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私の所感(1)

 『第22回・サラリーマン川柳』について、くまさん様と大変有意義な意見交換ができました。そのほぼ全文を、以下に公開させていただきます。
                         *
 第一生命の「サラリーマン川柳」は、私も毎年楽しみにしているファンの一人です。思わず噴出したり、ニンマリしたり、身につまされたりと、本当に秀逸な作品が多いのに驚かされますね。笑いは何より心のゆとりの証しですし、ウイット、諧謔は知性の閃きです。それにつけても痛感するのは、日本の政治家に見るこの方面での素養の乏しさです。国会での答弁のやりとりにも、いま少しこの精神がほしいところです。麻生太郎氏のお祖父さんなどは、英国仕込のウイットがありましたね。私は川柳も好きですが、狂歌や都々逸も大好きです。(シブ過ぎますか!)
 ところで今日、北陸でも春一番が吹きました。春といえば、私の大好きな蜀山人のこんな狂歌があります。
 『 早蕨の 握りこぶしを振り上げて
     山の横づら はる風ぞ吹く 』
 また、毎週土曜日のNHKラジオでやっている「織り込み都々逸」という番組も好きでよく聞きます。ちなみに、私の一番好きな都々逸はこれです。
  『 あきらめましょうよ あきらめました
      あきらめ切れぬと あきらめた 』(都々逸坊扇歌)

 大場様は都々逸のほうはいかがですか?

       投稿: くまさん | 2009年2月13日 (金) 22時00分

 私は都々逸や狂歌はさっぱりです。
   三千世界の烏(からす)を殺し 主(ぬし)と朝寝がしてみたい
 高杉晋作が好んで口ずさんでいたという、この歌は狂歌でしたか、都々逸でしたか?
 俳句も川柳も都々逸も狂歌も。元をたどれば皆々「和歌」に行き着くのでしょうね。ですから、一つにこだわらずに満遍なく探索してみると、人生の諸相が一段も二段も味わい深いものになるのでしょうが…。
 ところでだいぶ以前、太田蜀山人の逸話を少し聞きかじったことがあります。蜀山人は、若い頃から読んだり人から教わったりして、心に残った言葉を亡備録としてこまめに記録し、そのため後に博覧強記を賞賛されたとか。
 くまさん様の博覧強記も、かなりのものです。大いに刺激になります。
 

       投稿: 大場光太郎 | 2009年2月13日 (金) 23時29分

 「三千世界の烏を殺し・・・」は、七・七・七・五の形式を踏んでいますから都々逸ということになります。
 川柳で思い出したのですが、昨年の12月にベルギーの新首相に選ばれたヘルマン・ファンロンバウという人は、俳句をたしなむ風流人という一面をもつ、という報道記事を眼にしました。俳句といってもオランダ語のベルギー風「ハイク」らしいのですが、こんな句(?)が紹介されていました。
    『 髪と風 何年たっても風はある 残念ながら髪はない 』
 これはハイクというより「センリュウ」というべきでしょうね。

       投稿: くまさん | 2009年2月14日 (土) 10時09分

 「三千世界の…」は都々逸でしたか。それにしても気宇広大な内容ではあります。たかだか六尺にも満たない肉の身でありながら、「心的体」は無限大に広がっている感覚ですね。
 俳句は今や「HAIKU」。国際的な拡がりをみています。東欧圏では特に盛んなようです。しかしどうしても「言語」の壁が立ちはだかります。日本語であるがゆえに、五七五の表記ができるのであって、他の言語ではそれは適わないわけですから。西洋などの原詩を邦訳する際の、隔靴掻痒の感をぬぐえないのです。
 「俳句の精神」の何たるものかさえ理解してくれていれば、「俳句もどき」でも「川柳もどき」であっても、致し方ないと思われます。
 

       投稿: 大場光太郎 │2009年2月14日 (土) 12時56分

 東欧の国ではHAIKUの愛好家が多いという言及をされましたが、そのことで思い出したことがあります。もう10年程も前になりましょうか、NHKで旧ユーゴスラビアから独立したボスニア(だったと思います)で勃発した内乱についての特集番組が放送されました。それまで仲良く暮らしていたムスリム系・セルビア系・クロアチア系の住民が民族や宗教上の対立からお互いに反目し合い、コミュニケーションが全く途絶えてしまいました。そのとき唯一彼らを結びつけることが出来た糸が、HAIKUでした。銃撃戦の合間でも句会による交流があったのです。撮影をゆるされた或る会員の家の戸棚の上に、大事そうに芭蕉の肖像画が飾られているのを観た瞬間、私は言いようの無い感動に打たれました。それは私に俳句というものの力を再認識させてくれた瞬間でした。
 それ以来、言語の違いという致命的な壁を超えてなにか普遍的な力が俳句の中にあるのではないか、それは一体何なのか、俳句というものをここまで魅力的な詩の一形式として確立した松尾芭蕉とは一体どんな人だったのか、また俳句をあえて「第二芸術」と言った桑原武夫先生の本当の意図は何だったのか等々、考えるようになった次第です。

       投稿: くまさん | 2009年2月14日 (土) 21時45分 

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