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雨水(うすい)

    早春の街日があふれ人あふれ   (拙句)

 きょう2月18日は、暦の上の「雨水」です。雨水は二十四節気の一つで、太陽黄経が330度の時のことをいいます。空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃ということから、この呼び方がされるようになりました。暦便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれり」と記されています。
 この時節から寒さも峠を越え、いよいよ春に向うと捉えることもできます。また今年は少し早めでしたが、例年はこの頃に春一番が吹き、鶯が鳴き始める地方もあります。雨水は昔から、農耕の準備を始める目安とされてきました。さらにこの日に雛人形を飾りつけると良縁に恵まれるとも言われています。

 なおこれまで二十四節気のそれぞれを述べるさい、たびたび「太陽黄経」という用語を用いてきました。これを簡単にご説明致します。
 太陽の天球上における見かけの通り道を、黄道(こうどう)といいます。そしてこの黄道が南から北へ交わる方を春分点といい、その点を起点(0度)として黄道を360度に分けたものが「黄経(こうけい)」です。

 雨水のこの日、神奈川県県央地区の当厚木市は、朝からすっきりした晴天に恵まれました。とは言っても、昼過ぎ外に出てみますと、風はやや強く吹いていてどちらかといえばまだまだ薄ら寒い北風のよう。
 つい何日か前は四月頃のぽかぽか陽気の日もありました。しかし、今週はまだ「一気に春には向わせんぞ ! 」と、冬帝が最後の抵抗を見せているような具合の日が続いています。

 昨年5月頃近所の『水路道』のことを記事にしました。またその前、道の片側の土の所で、去年最初のふきのとうが2、3個大きく芽を出しているのを発見したのは、2月10日のことでした。その時のようすは、「二木紘三のうた物語」の『サーカスの唄』コメントの末尾に記しました。
 きょうは既に2月18日。しかしふきのとうはまだなのです。いえ、この先永久に芽吹くことはないでしょう。なぜなら、この冬砂利が敷かれていたスペースに、緑色の除草マットを施し、その上に改めて砂利を敷きなおしたからなのです。道の中央部コンクリートの両側それぞれ十メートル長くらいです。

 砂利まじりの土の所でも、春から秋にかけてありとあらゆる雑草が繁茂します。ですからそういう施工をすれば、雑草は生えず見てくれもすっきりします。しかし同じく5、6月頃の『黒アゲハ』『小さき花』記事で述べたような、可憐なピンク色の花の姿も、黒アゲハの姿ももう見かけることはないでしょう。
 これまで何度か述べましたが、こうしてわが町の「身近な自然」は年々歳々狭められていくのです。

 高度経済成長期さんざん公害をまき散らかした、いわゆる一流企業は近年になってにわかに、「地球にやさしく」などとテレビCMなどで呼びかけています。
 しかし、この際はっきり申し上げておきます。各国際機関、我が国政府、大企業、各行政機関、各種メディア…。どれ一つとして、「ガイア」という「巨大な意識体」とはまるで波長が合っていません。同調出来ていないし、また同調しようともしません。
 これが何を意味するのか、皆様よくよくお考えください。

 三寒四温のこの季節、自然界の多くの生命は、来るべき本格的な春の季節を前に、地面の下で、木の枝々の中で、どこかの野山の穴ぐらで、じっと身を潜めている象(かたち)です。そんな中、春の先駆けの紅梅、黄梅、白梅が、家々の庭先などで見かけられるのは、嬉しいことです。
 (大場光太郎・記)

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