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私の歴史観(2)

 前回の文を寄稿させて頂いたのは、昨年ノーベル賞を受賞された日本人物理学者のことを思い出したからです。
 悲しいかな、私はコテコテの文科系人間なので、物理学の話など聞いただけで貧血を起こします。でも湯川秀樹博士の大ファン(ミーハー的な表現ですみません!)なのです。私には湯川博士は物理学者というよりも、大思想家という表現の方がふさわしいという気がします。高校時代は先生の随筆を読んでしびれました。
 「自然は曲線をつくり、人間は直線をつくる。」
という一節など今も深く印象に残っています。
 先生は和歌もよくされましたが、老荘思想(特に荘子)や空海についてのお話は実に深いものです。あのπ中間子理論の発想や後年の素領域の理論も、その奥にはどこかで老荘や仏教哲学(たとえば般若心経)が関係しているのではないかと想像しています。たしかこの湯川先生の素領域の概念が、後に南部博士や益川・小林先生の「ひも理論」に発展して行ったのではないでしょうか。
 湯川先生のお師匠さんは仁科芳雄先生、仁科先生のお師匠さんが東北大学創設者である長岡半太郎博士。湯川先生の話によると、長岡先生はもし物理学者にならなかったら漢学者になるつもりだったそうです。その長岡博士がスェーデンのノーベル賞選考委員会に湯川先生を推薦したから、日本人初の受賞のとなったのですね。
 話は違いますが、私が俳句というものに関心を持つようになったのも、寒月すなわち物理学者寺田寅彦博士の『俳句の精神』と題する随筆を読んだのがきっかけでした。寒月先生に俳句を入れ知恵したのは、もちろんクシャミ先生ですね。
 (くまさん・記)

 (上記ご文への返信)
 くまさん様ご存知かと思いますが、湯川博士の自叙伝で『旅人-ある物理学者の回想』というのがあります。高校時代感激して読んだことを懐かしく思い出しました。湯川博士のことはあまりよくは知りませんが、中間子理論の発見には、幼年時代の「老子の素読」が目に見えない形で影響している、というようなことを述べておられたようですね。
 「自然は曲線をつくり、人間は直線をつくる」。根源に限りなく迫った深い洞察だと思います。過去・現在・未来と「直線的時間」に束縛されてきた人間は、各種建造物などからもうかがえるとおり、なるほど直線的かつ不調和なものしかつくれませんでした。対して「無時間に属する」自然は、すべてがフラクタル的かつ調和の取れた優美な曲線です。人間は本当に謙虚に、自然界から学ばなければならない時期を迎えているのかもしれませんね。

 (追記) くまさん様がまたまた素晴らしいご文をお寄せになりました。そこで『私の歴史観(2)』として再び公開させていただきました。なお今回は、私の返信の一部も掲載させていたたきました。
 (大場光太郎・記)

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