良い機会を提供しているではないか、という見方もできます。しかし、物事にはすべて功罪両面があります。その一方で、我々がこの番組により歴史上の人物について固定したイメージを持ってしまう、という危険性をも十分考慮する必要があるように思うのです。
 宮本武蔵という剣豪は確かに存在しました。しかし私たちが知っている武蔵像は、ほとんど吉川英治の宮本武蔵ではないでしょうか。実は昨年の秋、富山市にある水墨美術館という所で、細川家伝来のコレクション(永青文庫)の一部の展示会がありました。たまたま私が訪れたとき、現当主の細川護煕元首相が来館しておられ、殿おんみづから縷々説明がありました。その折武蔵の水墨画についての話のあと、小説の巌流島の決闘の描写は当家に残された資料とは少々異なるが、小説のほうが一人歩きしてしまったのでそのままにしてある、という話をしておられました。真実の歴史を知るのは至難の業だと痛感した次第です。
 (くまさん・記)
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 小姓の身分の直江兼続が織田信長と直接対面するなんて有り得ないことですが、テレビの歴史ドラマは往々にしてそういう場面がありますね。あれはやり過ぎだと思います。
 ただ、今の視聴者はどうせ「娯楽もの」と割り切って見ていますから、それを本当と思い込む人はまずいないと思います。だからと言って、あまりに荒唐無稽なことはして欲しくありません。NHKの大河ドラマは1年間放送しますので、とにかく脚本の成否にかかっていると思います。(半年ずつにすると、製作費が膨大になるのでしょう)
 歴史に興味を持ってもらうという点では、史実と多少異なっても良いと考えます。それに、ドラマは「歴史学」とは別次元のものなので、あまりに荒唐無稽なもの以外は大目に見ても良いのではないでしょうか。

 昔、NHKの大河ドラマで、信長に扮した高橋幸治が大変な人気になり、本能寺の変が近づくにつれて、主に女性ファンから「信長を殺さないで!」という声がNHKに殺到しました。
 いくら何でも信長を生かして、光秀や秀吉を殺すわけにはいかないので、NHKは史実どおり本能寺で信長を死なせました。ただし、本能寺の変の放送は予定日より遅れてしまったのです。ドラマとはそんなものです。やはり「娯楽」でしょう。
 要は面白いかどうかですが、今の『天地人』は前の『篤姫』に比べるとやや劣っている感じがします。まあ、大目に長い目で見ていくつもりですが。
 (矢嶋武弘・記)

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コメント

小姓の身分の直江兼続が織田信長と直接対面するなんて有り得ないことですが、テレビの歴史ドラマは往々にしてそういう場面がありますね。あれはやり過ぎだと思います。
ただ、今の視聴者はどうせ「娯楽もの」と割り切って見ていますから、それを本当と思い込む人はまずいないと思います。だからと言って、あまりに荒唐無稽なことはして欲しくありません。NHKの大河ドラマは1年間放送しますので、とにかく脚本の成否にかかっていると思います。(半年ずつにすると、製作費が膨大になるのでしょう)
歴史に興味を持ってもらうという点では、史実と多少異なっても良いと考えます。それに、ドラマは「歴史学」とは別次元のものなので、あまりに荒唐無稽なもの以外は大目に見ても良いのではないでしょうか。

昔、NHKの大河ドラマで、信長に扮した高橋幸治が大変な人気になり、本能寺の変が近づくにつれて、主に女性ファンから「信長を殺さないで!」という声がNHKに殺到しました。
いくら何でも信長を生かして、光秀や秀吉を殺すわけにはいかないので、NHKは史実どおり本能寺で信長を死なせました。ただし、本能寺の変の放送は予定日より遅れてしまったのです。ドラマとはそんなものです。やはり「娯楽」でしょう。
要は面白いかどうかですが、今の『天地人』は前の『篤姫』に比べるとやや劣っている感じがします。まあ、大目に長い目で見ていくつもりですが。また、何かありましたら投稿します。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年2月11日 (水) 15時47分

矢嶋様
 この度は貴重なご感想お寄せいただき、大変ありがとうございます。既にお分かりのとおり、お説本記事として、くまさん様の次に載せさせていただきました。どうぞご了承ください。
 なお私は、文章を「段替え」する際は冒頭部一字分のスペースを空ける主義ですので、まことに勝手ながら、そのようにさせていただきました。(文学青年の頃の名残りかな?)それから末尾文は削除しました。また今後とも優れた内容のご感想ありましたら、勝手ながら記事として公開する場合があるかもしれません。併せてご了承ください。
 

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月11日 (水) 18時41分

 矢嶋様の御所見、興味深く拝見しました。これを私なりに要約させていただければ以下のようになるかと思います。

 NHKの大河ドラマはあくまでも歴史上の人物に素材を借りた「人間ドラマ」という性格のもので、「歴史学」の番組ではない。だからよほど荒唐無稽なものでない限り、多少史実と違っていたところで問題ではない。第一いまどきあれが史実だと思って観る人はいないだろう。要は観て面白いかどうか、それがすべて。ただそれを左右するのは脚本の出来如何だ。『篤姫』にせよ『天地人』にせよ、「ドラマ」として楽しければそれでよいではないか。

たしかに、これが大人の態度、常識的な見方というものでしょうね。どうやら私の見解は偏狭に過ぎるようです。

投稿: くまさん | 2009年2月12日 (木) 23時22分

 矢嶋様からのお返事がないようなので、私から一言。
 確かに大河ドラマ一つ取ってみても、感想、受け取り方は各人各様ですね。私は今回どちらかというと、記事を面白くするために、少し批判的に述べてみましたが。
 物事をより複眼的、多角的、高所的立場から見る。これが、私たちの日常のいついかなる場合でも大切な姿勢ですね。特に大河ドラマに限らず、テレビというものは、得てして「受身的」になりやすいメディアです。それを常に意識していないと、テレビは視聴者にとって(あるいは送り手の誰かにとって)格好の「マインドコントロール装置」になってしまいますから。
 

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月13日 (金) 17時12分

追伸です。
「あまりに荒唐無稽なもの以外は大目に見ても良いのでは」と先に述べましたが、基本は出来るだけ史実に忠実であるべきだと思います。例の兼続と信長の場面は、先にも述べたように「やり過ぎ」だと考えます。ただし、あれで兼続と信長の信条の違いがはっきりと分かったということでしょうか。
概して自信のない脚本家や演出家が、あえて史実を捻じ曲げることがあると思います。面白く見せようという魂胆ですが、それも見る側の個人差で許容範囲が違ってくるでしょう。
本当に自信のある脚本家だったら、史実に忠実であっても興味深く見せる技量を持っていると思いますが。

それよりも、時代によってドラマの作り方が大きく違ってくる方が問題ではないでしょうか。
例えば、戦前であれば足利尊氏は“逆臣”であり悪い奴となっていたはずです。しかし、尊氏が悪くて、新田義貞や楠木正成が“忠臣”であり善人だと決めつけて良いのでしょうか。大いに疑問です。戦後のドラマではそんなことはありませんが、時代や体制によって人物像が大きく変わる可能性があります。脚本や演出以前に、その方が大きな問題です。
しかし、われわれ人間はその時代の体制や常識などに拘束されているため、ドラマ自体がその時代を“反映”するものと理解した方が良さそうです。
戦前よりは戦後の方が良いと思いますが、例えば女性の扱い方、見方も大きく変わったはずです。戦国時代に女性があんな言い方、あんな動作をするはずがないと思っても、現代人はそれをあまり疑わずに受け入れてしまう所があるのではないでしょうか。これも厳密に言えば史実とは違いますが、時代状況によってそれが自然に受け入れられるということでしょう。ドラマもその時代を“反映”するものだと思います。
思いつくまま述べました。また、機会があれば投稿します。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年2月14日 (土) 13時23分

 矢嶋様。またまた貴重なご所見をお寄せいただきありがとうございました。大変示唆に富む内容と思われますので、また近々に『私の歴史観(4)』として公開させていただきたいと存じます。
 その際は一部削除などの件、ご了承ください。
 なお、「兼続と信長の信条の違い」をはっきりさせる狙いがあった、というのはそのとおりかと思います。私も実はそう感じていました。多分そのための、「苦肉の演出」だったのだろうと思います。更には兼続のバックにいる、「謙信と信長の違い」ということを。この個所は、まことに勝手ながら少し加筆させていただきます。ご了承ください。
 

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月14日 (土) 13時43分

了解しました。お任せいたします。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年2月14日 (土) 21時03分

 お言葉に甘えまして、早速15日付けで公開させていただきます。

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月14日 (土) 23時47分

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