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『天地人』について(2)

 NHK大河ドラマ『天地人』は順調に物語が進み、2月8日放送分で第6回となりました。前回の第5回は「信長は鬼か」、そして今回は「いざ、初陣」。いずれも、「天下布武(てんかふぶ)」を掲げて着々と覇権を手中に収めつつある、織田信長が絡んでストーリーは展開されていきました。

 私は第5回を観て、『少し面白くなってきたぞ』と思いました。一概に大河ドラマといっても、年令や性別や好みなどにより、受ける感想はさまざまだと思います。日曜の夜全国のお茶の間で観ている夥しい視聴者の、たった一人に過ぎない私なら―
 やはり大河ドラマは、ドラマの時代を代表する登場人物とそのライバルによる、交流、対立、あつれき、抗争、戦闘などをつい期待してしまいます。今回の『天地人』のように、激動の戦国時代が舞台ならなおのこと。そのプロセスでの心理的駆け引き、実際の戦闘シーンなどに、『今日でも通用する普遍的な教訓とは何だろう?』というような観点からつい観ているのです。

 今進行中のドラマでは、それは上杉謙信VS織田信長という構図です。共に戦国時代を代表する歴史的人物です。
 演じているのは謙信役に阿部寛、信長役に吉川晃司。『天地人』は上杉藩の変遷に力点を置いて進められていくドラマですから、謙信の阿部寛の方がより強烈で個性的な人物として描かれており、対して吉川晃司の信長はそれよりやや迫力不足のように感じます。
 
 その中で、妻夫木聡演じる主役の直江兼続(この時はまだ樋口与六)はその頃15歳、元服前後の一小姓にすぎません。そんな兼続は謙信に直訴して、天正2年(1574年)5月上杉家の使者の一行に加わり、織田信長の居城である岐阜城を訪れる設定にしています。
 そして初音という信長方のくノ一(女忍者・架空の人物ー長澤まさみ)の手助けにより信長と会見し、その席で謙信直伝の「義の精神」をぶちかまします。信長は「古くさい !」と一喝し、兼続は危うく一命を落としそうになります。その危機を佐吉(後の石田三成ー小栗旬)が救い、生涯代わらぬ友情が芽生えます。

 これはもちろん史実ではありません。いくら後の大知恵者・直江兼続でも、わずか15歳前後(現代でいえば中3か高1)の洟垂れ小僧が、大信長に何の能書きを垂れられるというのでしょうか?第一序列厳しい戦国の世で、謙信も直属の主君・上杉景勝(北村一輝)も、たかが小姓身分の者に信長謁見など許すはずがありません。
 ドラマの主人公を、このような架空の物語の中にねじ込むのは、いかがなものかと思います。まあ大河ドラマそのものが、歴史物に名を借りた作り話(フィクション)と思って観れば、そんなに目くじらを立てるほどのことでもないのかもしれませんが。

 しかし大河ドラマという「国民的ドラマ」は、20代以下のこれから日本史を本格的に学んでいくことになる若い世代もけっこう観ているようです。その時戦国時代のことなどほとんど白紙状態の彼らに、間違った歴史認識を植えつけることになりはしまいか?最近の戦前・戦中史の方向性のこともチラッと頭をかすめつつ、ついそんな余計なことを考えたりします。

 歴史ドラマを面白くするために、主役に時として架空の行動を取らせる―これも確かに、ドラマ作りの一手法なのかもしれません。しかしまるで門外漢の私から言わせていただければ。そんな安直な手法に頼るよりは、主役なら主役の綿密な歴史考証を重ねて、史実を極端に捻じ曲げずに実際にあった事実を深く掘り下げて描ききる―この方がずっと、視聴者の感銘を深くするのではないだろうかと思いますが。

 (追記) 今回は第5回、第6回をまとめて述べるつもりでしたが、紙面が尽きてしまいました。第6回のことは、近いうちまた記事にしたいと思います。
 (大場光太郎・記) 

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コメント

大場 様
 大場様が指摘されたように、このNHKの大河歴史ドラマというのは日曜日の8時台というゴールデンタイムを占有する国民的ドラマです。したがってその影響力には看過できないものがあります。
 実は、私は以前からこのような実名を冠した歴史ドラマには一種の危惧を抱いている者です。たとえどのように綿密に資料を精査し、どのように綿密に時代考証を重ねても、詰まるところ、原作者や脚本家、演出家の想像の域を出ないものではないかと思います。つまり100パーセント史実に忠実ということはあり得ないということです(まあ、当然ですが)。言い換えれば、この番組はNHKが作り上げた人物像、歴史像を、茶の間の私たちに知らず知らずのうちに植えつけている可能性があるということです。
 この番組は、主人公に人気タレントを起用するのが常であることから、娯楽番組の部類に入ると思われます。だからあまりかた苦しいことをいうのは野暮だという考え方もできます。また、この番組は多くの人に歴史に関心を持たせる良い機会を提供しているではないか、という見方もできます。しかし、物事にはすべて功罪両面があります。その一方で、我々がこの番組により歴史上の人物について固定したイメージを持ってしまう、という危険性をも十分考慮する必要があるように思うのです。
 宮本武蔵という剣豪は確かに存在しました。しかし私たちが知っている武蔵像は、ほとんど吉川英治の宮本武蔵ではないでしょうか。実は昨年の秋、富山市にある水墨美術館という所で、細川家伝来のコレクション(永青文庫)の一部の展示会がありました。たまたま私が訪れたとき、現当主の細川護煕元首相が来館しておられ、殿おんみづから縷々説明がありました。その折武蔵の水墨画についての話のあと、小説の巌流島の決闘の描写は当家に残された資料とは少々異なるが、小説のほうが一人歩きしてしまったのでそのままにしてある、という話をしておられました。真実の歴史を知るのは至難の業だと痛感した次第です。

投稿: くまさん | 2009年2月10日 (火) 23時27分

くまさん様
 またまた秀逸なご感想を、ありがとうございした。私の拙い所見を後方支援していただき、心強く思います。
 私はつい先ほどまで、記事作成に大わらわでした。出来上がり、『さあ公開するか』と思いましたら、くまさん様の新コメントが目に入りました。私の所見を更に深く掘り下げて論を展開されています。また申し訳ありませんが、『私の歴史観(3)』として即採用させていただきました。ご了承ください。
 私の記事は明日に見送ります。

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月11日 (水) 01時03分

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