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節分のこと

    節分の闇にものゐる気配かな   (拙句)

 ここのところ寒い日が続きましたが、節分のきょうは久しぶりで暖かい一日となりました。当地でも午前中から昼過ぎまでは、まるで「うららかな」と形容しても良いような暖かい晴天でした。
 午後街角で、奥さん2人が立ち話をしていました。通りすがりに、「きょうは3月上旬頃の陽気らしいわよ」「道理で暖かいわけよねぇ」。聞くともなしにそんな会話が聞こえてきました。

 とある家の庭先の梅の木の、細い枝々がしなやかに下へ下へとしだれて、見事なうす紅梅をいっぱい咲かせていました。そこはよく通る道なのに、きょう初めて梅の開花に気がつきました。私が今まで気づかなかっただけなのか、それともきょうのぽかぽか陽気に誘われてにわかに開花したものなのか。
 花といえば水仙は、少しでも春を先取りせんとばかりに、南に面した日当たりの良い土手などには、気の早いことに12月から群生で咲いていました。また花屋さんの店先には、黄花、赤花など色とりどりの春の色が溢れかえっています。
 そんな花々を眺めていると、「どこかで春が生まれてる…♪」兆しを感じます。

 本来「節分(せつぶん・せちぶん)」は、「季節を分ける」ことを意味しており、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを言いました。しかし江戸時代以降は、特に「立春の前日」を指すようになりました。

 今さら申すまでもなく、節分といえば「豆まき」です。昼頃のニュースでは、恒例の成田山新勝寺の「節分会(せつぶんえ)」の豆まきのようすが映し出されておりました。当ブログでも取り上げていますように、大相撲は今若麒麟の大麻事件で大騒動です。しかしこの日ばかりは、朝青龍、白鵬の両横綱が、デンと据えつけられた巨大桝から塩ならぬ豆をむんずとばかりに掴んで、つめかけた大観衆ににこやかにぶんまいていました。
 境内の会場ではまた、NHK大河ドラマ『天地人』で主役の直江兼続役の妻夫木聡と、将来奥方となる直江家の息女・お船(おせん)役の常盤貴子も、揃って豆をまいていました。
 幸いうららかな天気に恵まれた今年の豆まき。出来れば大荒れが予想される今年一年の「世の中模様」を、きれいさっぱり祓ってもらいたいものですが…。

 なお余談ながら、「鬼は外」の「鬼」に関して興味深いお話を―。
 「艮の金神(うつとらのこんじん)」とは、お筆先(『大本神諭』のこと)で有名な大本教における根源神です。その教義では艮の金神は、実は神代に悪神たちによって艮(うしとら-鬼門・東北の方角)に押し込められた神で、本当の御名は日本書紀にもその名が見られる「国常立大神(くにとこだちのおおかみ)」のことだとしています。
 そして我が国で上古から「追儺(ついな)」という悪霊祓いをしたり豆をまいて鬼を追い払う習俗は、厳正無比なこの神を二度とこの世に出さないために「鬼」に仕立てた名残りだと言うのです。(だから本当は、「福は内」なら「鬼も内」だと)。
 近代日本の霊的巨人・出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう-本名:上田喜三郎)は、出口ナオ教祖の補佐をするにあたり、艮の金神から「出口鬼三郎(でぐち・おにさぶろう)」と名乗るよう命じられます。しかし「いくらなんでも、“鬼”はあんまりでございます」とばかりに、神との交渉(?)の結果「王仁三郎」に決した経緯があります。
 (大場光太郎・記) 

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