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やったぞ ! 『おくりびと』!!

 『おくりびと』が、第81回アカデミー賞・外国語映画賞を受賞しました。そのことにつき、以下にくまさん様と私のやりとりを記します。
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 「おくりびと」、やりましたね。地元のローカル放送では、滝田監督の実家が映し出され、ご両親や近所の人たちの喜んでいる様子が流れていましたよ。いかにも日本の田舎らしい情景でほほえましくなります。日本では、当然ながら、各メディアともこの受賞を大きく取り上げていますが、当のアメリカではどうなんだろうとニューヨークタイムズのオンライン版を覗いてみると、取り上げられているのは真のオスカー賞受賞作(best picture)に選ばれたslumdog millionairの記事がほとんど。申し訳程度にDirector Yojiro Takita -- surrounded by the cast of "Departures" -- hoists the trophy for best foreign language film という記事に添えられた監督やモックン、広末サン達の写真が掲載されているだけでした。これが、現実でしょうね。
 この「おくりびと」につきましては、少々思うところもありますので、実際に映画を見た上であらためてコメントすることをお許しいただけたらと思っております。
 (くまさん・記)
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 ええ、やりましたね。既に記事として取り上げていた上に、くまさん様のおかげでロケ地が山形であることが分かって、私としても何か他人事でないような嬉しさがあります。くまさん様も、原作者・青木新門氏、滝田監督共に富山の人とあって、感激もひとしおのことでしょう。
 『おくりびと』。英語題では「Departures(ディパーチャーズ)」つまり「旅立ち」という意味らしいですね。彼岸への永遠の「旅立ち」。それをお見送りする仕事。「死」という普遍的なテーマを深く厳粛に描いたことが、文化や言葉の壁を越えて高く評価されたのでしょうか?
 今回の受賞もさることながら、既に海外36ヵ国・地域での公開が決まっているとのことでこれまたすごいですね。

 また関連で知ったことには。『おくりびと』は、そもそも主役を演じた本木雅弘の企画から始まったもののようです。今から十数年前たまたま旅先で見た葬儀の光景がヒントになったとのこと。納棺師の青木新門の『納棺夫日記』を読み込み、現役納棺師の特訓も受けたとのことです。
 だいぶ前なら、「シブがき隊」の「モックン」の愛称でしたが。彼のアイディアが具現化され、遂に世界中が注目するアカデミー賞の晴れ舞台の上。人間的に何段階も成熟度が増し、実に引き締まった良い顔をしていましたね。
 それに奥さん役の広末涼子。早稲田の学生の頃は、奇行が目立ち周りの顰蹙をかい、『この娘どうしちゃったんだ。壊れちゃったのか?』と思ったものでした。その後結婚などを経て立派に再生、新生し、これまた一世一代の晴れ舞台。彼女、とても輝いていましたね。
 
 更に滝田洋二郎監督。スタートはマイナーなピンク映画からだそうです。斜陽化時代の映画界の厳しさを知る、たたき上げの苦労人ですね。日本映画界のヒットメーカーでありながら、これまでは国際映画賞とは無縁。それが『おくりびと』で、カナダのモントリオール映画祭、日本アカデミー賞そして本場アカデミーと各賞総なめで、国際舞台に大きく羽ばたきました。ようやく、日の当たるべき人に日が当たったという感じですね。
 その他脇を固める役者さんたちも、山崎努、余貴美子、吉行和子、笹野高史…。それぞれ味のあるいい役者さん揃いです。
 
 後は「観てのお楽しみ」ですね。ええ、また観てのご感想など是非どうぞ。
 (大場光太郎・記)

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コメント

大場 様。
「おくりびと」観てきましたよ!
高岡市内のシネコンで観たのですが,大変な混雑でした。同時上映のマンマミーアなど誰も見向きもしないで「おくりびと」目指してまっしぐら。さすが滝田さんの地元です。
で、この映画の感想ですが。
この作品がアカデミー賞外国部門に選ばれた理由を私なりに考えてみました。
 まず、テーマが人間の死という人類共通の問題を扱っているためか、内容が大変わかりやすかったということです。死に対面したときの人間の心情というものは、洋の東西でそう変わるものではないでしょう。重いテーマを扱っていながらも、ここでは不必要な深刻さは避け、比較的淡々と描いていました。それゆえに却って、「生」「死」というものの自然なありようを、素直に観る者に考えさせる効果を生んでいます。(この点は北野武などの作品と大いに異なるところではないかと思います。)
 次に、葬儀における日本的な様式美を強調していたことが印象的でした。ことに山﨑努が粛々として遺体を清め死装束を施しそして納棺にいたる所作・作法には、どこか和敬の心を基本とする茶の湯の心(更には禅の精神)に通じるものを感じさせます。それで思い出すことがあります。千利休の高弟にはキリシタン大名あるいはそのシンパが多いのが特長です。その一人である高山右近は前田家の客将として、ここ高岡城の築城にあたった人ですが、彼が茶の湯に傾倒した理由のひとつに、茶の湯の静謐さがカトリックのミサの精神に相通じるものがあったからだと聞いたことがありますが、さもありなんという気がします。
 また俳優陣の好演技が光りました。
主演の本木雅弘は、彼の真摯な性格が演技にも素直に表れて画面を引き締め、対する広末涼子の抑えた演技にもとても好感を持てました。笹野高史の飄々とした味も実にいい。しかし何といっても圧巻は、NKエージェント社長(主人公の雇い主)の山﨑努の圧倒的な存在感でしょう。主人公には人を食ったような態度を見せながらも、人の嫌がる死体処理という仕事を、淡々と、しかし死者に対する畏敬の態度は寸分も崩さず、粛々と遂行して行くさまは、納棺師に身をやつした菩薩行にも見え、人生の師匠として無言の教えを垂れているようにも見えます。
 それともうひとつ、冬の庄内平野という日本的風土を背景にしながら、主人公がチェロを奏でるシーンが多いのも印象的でした。和と洋の静かな融合、このあたりがアカデミー会員の情感を刺激した一因かもしれません。むかし学生時代に「音楽の友」と言う雑誌で目にした記事が忘れられません。それは当時来日中だったウィーン国立歌劇場の舞台監督(?)の談話でしたが、「永年モーツァルトの『フィガロの結婚』を上演する最適の場所を探し求めてきたが、やっと見つかった。それが実は法隆寺の庭なのだが、当局が許可してくれるだろうか。」というものでした!
 アカデミー賞というのは、「健全な」アメリカ映画の向上発展を目的に創設された賞だそうですが、この作品は十分それに値すると思われます。
ところで・・・。
 実は私はこの映画を観ることに或るためらいがありました。というのは青木新門氏がこの映画とは距離を置くスタンスをとり続けておられたからです。周知のように「おくりびと」のPRパンフレットにも映画のエンドロールにも、原作のタイトルや青木氏の名前は一切出て来ません。青木氏と本木君が出遭ったのは15年前ですが、原作を読んで感銘を受けたモックンの真摯さと強い熱意にほだされて映画化を承諾したものの、完成までに15年もの年月を要したのには、それなりの事情があったものと思われます。そして試写会で作品を観た青木氏の感想はこのようなものだったそうです。「映画としては大変よく出来ている。しかし『納棺夫日記』とは別個のものだ。」と。先に「納棺夫日記」を読んで強い感銘を受けていた私には、この著者の言葉がずっと気にかかっていました。しかしアカデミー賞受賞という快挙を成し遂げた現在、青木氏は心から本木君の労に敬意を表し、関係者に祝福の言葉を送っておられます。
 今私は映画化されて良かったと思っています。マスコミの報道でも、映画の基となった原作を読みたいという人が大幅に増えていると報じられていることを、大変喜ばしいと思っています。青木氏はこの映画を高く評価していますが、一方で自身の「納棺夫日記」とは一線を画しています。しかしそれが作家の良心、矜持というものであり、私はその姿勢に深い共感を覚えます。
 ところで先にも触れましたが、この映画では主人公がチェロを奏でるシーンが多用されていますね。これは私の単なる憶測ですが、青木新門氏は宮沢賢治に深く傾倒しておられます。ひょっとして脚本家がそのあたりを斟酌して、チェロを愛用した賢治のイメージを主人公に投影させようとしたのではないか、などと例のごとく空想を逞しくしています。
 それにしても映画で観る庄内地方の冬景色は富山県(とくに東部)の景色にそっくりですね。滝田監督が以前ローカルラジオ番組で、山形でロケをしているが時々富山と錯覚することがある、と言っていたのが解ります。
 最後に、「おくりびと」に感動された方々には是非、青木氏のホームページを訪問されて、扉に貼られた少年の写真に注目していただきたいと思っています。

大場様、大変長冗舌を揮ってしまいました。無礼のほどどうかお許しください。(くまさん 記)

投稿: くまさん | 2009年2月25日 (水) 15時40分

 本日昼過ぎから横浜に行ってきました。少し前戻ったところです。
 くまさん様、早々『おくりびと』ご覧になられたようで。それに含蓄に富む、素晴らしい感想を…。非のうちどころがありませんね。日本アカデミーでの助演男優賞の山崎努の圧倒的な演技力、原作の青木新門氏の映画への微妙な距離感など…。私も今週末には観る予定ですが、もう私が感想を載せるまでもなさそうです。
 また明日は、私の横浜小紀行を載せる予定でしたが。急遽変更して、くまさん様のご文を公開させていただきます。
 だいぶ長文ですから、まことに勝手ながら適当に「段替え」や「冒頭一文開け」をさせていただきます。
 上ご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月25日 (水) 20時03分

大場様
コメントの分限をわきまえぬ長駄文の寄稿、あらためてお詫びいたします。「非のうちどころの無い」とはまた何たるお戯れを。穴があったらアルゼンチンまで潜りたくなる心境です。
私としても是非大兄のご感想をうかがいたいと思っています。
実は一昨年父が他界したのをはじめ、昨年今年と相次いで身近な人間を見送っており、この納棺の儀式には何度も立ち会ったことから、つい力が入ってしまいました。このような駄文、どのように料理されようとどうかご随意に。 (くまさん)

投稿: くまさん | 2009年2月25日 (水) 21時37分

 たびたびのコメント、恐れ入ります。
 今回ご文の公開は、私の感想などなしで載せたいと思います。かなりの長文ですし、それに何ごとか私が加えることもないほど完璧な内容かと存じます。
 今後ご文につき何か述べたくなりましたら、その場合は別記事で、ということにさせていただきます。ご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2009年2月25日 (水) 23時27分

諒解いたしました。

投稿: くまさん | 2009年2月25日 (水) 23時43分

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