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雪に埋もれし我が故郷(3)

    がうがうと木立に深山(みやま)吹雪かな   (拙句)

 当時太郎村で住んでいた家は、北の下荻の方から流れてくる吉野川沿いの平らな土地にありました。この吉野川は、母の実家(私の生家)のある水林が源流です。そのためその昔米沢上杉藩は、水源としての水林部落を重要視したのだろうと思われます。
 
 古代中国の伝説の王、尭(ぎょう)舜(しゅん)の昔から、「水(河川)を治める者は国を治める」と言われ、治水事業は古今東西の為政者にとっての重要課題だったわけですから。
 余談のついでに。現在「吉野石膏株式会社」という住宅建材メーカーの大企業があります。タイガーボードのテレビCMでおなじみの会社ですが、この社名はこの吉野川から採られているのです。というのも、同社の創業者一族は宮内町出身だからなのです。(いつかまた、その辺をもう少し詳しくお話できればと思います。)

 吉野川は、太郎村ではまだ川幅も狭くせいぜい10m弱くらいなものだったでしょうか。冬中川原は一面雪に覆われ、その中を一筋の川が黒く冷たく流れているのでした。雪の中家の前で近所の同じ年頃の子供たちと一緒に、何かをして遊んでいた記憶がありますが、さてどんな遊びだったのか?今となってはよく覚えていません。
 川の向うは西の小山になっていて、川の際から山全体に杉の木が植えられていました。春先は我が家の外で立って見ていると、川近くの低い所の杉が風であおられて茶色い花粉を振りまくさまが見てとれました。しかし「花粉症」というオシャレな病気になる者など誰一人いませんでした。
 また真冬の夜中などに、杉の枝に積もった雪がどさっと落ちる音が聞こえてきたりしました。

 父がまだ元気だった頃は、根雪になって野良仕事が出来なくなると土間でよく藁打ち仕事をしていました。父は亡くなる前の2年ほど床に臥せっていましたから、私が5歳頃の記憶ということになります。そうして打って柔らかくした藁を編んで、蓑(みの)やハケゴ(農作業用などの藁製かばん)を作って売っては、冬場のわずかな収入にしていたようです。
 母は囲炉裏端で、小作の畑から採れた大豆を煮込んでは、それを藁に包んで昔風の自家製納豆こしらえなどをしていました。何やら『母さんの歌』の一節が思い起こされてくる、そんな生活ぶりでした。

 一度父に連れられて、真冬に東の方の山に行ったことがあります。山深くに当家の炭焼き小屋があったのです。父も私も「かんじき」という、雪の中を歩くための、木製の丸くて大きなゲタの親分のようなものを履いてです。履き慣れない私と一緒ですから、父もさぞ難儀な道行だったことでしょう。
 今となって考えますに、父は余命が長くないことを覚って、父としての仕事ぶりを長男である私に見せておきたかったのかもしれません。
 
 一面雪また雪の山の道なき道を行くのです。ただ木立の幹ばかり黒々として、本当にしーんとした静寂そのものの世界です。けっこう歩いて、だいぶ山深くに炭焼き小屋はありました。

 とにかく貧困な小作農ですから、生計のためには何でもしていたようです。都市ガスやLPガスなどがまだ普及していない昭和30年前後は、炭は重要な燃料でした。それで当家に限らず、冬場炭焼きをする農家は多かったものと思います。
 確か当時高価な炭と言えば「サクラ炭」だったかと思います。しかし当家で作っていたのはそんな高級炭ではなく、その山にいくらでもある楢の木を雪が降る前に切って積んで置いたのをくべて炭にする、安価な「ナラ炭」の類いではなかったかと思います。

 その時の詳しいようすは覚えていません。しかし周りが真っ白な景色の中、炭を焼くカマドだけが赤々と燃え盛っている、その炎の色が何となく記憶に残っています。(以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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コメント

 郷里の親戚から漏れ伝わる話では、近年郷里も雪がだいぶ少なくなったそうです。通信衛星が贈ってくる日本列島の映像でも、夜でも列島全体が光の塊りのように浮かび上がっています。「不夜列島」が、最近の温暖化傾向の一つの要因でもあることでしょう。
 しかし今冬ばかりは事情が違うようです。北極圏に発する大寒気団が大陸を経由して列島にまで伸び、次々に襲いかかり、北海道から山陰まで広い範囲で記録的な降雪に見舞われています。
 郷里をはじめとする豪雪地帯の方々は難儀でしょうが、雪解けまでどうぞご辛抱ください。

投稿: 時遊人 | 2011年1月31日 (月) 06時13分

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