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2009年3月

桜の名句(1)

              松尾 芭蕉

    さまざまのこと思い出す桜かな

 …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 桜のシーズンのこの季節。「桜の名句」を私の独断と偏見で何句かご紹介していきたいと思います。
 俗に「富士山の句に名句なし」と言われるように、桜の名句もなかなか生まれづらいと思います。桜は富士山がそうであるように、共通の日本人の心情あるいはイメージが共有され過ぎていることによるものと思われます。
 そうとうユニークで斬新な視点から「桜」を詠まない限り、先人の誰かの句の模倣の域を出ないばかりか、日本人誰しもが共有している桜のイメージすら超えることが出来ないからです。といっても、奇をてらった句では、よけい変な句になってしまいます。そう考えますと、『桜を詠むのはホントに難しいよな』と思ってしまいます。
                        *
 松尾芭蕉は、誰も文句のつけようのない完成度の極めて高い名句を数多く残しました。そんな芭蕉にしては、何の技巧もなく単純素朴に「桜」を詠んだ句です。その意味でこの句なども、「名句か、凡句か?」と論議を呼びそうです。

 この句は元禄元年(1688年)芭蕉が奥の細道の旅に出る1年前、故郷の伊賀の国(現在の三重県伊賀市)に帰省した時に詠まれた句です。その地で、思い出の桜を実際目の当たりにして詠んだものと思われます。

 「思い出の桜」とは、芭蕉がまだ武士だった若い頃、主君だった藤堂良忠の花見の宴に招かれ、その時藤堂家の庭に咲いていた桜のことです。だからこの句の「さまざまのこと思い出す」とは、その桜の木が触媒のように作用して、良忠の近習として使えていた若かりし頃の自分自身あるいは今は亡き主君のことなどが、フラッシュバックのように次々に思い返されてきたということなのかもしれません。

 主君・藤堂良忠はその花見の宴の後、25歳で急逝してしまいました。そしてその時23歳だった若き日の芭蕉(本名・松尾宗房)は、主君の野辺の送りが終わった後、武士の身分を捨てて「俳諧の道」で生きていく決心をするのです。
 もし主君の死に直面しなかったなら、その後松尾宗房は生涯武士のままだったかもしれず…。そうすると我が国の歴史は松尾芭蕉という俳聖を持つこともなく、私たちが数々の名句に接することもなく、今日に至る俳句というものもまたなかったかもしれません。

 ともかく芭蕉は一俳諧師となるため、当時の厳しい封建社会にあってあえて脱藩の罪を犯して、故郷の伊賀を後にしたのでした。自分よりわずか年上の主君の若すぎる死に、世の無常を痛感したものか、それ以前から俳諧の道への止みがたい希求があったものなのか。

 芭蕉は、「風雅の道」の先人である西行法師(1118年~1190年)を生涯敬愛していました。その西行も20代前半まで、鳥羽院を警護する北面の武士(俗名・佐藤義清)でした。西行はやはり23歳の時意を決して武士を捨て、出家しその後の人生を僧侶、歌人として諸国を放浪しながら生きていくことになるのです。

  願わくば花の下にて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃
                                     (西行法師)
 歌人と俳人の違いはあっても、共に「風雅を極めん」との志は同じ。芭蕉は西行が出家したいきさつなども既に知っていて、敬愛する先人の跡を慕おうとしたものなのでしょうか?

 芭蕉ではないけれど。桜花というものは、確かに「さまざまのことを思い出」させる作用があります。私自身もそうです。郷里での子供の頃、山に咲いていた山桜や校庭の桜のこと。当地に来てから何度も見てきた桜、それにまつわる思い出。特に数年前母を荼毘に付すべく向う途中、相模川沿いの桜並木が満開で「母の最後の花道」のようだったこと…。
 そういう意味で、桜の持つこの不可思議な「思い出喚起作用」をズバリ言い当てている点、この句は平凡な句のようでありながら『なかなかどうして』と思います。

 (大場光太郎・記)      

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『天地人』について(6)

 NHK大河ドラマ『天地人』は今、前半のクライマックス「御館(おたて)の乱」の真っ最中です。我が郷里(山形県東置賜郡)の昔々の領主にあたる上杉家の、深刻かつ凄まじい内乱です。世が世なら「面白い」などとは言えない話です。しかし今日あくまで歴史ドラマとして観ている分には、大変興味深いものがあります。

 視聴者の多くがそう思って観ているようです。というのも、それを示すかっこうの指標があるからです。以前『天地人について(3)』でご紹介しましたが、グーグルにおける「天地人 おもしろくない」の検索フレーズがそれです。その時点ではグーグルの同検索フレーズは57万件余もありました。それが今回改めて調べたところ、5万7千件余と約10分の1にまで減少していたのです。(なおグーグル同項目のトップ面上から4番目に、『天地人について(3)』が載っています。)
 やはり戦国ドラマには迫真の戦乱絵巻こそふさわしい。その緊迫した場面を中心にテンポ良くストーリーを展開していく。そうすれば私たち視聴者が飽きたり、つまらなく感じることはない。この検索件数の推移からみてもそう言えそうです。

 また『天地人について(3)』において、今回の『天地人』では主人公の直江兼続役の妻夫木聡をはじめ、その弟・与七役の小泉孝太郎、石田光成役の小栗旬など、今大人気の「イケメン俳優」を並べすぎていると指摘しました。そしてそれが、直江兼続など各登場人物の人物像にマッチしていない(すなわちミスマッチである)と批判してきました。(なお私は、イケメン俳優を締め出せなどと言っているのではありません。適材適所。彼らは現代ドラマなどでいくらでも活躍の場はあることでしょう。)
 この点でも私と同意見の人がおられるようです。ある人の同記事訪問の際の検索フレーズが、その時の当ブログのアクセスランキングに載りました。それは痛烈なものでした。
   天地よ イケメン贔屓の世よ 幾久しく豊かなれ !!

 以前ならば「イケメン」いわゆるハンサムボーイ、美男子は、映画俳優など特殊な世界ならともかく、一般社会でそれが有利に働くことはあまりなかったと思います。かくいう私も若い頃は多少はハンサム、美男子の部類だったと思いますが(自分のウヌボレ以外に、人からそう評されたことが何度かありますので)、それが私自身の実感です。
 男は外見よりも中身。当時の上げ潮経済の状況から、ズバリ「仕事がどれだけ出来るか、出来ないか」。それが世の中の価値判断の第一の基準だったと思います。
 第一印象の良さで、女性には少しはもてたかな?というのはあります。しかし女性にとって最後は「男は顔じゃないよ。心だよ」、『この人ホントに私をずっと大切にしてくれるかしら?』という内面の問題。あるいはズバリ生活力、経済力の有無に帰着するものと思います。
 しかしこれらは、ある意味まっとうな価値判断であったように思われます。

 そのような社会通念が打ち崩されていったのは、何といってもテレビという視聴覚特に「視覚」に強力に訴えかけてくる装置が、メディアの主体となったことが大きいと思います。私の世代ではあまりよく分かりませんが、アイドル歌手、ジャニーズ系、国民的美少女…。内面的評価は度外視して、すべては外見的な見てくれの良さに価値基準がずれていったように思います。
 初めはテレビの送り手側が仕掛けたこと。しかしいつしかそれを国民視聴者も受け入れ、求めていきそれが昂じると、良いお年のご婦人方が大挙して韓国にまで「ヨン様」を追っかけていく始末。嗚呼、「イケメン贔屓の世よ。幾久しく豊かなれ !! 」。

 さて今回(第12回)は「命がけの使者」。既に御館(おたて)に本拠を移し、春日山城を包囲し持久戦をもくろむ上杉景虎(玉山鉄二)の軍。対して春日山城に立てこもり、兵糧が尽きかけている上杉景勝(北村一輝)の軍。既に戦いは長期戦です。
 今回は主君・景勝軍の窮状を打開すべく、単独で桑取部落に援助を願いに行く、直江兼続の姿が描かれました。桑取は謙信が春日山を守る最後の要(かなめ)に据えた村。しかしこの半農半兵の者たちは一筋縄ではいかぬ連中。兼続は桑取の主・斎京三郎右衛門らに取り囲まれ、険悪な空気の中命がけの説得を試みます。
 この場面、兼続役の妻夫木聡はよく演じていました。これは素直に評価したいと思います。
 (大場光太郎・記)   

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桜あれこれ

    「花冷え」と語り人過ぐ夜道かな   (拙句)

 昨26日は、あろうことか当地では雪がぱらつきました。春だというのに小寒い一日。その春冷をきょうも引継ぎ、朝方はまるで冬に逆戻りしたかのような寒い朝となりました。
 しかし午前も9時を回った頃から、少しずつ日差しが射してきて、それとともに春本来の暖かさを取り戻してきました。

 私は本日業務上の所用で、当居住地からあちこち飛び回りました。この季節どうしても目がいくのは、萌え初めた自然のさま、なかんずく桜の開花のようすです。当厚木市近辺の桜の開花状況は、おおむねやっと一分咲きといったところでしょうか。
 そんな中で昼過ぎ頃、隣町の伊勢原市のとある所の一本の桜が目に止まりました。その桜は、他の桜に先んじて二、三分咲きくらいで花が咲いていたのです。
 
 私は近くの路上に車を停めて、その木の近くに寄ってしばし見入りました。かくも桜というものは、私たち日本人にとって、何と訴求力の強い花であることか。思わず知らずぐいぐい惹きつけられ、ついつい見上げ、見入ってしまいました。
 その時分春の日は燦々と輝き、その陽光を浴びて開花したての、ほんのり紅みをおびた白い花びらたちの、何と初々しいこと。なにやら、えもいわれぬフローラの香気をまとったような花々のようすでした。

 午後3時過ぎ、既に日は翳(かげ)って曇りがち。これも隣町の愛川町に向うべく中津川沿いの道を走っていました。川沿いの平らな河川敷に、桜並木が続いています。ここの桜は当地標準でまだ一分咲き程度。しかし並木の切れる辺りの場所で10人弱くらいの人たちが、気の早いことにお花見をしていたらしく、お開きにして青い大きなビニールシートをたたんでいる光景を目にしました。
 また夕方4時過ぎ頃、例の相模川側道の「母の最後の花道」を通りました。2、300m続く桜並木は、全体が幾分ぼうっと赤みがかっているものの、やはり一分咲きくらい。ここの桜が満開になれば、例年恒例のとおり今年も必ずまた通ることでしょう。
                        *
    久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらん
                        (『古今集』紀友則)
 この歌の「花」とは、いうまでもなく桜のことです。「桜」はなぜこんなにも、日本人の心にフィットしまた心揺さぶり妖しく心高ぶらせるのでしょう?(以下はまったく私の独断を交えた考えです。)
 「花といえば桜」ということになったのは、平安時代以降のことと言われています。それ以前の奈良時代の代表的な花は、梅でした。だから『万葉集』で梅は歌われても、桜はほとんど出てきません。この切り替えに一体何が作用したのでしょう。決定的なのはやはり「仏教の無常観」だと思われます。さらに平安期、その仏教思想から我が国独特な考え方として「もののあはれ」が貴族たちの間から生まれていきます。おそらくこの考え方に、開花時期が短くまるで散り急ぐかのように一斉に散ってしまう桜が、平安貴族のもののあはれの美意識にマッチしたものなのでしょう。

    敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山さくら花
                           (本居宣長)
 国学の巨星・本居宣長(もとおり・のりなが)以降幕末の志士たちの頃になると、この歌のように、桜に対する考え方は大いに違ってきます。今度は桜の散り際が、大和魂の潔さに結びつけられていったのです。
 「もののあはれ」と「大和魂の潔さ」と。平安朝以来連綿として続くことになった、日本人の「桜信仰」のようなものは、こうして幾重にも積み重なって醸成されてきました。それは、ユング心理学でいう「民族的集合意識」となって、膨大に集積されてきたもののようです。親から子へ、子から孫へ…。言わず語らずとも以心伝心的に、桜を見れば日本人なら誰でも共通のあるイメージが喚起される、そう言えそうです。

 現在日本各地に見られ、今や「これが桜だ」ともいえる桜は、染井吉野。これは江戸末期江戸の染井村(現在の豊島区)の植木屋が売り出し、そこから急速に全国に広がった、比較的新しい桜です。片や平安貴族が愛でた奈良県吉野村に代表される桜は、山桜。こちらの千古の吉野の桜は、近年病害虫に荒され絶滅の危機に瀕しているようです。また染井吉野の方も、山桜ほど強い品種ではないため、そう長くは続かないと言われています。
 意外にも私たちのこの時代は、「花=桜」という、平安朝からの共通意識の変換時期を迎えているのかもしれません。

 (大場光太郎・記)

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私の所感(7)

 過日の『やったぞ ! 侍ジャパン !! 』について、くまさん様が含蓄に富むコメントを寄せられました。以下に御文を公開致します。

                        *

 大場様も言われるとおり、WBCでの「侍ジャパン」の活躍は私たちに多くの希望と勇気を与えてくれましたね。正直のところ私も内心、今回の優勝はむづかしいのではないかと思っていました。しかし結果は本当に感動的な優勝で締めくくられました。

 この勝利の要因について私なりに考えてみました。野球の専門的な話は、私には話す資格がありません。私がひとつ思ったのは、「”侍”ジャパン」というネーミングが成功したのではないか、ということでした。「星野ジャパン」でも「原ジャパン」でもない「”サムライ”ジャパン」として、選手一人ひとりが「侍」を自覚、意識したのではないか、そんな感じを受けたのです。日本男児がチームとして世界を相手に闘うとき、各人に勇気と責任感を奮い立たせる精神的な原動力となるのは、21世紀でもやはり「サムライ魂」なのでしょう。この傾向は日本人よりもむしろ、王監督や衣笠選手、ダルビッシュ選手のように純粋に日本を愛する人の方に多く見られるように感じるのは私だけでしょうか。

 ところで選手達に一つだけ注文があります。「サムライ」と言うのであれば、勝利に大喜びするだけではなく、実に勇敢に闘った韓国チームに対する敬意のパフォーマンスも見せてほしかった。真の武士であれば、惻隠の情というものを大切にするはずですから。

 (くまさん・記)

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客舎青青柳色新たなり

    送元二使安西  (元二の安西に使するを送る)

          王維

  渭城朝雨浥軽塵   渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)軽塵(けいじん)をうるおす
  客舎青青柳色新   客舎青々(かくしゃせいせい)柳色(りゅうしょく)新たなり
  勧君更尽一杯酒   君に勧む更に尽くせ一杯の酒
  西出陽関無故人   西のかた陽関(ようかん)を出ずれば故人なからん 

                                  (原詩の一部の漢字を新字体で表記しています)
  …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 王維(おうい) 699年~759年または701年~761年。太原(現在の山西省太原)出身。中国盛唐期の高級官僚にして、盛唐を代表する詩人。同時代の詩人李白は詩仙、杜甫は詩聖と称されるのに対して、王維は詩仏と呼ばれた。(南北朝時代の)南朝以来続く自然詩を大成させた。王維はまた画家、書家、音楽家としても名をはせた。 (フリー百科事典『ウィキペディア』「王維」の項より)

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 桜の花もやっと咲きはじめのこの季節、野山はまだほんの「笑いかけ」で、うすぼんやりとくすんだ緑色にすぎません。そんな中柳の木ばかりは、しだれた枝々にみずみずしい若葉を芽吹かせています。
 ことに、市街地からだいぶ外れた郊外を流れる小河川の堤防沿い。そこに柳の木が連なってでもいようものなら、思わず息を飲むほどの柳若葉の風情です。

 さてこの詩についてです。知人の元二(元家の二男の意)が、公務で安西に使者として旅立つのを見送った時の情景を詠んだ詩です。この詩の季節が春であることは間違いないと思われます。しかし盛春(新緑)なのか晩春(深緑)なのかはハッキリしません。ただ二句の「客舎青青柳色新」から推察するに、どちらかといえば晩春の候だったのかなと考えられます。
 詩全体のおおよその意味は以下のとおりです。
 
 ―渭城に朝降った雨は、舞い上がる塵を潤して(抑えて)いる。安西に旅立つ元二の送別の宴のために入ることとした客舎(旅館)の庭に生えている草木は、朝雨のため青々としていて、分けても柳の緑葉は甦ったように生き生きとした新たな色合いを見せている。
 (転句である三句で、場面は変わって客舎の中の宴)。さあ、元二氏よ。もう一杯飲み乾したまえ。この先西の方の陽関の外に行ってしまえば、もう知り合いは誰もいなくなるのだから。

 この七言絶句は、第一句、第二句が特に絵画的です。わずか十四文字で、客舎周辺のようすがくっきりと視覚的にイメージされてきます。

 渭城とは、渭水のほとりにあった秦、漢の時代の都・咸陽(かんよう)のことで、現在の咸陽市よりやや西にあった都のようです。そこから元二は渭水沿いに西へ向い、やがて現在の蘭州付近で黄河を渡り、河西回廊を通って敦煌に到り、その南の陽関からいよいよ西域(シルクロード)に出てやっと安西にたどり着くルートを経たようです。
 安西には当時、安西都護府という唐の西域の前哨基地が置かれていました。唐の首都・長安から2,500kmという、遙か彼方の辺境の地です。

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(「陽関」跡地 現在、陽関そのものは砂漠の下に沈んでいる)

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 結句の言外にひそませている想いとして。送る王維も、送られる元二も別離の情は例えようもなかったと思われます。ことに、これより千里の彼方の砂漠に旅立たなければならない元二にとって「客舎青青柳色新」は、心底目にしみたことでしょう。

 ただ「使い(使者)」であることが、救いといえば救いです。かの地の都護府役所での用向きが済めば、ある程度の滞在期間の後戻れることになるはずだからです。これが「赴任」だったとしたら、そうはいきません。古(いにしえ)の王昭君(おうしょうくん)や李陵(りりょう)のように、かの地に骨を埋める覚悟で旅立たなければなりませんから。

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(「王昭君」画像)

 (注 王昭君は紀元前1世紀頃の前漢の宮女。匈奴の王の妻となるべくかの地に送られた。中国四大美女の一人。 李陵は漢の武帝の時の将軍。匈奴との戦いで善戦するも、敵に寝返ったと誤解され、帰国を果たせずかの地で没した。)

 この詩は、後世中国版『蛍の光』のような別離の歌として、民衆に広く歌い継がれていったようです。現代中国でも、必ず学校で教えるそうです。そういえば私は数年前、厚木市の某出先機関の「ビデオライブラリー」の一つとして、NHK『漢詩紀行』の「王維編」を借りて観たことがあります。その中で初老の男性が、この詩を音吐朗々と吟じていたのがとても印象的でした。

 (大場光太郎・記)

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やっばり変だよ ! 東京地検 !!

 たまたま見た昨24日のココフラッシユ某カテゴリの中の、『イチローは○一郎は●』という見出しに目が吸い寄せられました。タイムリーでなかなか秀逸なタイトルです。このタイトルを見ただけで、何を言いたいのかピンときます。
 「イチローは○」とは、(日本時間)同日行われたWBC決勝戦での延長10回表の、ジャパンを勝利に導いた2点決勝タイムリーを放ったイチローのことです。これはきのうの記事『やったぞ ! 侍ジャパン !! 』でも触れましたが、日本球史のみならず世界ベースボール史にも永く残るかもしれない大金字塔となる一打で、誰も異存はないと思います。

 そして「一郎は●」とは、民主党代表の小沢一郎を指しています。奇しくもWBC連覇のニュースで持ちきりの夜のテレビ各局の次が、小沢一郎関連のニュースでした。
 この日小沢代表の秘書の大久保隆則を、東京地検が起訴しました。これを受けて小沢代表は夜9時半すぎ民主党本部で会見を開き、「日本に本当の議会制民主主義を定着させることが(私の政治家としての)大目標。皆と力を合わせて、これからも頑張っていきたい」と、代表継続の意志を表明しました。また「私は収賄等の犯罪には手を染めていないと繰り返し申し上げてきた」と言い切り、鬼瓦のような目(?)から涙がこぼれました。

 これを受けてココログブログのさるブロガー氏は、小沢一郎の方は●と評価したわけです。ココログブログとしてはまた津川雅彦が自身のブログで民主党を痛烈に批判しているようですし、その他のブロガーも小沢代表続投にはどちらかというと冷ややかな見方が多いようです。
 また続投会見のもようを報じた各テレビ局コメンテーターの論調もおおむね、小沢氏にはやや厳しい論調だったと思います。

 私は当ブログで、大久保秘書逮捕直後からこの問題は何度か記事にしてきました。その中の「米国圧力説」は一先ず置くとして、私は一連の記事で東京地検の甚だ公正を欠いた捜査に、一貫して疑問を呈してきたつもりです。西松事件については、金額の多少はあるとしても、小沢代表側と似たり寄ったりの疑惑の自民党大物議員がぞろぞろいます。初めから「小沢一郎狙い撃ち」の感がどうしてもぬぐい得ないのです。

 今回の大久保秘書の起訴事実は「収支報告書の虚偽記載のみ」という軽微な犯罪です。多くの法曹関係者が疑問を投げかけているように、逮捕も起訴も極めて異例です。それについての検察側の言い分は「規正法の趣旨に照らし、重大、悪質な事案と判断した」(谷川恒太東京地検次席検事)。だとしたら、当ブログでも既に取り上げた、「裏金(つまり収賄)」という二階経済産業大臣の極めて悪質な事案はどうなのでしょう?
 秘書の逮捕や二階氏本人からの事情聴取を、今もってまったく行っていません。これは漆間官房副長官が漏らした「自民党には捜査が及ばない」という、現政権(麻生総理)と検察トップの密談が文字通り事実であったことを、世間に周知しているようなものではないでしょうか。

 東京地検も法務省管轄下の、レッキとした官僚組織です。小沢民主党は、かねてから民主党が政権を取れば霞ヶ関(中央官僚組織の牙城)に130人の議員を送り込むと公言してきました。そんなことになれば官僚は既得権益を奪われ、大パニックです。検察も霞ヶ関の官僚で、政官癒着のただ中にあります。そこで「中央官僚の総意」を受けて、小沢民主党の政権交代潰しにかかったと見るのが、妥当なところなのではないでしょうか?

 そして今回の事件では、マスコミ各社の報道姿勢も大いに問題です。今回は国策捜査という言葉は使いません。しかし「不公平捜査」くらいの表現は許容されるでしょう。なのにマスコミは、そのことをきちんと掘り下げて報道せず、ただ東京地検のリーク情報を垂れ流すのみ。小沢代表と民主党のイメージダウンに一役かっています。というよりも、官僚や政権寄りの世論形成に最大の貢献をしています。おそらく麻生総理はじめ自民党・公明党幹部らは、してやったりとにんまりでしょう。
 何も今に始まったことではありませんが。このような大新聞、テレビの大政翼賛的報道からも、『今は昭和初期と酷似 !?』との憂慮と危惧を深くせざるを得ません。

 (追記) なおこの問題は、乗りかかった船です。今後また大きな動きがあり次第、当ブログでは徹底追跡をしてまいる所存です。
 (大場光太郎・記)

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やったぞ ! 侍ジャパン !!

 日本時間24日午前10時過ぎ、WBC決勝戦が行われました。我が侍ジャパンが、宿敵・韓国を延長のすえ5-3で撃破し、至上命題だった連覇を見事達成しました。今回のこの連覇は本当に、スポーツ史に残る大偉業だと思います。

 私は決勝戦の前、準決勝のアメリカ戦を9-4と撃破した段階で、『これで日本は優勝出来るんじゃないの?』と思いました。野球発祥国・アメリカ相手に、日本は本当に強いゲーム運びをしていました。欲しい先取点を先に奪われても、怯まず恐れず。すぐさま同点とし、並びざますぐ抜き返す。そして後は、アメリカが追うのをあきらめざるを得ないほどどんどん引き離す。私は観戦していて、日本は本当に強くなったなと実感しました。
 私は知りませんでしたが、今回の日本の勝利が、国際試合でアメリカに勝った初めてのケースだそうです。戦後間もなくの頃の日米親善試合から始まり、コテンパンにやられ通しで「アメリカに追いつき、追い越せ」。以来苦節60年。今回の準決勝勝利は、「アメリカを追い越した」瞬間だったのではないだろうかと思いました。

 当初私はどちらかというと懐疑的でしたが、WBC監督・原辰徳。認識を改めなければなりません。さすがかつて高校野球で東海大相模を数々の栄冠に導いた名将・原貢(はら・みつぐ)の子息だけのことはあります。父親の指揮官としての能力のDNAをしっかり受け継いだということなのでしょう。
 特にアメリカ戦あたりから用い始めた、序盤でのヒットエンドラン作戦。戦況を冷静に把握し、状況突破のためには時として思い切った作戦も取る。また決勝戦で9回裏に韓国に同点に追いつかれても、何ら動揺するそぶりなし。緻密さと大胆さ。優れた指揮官ほどこの両方を兼ね備えていると思いますが、原監督には今回その片鱗を垣間見ました。

 原監督は巨人軍監督そして今回のWBC監督と、華のある立場で優秀な逸材が揃った戦いには、この上ない指揮官であることが今回証明されました。(いくら人材をキラ星の如く集めても、使い切れず「持ち腐れ」にしてしまう指揮官もいますから-誰とはいいません)。しかしおそらく、弱小へぼチームを一から作り上げて強くしていく、そういうタイプのリーダーではないようです。
 余談ながら、何でも私ごとに引きつけてしまいますが。原辰徳は、小学、中学時代と当厚木市に住んでいました。厚木市立南毛利(なんもうり)中学校から、相模原市に越して東海大相模高校へ進み、それからの活躍は皆様よくご存知のとおりです。

 やはり肝心な場面では、千両役者・イチローでした。前回も申しましたとおり、侍ジャパンは「イチローのチーム」です。重要な試合、重要な場面であるほど、イチローが打つか打たないかでは天と地ほどの差になってきます。また自身の今後にとっても、天地雲泥の分かれ道。そういうところで最高の結果を出せる。類い稀な強運とスター性を感じます。
 それが今回の決勝戦では、同点に追いつかれた10回表のツーアウト走者二、三塁の場面。粘りに粘って決勝2点タイムリー。これこそがイチローの真骨頂というものです。もしあの場面でイチローが打てていなかったら、ほぼ間違いなく韓国の勝利となっていたと思われます。

 またあの場面、一塁岩村の二盗により二、三塁になった段階では、セオリーなら先ず「世界のイチロー歩かせ」て、満塁にして次の中島と勝負だったでしょう。しかし韓国チームは逃げずに、あえてイチローと勝負した。ここに私は、韓国チーム全体の意地とプライドを感じました。
 イチローの前回の「韓国侮辱発言」は、向うのマスコミにも大きく取り上げられ、今回のチーム全員もイチローには期するものがあったでしょう。それゆえあそこは、イチローを何としても押さえて勝ちを掴みたかった。結果は裏目に出てしまった。しかし私は、キム監督はじめ韓国チームのあの決断を称えたいと思います。(キム監督は「ベンチの意志は敬遠。キャッチャーもそのサインを出したのに、ピッチャーが勝負した」と話していますが…)。とにかく韓国は今後とも、日本の脅威であり続けるのは間違いないでしょう。

 もう日本人プロ選手は、猫も杓子も「大リーグ、大リーグ」ではないですね。もう一度、日本プロ野球のレベルの高さを見直すべきだと思います。なにしろ、野球の最高峰を決するWBCで連覇ですから。
 大リーグのワールドシリーズの勝者は、真のワールドチャンピオンにあらず。むしろ日本シリーズチャンピオンチーム、またはその後のアジアシリーズチャンピオンチーム(日本シリーズを制したチームである可能性高い)こそが、真のワールドチャンピオンを名乗る資格があると思います。

 とにかく、この未曾有の大不況下、暗いニュースが多かっただけに、久しぶりの桜満開のような嬉しいビックニュースです。原監督、イチロー、城島健司、松坂大輔、岩隈久志、ダルビッシュ・有、小笠原道大、村田修一、青木宣親…。侍ジャパンの勇士たち。ありがとう。本当にお疲れ様。

 (大場光太郎・記)

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私の所感(3)

 以下は、今月初旬記事『ドーする?!医療崩壊(2)』における、矢嶋武弘様と私のコメントのやりとりです。少しタイミングがずれてしまったかもしれませんが、ご紹介させていただきます。なお少し加除修正など加えた個所があります。また矢嶋様には公開お断りしておりませんが、大乗的見地にお立ちになり、ご了承のほどよろしくお願い致します。
                       *
基本的に大場さんのお考えに賛成です。
私も出来るだけ病院には行かないことにしています。何かあれば勿論行きますが、そうでもない限り行かないと決めています。「病は気から」というのは古人の名言だと思います。むしろ病気と闘うという気持を強く持つ方が大切ではないでしょうか。
ところが、病院通いの好きな人がかなりいますね。また、何でも薬を服用したがる人も大勢います。こういった面をまず是正すべきではないでしょうか。
 (矢嶋武弘)
 
 矢嶋様。私の拙い説にご賛同たまわり、ありがとうございます。確かに、病院通いが日課になっているお年寄りややたらと薬を服用しないと安心できない人が多いようです。こういう小さな諸問題が山積して、今日「医療崩壊」が深刻な問題になってきているものと思われます。根本的解決は、私たち国民一人ひとりの「医療」あるいは「健康」に対する意識改革から始まるものと考えます。
 ところでお言葉を返すようですが。病気は「闘う」ものではないようです。例えば「ガン細胞」にしても、「どす黒い悪細胞」というのが現代医学的捉え方で、したがってそういう悪は断固闘って消滅、撲滅させなければならないというスタンスです。これはいわば、どこかでアメリカの「対テロ戦争」と通底した考え方ですね。現代文明の根底に根深く横たわる、「善悪(分離対立)二元論」です。
 しかし「ニューエイジ的考え方」では、決してそうではないのです。その視点でいけば、ガン細胞は極めて波動の高い細胞組織体ということになるのです。高波動細胞体が、私たちの生き方の間違いをそうやって教えてくれているのだ、と捉えるのです。そうするとガンの完治はどうするのか?教えてくれたガン細胞に、先ず心からの感謝です。そして生き方の間違いを出来るだけ根源にさかのぼって改める。そうすることにより、被患した人間も高波動化して、告知の役割を終えたガン細胞は離れていく。これがいつかご紹介した、矢嶋様の早稲田の同窓生(但し理工学部)、足立育郎氏の『波動の法則』の説いていたことだったかと記憶しています。
 惜しむらくは、筑紫哲也氏も鳥越俊太郎氏も旧思考で、ガンと闘おうとしておられた(現在闘っておられる)のではないでしょうか?今宇宙潮流は、「闘わない」方向に進みつつあります。すなわち「善悪二元(我善し・エゴ)」から「至善(真の自然―皆善し)」の方向ですね。(以上若輩者が、大変僭越ながら)
 (大場光太郎)

これもよく聞く話ですが、病があれば、病と“共生”しつつ生きようという姿勢ですか? 闘って撲滅しようというのではなく、病をむしろ受け入れていく生き方と理解するのですが。
「一病息災」的な考えではないでしょうか。
 (矢嶋武弘) 

 一面ではそういう解釈になるのかもしれせん。ただもう少し積極的に捉えますと、本来「病」自体が真に存在(実在)するものではないわけです。仏教の有名な教えに、「三界は唯心の所現なり」ということがあります。病は人間が勝手に作り出した、「心の影」のようなものと言えるということです。このことを近代日本のある宗教家は、「人間神の子、本来無病」と説きました。
 いささか原理宗教的になりますが。キリスト教の教理を拝借すれば、創世記の「善悪の木の実」を食べたことによる「アダムとイヴの原罪」の象徴物語以降、「病」が発生したと考えられます。「善悪相対二元論」の始まりですね。これによって、アダムとイヴは、エデンの園という楽園(至善の園)から追放され、人間の堕落が始まった。善悪相対二元的捉え方=堕落なのです。
 今はかかる分離対立思考の極みのような時代です。病原菌のみならず、隣人に対してすら私たちは、唯一の親様(=神様)を持つ共通的生命(兄弟姉妹)なのだと認識出来ていません。肉体的に違う以上、互いは分離した別個の存在、赤の他人なのだ。そのためとかく利害対立が生じ、時にいがみ合い、戦い、殺し合う。だから、真の愛も平和も遠のくばかりです。
 私たちが今近々に求められているのは、片方に悪、敵、病などを認めて「闘おう」とする、この「善悪相対二元対立思考」からの脱却ではないだろうかと思われます。いずれ「善悪の木の実」の現代的解釈について、更に記事に出来ればと考えています。
 ( 大場光太郎)

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春暁(しゅんぎょう)

      孟浩然

  春眠不覺暁    春眠暁(あかつき)を覚えず
  處處聞啼鳥    処処啼鳥(ていちょう)を聞く
  夜来風雨聲    夜来風雨の声
  花落知多少    花落ちること知りぬ多少ぞ

 …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 孟浩然(もう・こうねん) 永昌元年(689年)~開元28年(740年)。中国唐の時代の代表的詩人の一人。襄州襄陽(現在の湖北省襄樊市)出身。若い頃から侠気を好み、各地を放浪し人々と交流した。詩の特徴から、王維と孟浩然は「王孟」と並び称された。

 我が国の清少納言に「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎわ、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」の名文あるとすれば、中国の盛唐詩には「春眠暁を覚えず」の名絶句ありといったところでしょうか。
 この詩は我が国にも早くから伝わり、以来広く愛読されてきました。

 本日22日当地(いや、関東はじめ広い地域で?)朝から突風、強風が吹き荒れた一日でした。しかも外に出てみると、突風には雨も少し混じっていて、横なぐりに道行く私目がけて吹きつけてきました。「夜来風雨聲」ならぬ「終日風雨聲」といった感じを抱きながら、ふとこの詩を思い出しました。
 しかしきょうの風は、悠長に詩など詠めないほどの強風でした。『地域によっては被害が出るんじゃないの?』と思われました。(もっとも夕方には、強風の方はおさまりました。)

 春の季語の一つに、「春疾風(はるはやて)」というのがあります。「春の強風、突風をいう。西または南の風で、雨を伴ったり、長時間砂塵を巻いたりする」(角川文庫版『俳句歳時記・春の部』より)。本日の突風にぴったりの定義です。
 昨21日は、東京の一部の桜(染井吉野)が予報どおり開花したそうです。また春の季語として「花散る」があり、その発展形として「花散らしの風」というのもあります。この場合の「花」とは「桜の花」を指します。古(いにしえ)から人々にとって、「花といえば桜」。桜はそれほど、日本人の美意識に深く浸透している花です。
 「花散らしの風」はしたがって、桜が満開の頃に吹く、突風を伴う強風のことです。桜はきのう開花したばかりですから、本日の風はそれとはまた別の風ということになります。強いてあげれば、春彼岸の頃に吹くとされる、「彼岸西風(ひがんにし)」ということになろうかと思われます。

 『春暁』の詩の解題から大きく逸脱してしまいました。
 しかしこの五言絶句は、古来広く人々に知られた名詩です。改めて注釈を施す必要などないと思います。但し転句・結句の「夜来風雨聲 花落知多少」の「風」は、まだ花々に乏しい今回の風よりも後の「花散らしの風」に近いのかなと推測します。
 もちろんこの詩の中の「花」は桜ではありません。さて盛唐の頃の春の花とはどんな花だつたのでしょう?孟浩然が愛で、長安の深宮の壮麗な庭園にて、玄宗皇帝がそして傾国の美女・楊貴妃が毎春ごと愛でていたであろう花とは。桃の花、牡丹の花はたまた別の花?大変興味深いところです。

 (大場光太郎・記)

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春風の詩(うた)

  ものの芽がほぐれるように
  心地良い春風に吹かれて
  僕の固まっていた詩想が
  少しずつほぐれてきた

  さあ 春風の微細な衣(ころも)を
  輝きのないこの世の衣の上に
  しなやかにまとって
  陽光の中を 
  どこまでも歩いて行こう

  見なれた景色が
  真新しい景色に変わり
  詩が躍り出す処(ところ)まで

         (大場光太郎)

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私の所感(6)

 以下は、『連覇だ ! 侍ジャパン !!』のくまさん様と私のコメント欄でのやりとりです。私の分につきましては、だいぶ付け加えさせていただきました。
                        *
 今日の岩隈、実にナイスピッチングでしたね。そしてイチローにもやっとヒットが出ました。明日の韓国戦が楽しみですが、果たして結果や如何。
 ところで韓国がこれほどまでに強くなったのは、イチローのおかげだと思います。これまでの彼の韓国野球に対する侮蔑的な発言が、韓国チームにイチロー憎し日本憎しで一気に一致団結して燃え上がらせせ、強い精神的な目標を植えつけたからです。日本は完全に受身の状態です。それと、原監督・・・。不安です。

 私も小学校までは野球ファンでした(中学、高校ではひたすら柔道にうちこんでいましたが)。実は私が学んだ高校の大先輩に正力松太郎という人がおり、この人が読売巨人軍をつくりました。私が小学生のころ、正力さんは富山県第二区選出の衆議院議員でした。いつも選挙がはじまると、家の近くに幌をかけたトラックがやって来て、中から大男達が降りて来たので誰だろうと思ったら、水原茂監督以下川上哲治主将、広岡、森、長嶋といった面々でした。正力さんの応援に狩り出されてきたのです。しかし、さすが人口2万人あまりの富山県の田舎町ですね、みんな無関心でした。というのも、この選挙区には正力さんの強力なライバルがいたからです。松村謙三という人ですが、農村部では絶大の人気があり、あの偉大な正力松太郎といえども常に松村さんの後塵を拝していました。この松村という方も高校の先輩(正力さんよりも)でした。
 
 ちなみに王貞治氏のお父さんは中国浙江省の人ですが、お母さんは富山県の氷見市の出身です。氷見市にはたしか今でも王貞治後援会があるはずです。私は巨人ファンではありませんが、王さんの大大ファンです。
(くまさん・記)
                        *
 くまさん様。かの「大正力」もまたまた富山県出身、のみならずくまさん様出身校の先輩だったとは。『おくりびと』の滝田監督といい、富山県出身者は本当に多士済々といった感じですね。また貴校(富山県立高岡高等学校)は、富山県一、ニを争う名門校と推察致します。
 貴校のこと、少し調べさせていただきました。偏差値、理数科:68、普通科:66。私は何も偏差値信奉者ではありませんが、とにかく恐れ入りました。(ちなみに我が母校・山形県立長井高等学校は、ジャスト60)。そして卒業有名人がこれまた凄い。主だった人だけでも、松村謙三(元衆議院議員)、正力松太郎(読売新聞社社主)、小林與三次(初代自治事務次官、日テレ・読売新聞社長)、藤子不二雄A(漫画家)、木崎さと子(芥川賞作家)…。

 私はただ今、12球団最弱チーム・楽天イーグルスファンです。というより野村克也ファンというべきです。野村監督の移動に伴って、ヤクルト、阪神そして今は楽天というわけです。ファンである理由は、苦労人であることと話が面白く味があること。だから、岩隈久志と田中将大は特に注目しています。キューバ戦でのピッチングは、さすが沢村賞投手・岩隈の本領発揮といったところでした。

 確かにイチローの前回からの挑発的言動が、「コリアン魂」に火をつけた可能性は大いにあると思います。かの国には「恨(ハン)の思想」があるそうですが、「憤の一字は、是進学の機関なり(佐藤一斎)」と軌を一にするかもしれませんね。聡明なイチローですが、かの国に対して、心の中には意外にも蔑視感情が潜んでいるのかもしれません。(多分「チチロー」の影響などにより。)
 私は仕事上で、何人かの韓国出身者とお付き合いしてきました。いずれも親の代から、この国で辛酸をなめ続けてきた人たちです。そしていずれも個人的力量は、並みの日本人では太刀打ちできないものがあります。そんな彼らと親しく接するにつけ、とても蔑視感情など抱けるものではありません。

 私はアンチ巨人ながら、王さんと松井秀喜だけは別格でした。王さんのホームラン世界記録達成の直前の頃、わざわざ神宮球場のヤクルト戦を観に行きました。ライトスタンドへのホームラン、この目でしかと確かめました。
 また松井が巨人の四番の頃、阪神・井川が後半まで巨人の攻撃を完璧に封じ込め、松井のホームランで巨人に勝ちをさらわれたことがありました。テレビ観戦でしたが、私は『松井に打たれたんじゃあ仕方ないや』と、妙に納得したものでした。王さん同様松井には、「打撃をする人格者」という風格を感じます。
 侍ジャパンに、四番・松井の名前がないのは寂しいことです。

 (追記) 日本時間本日午前第2ラウンド1位をかけて、またもや日本と韓国が対戦しました。既にご存知のとおり、結果は侍ジャパンが6-2で勝ちました。これで対韓国戦は5分になりました。しかし今回の対戦は、お互い調整試合のようなものだったと思います。
 互いに順調に進めば、決勝戦でまた対決する可能性もあります。(ジャパンは日本時間23日米国と、韓国は22日ベネズエラと対戦)。もしそうなったら、その時が本当の大勝負となることでしょう。
 またこの試合で、村田修一内野手(横浜)が負傷退場しました。米国戦には変わって、栗原健太内野手(広島)が登録されました。栗原は、野球後進県・山形(天童市)が生んだ価値あるプロ選手です。果して出場機会が与えられるかどうか。皆様それとなく見ていてください。
 (大場光太郎・記) 

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春分の日

    春分の夢のかけらが飛び散りぬ   (拙句)

 春分は、1年のサイクル・二十四節気の起点となるものです。天文学では、太陽が春分点を通過した瞬間すなわち太陽の視黄経が0度となった時間を春分と定義しています。(反対に、視黄経が180度の時が秋分。)
 江戸時代の『暦便覧』に「日天の中を行き昼夜等分の時也」と記されているとおり、春分では昼夜の長さがほぼ同じになると言われています。しかし実際は昼の方が夜よりも若干長くなります。理由は、大気による屈折で、太陽の位置が実際より上に見えるためです。屈折は太陽が地平線に近いほど大きくなります。そのため平均的な春分の日の昼の長さは約12時間7分、夜の長さは約11時間53分くらいになるのです。実際に昼夜の長さが最も小さくなる日は、春分の4日ほど前の日のようです。

 ご存知のとおり我が国では、春分の日は国民の祝日になっています。1948年(昭和23年)公布、施行の「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によって制定されました。祝日法ではこの日を、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としています。
 なお春分の日は、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子の「春分日」に基づいて閣議決定され、前年2月に官報(かんぽう)で告知されます。
 またこの日は、明治初期から1947年(昭和22年)までは、「春季皇霊祭」という祭日でした。

 またこの日はご存知のとおり、「お彼岸の中日」でもあります。初日は彼岸の入り、中心の日は中日、最後の日を彼岸の明けといい、合わせて7日間は各寺院で彼岸会(ひがんえ)の法要が営まれます。
 特に彼岸の中日である春分の日は、日が真西に沈むことから、真西に沈む太陽は極楽の東門に入ると伝えられ、この日の太陽を拝むと(十万億土を隔てた)西方極楽浄土の東門を拝むことになり、極楽が最も近くなる日と考えられてきました。
 
 彼岸(ひがん)とは、この世とあの世を挟んだ大きな川の向こう岸という意味です。そして彼岸は仏の世界であり、私たちの住む世界はこちらの岸(此岸)ということになります。すなわち彼岸は仏の大荘厳(だいしょうごん)世界、悟りの清浄世界であり、此岸(しがん)は凡夫の世界、五濁(ごじょく)の迷いの世界と捉えたのです。
 そして迷いの世界(此岸)から悟りの彼岸に到るのが(到彼岸)、仏教における主目的であるとされました。

 「仮に汝(なんじ)極悪人といえど、叡智の舟に乗らば、すべての罪を越えて彼岸に到るべし。」 (『バガヴァット・ギーター』より)
 
 この日に故人の霊を供養すると、迷わず極楽浄土に成仏できると信じられ、死者の冥福を祈り、おはぎ(本当は「お萩」は秋、春は「牡丹もち」)、草もち、五目ずし、稲荷ずしなどを作ってお墓参りします。
 おそらく仏教発生以前から世界中で、昼と夜の長さがほぼ等しいこの日に特別な意義を見出していたものと思われます。(キリスト教の「復活祭」も、それ以前から伝わっていたゲルマン人の春分の行事に、イエスの死と復活の伝説を習合させたという見方もされています。)
 我が国でも仏教伝来以前から、この日は祖先を敬い、農耕に感謝する日だったと考えられます。それが伝来した仏教と習合して、お彼岸の思想が生まれ、さらにはご先祖への感謝の気持ちを伝えるために墓参りする、という習慣になっていったものと思われます。
 また春の彼岸のこの頃は、長い間冬眠していた動物たちが動き始め、地方によってバラツキはあるものの農作業を本格的に開始する目安ともなる日でもあります。

 なお、最新の桜開花予想によりますと、ここ2、3日続いた4月、5月頃の陽気により、東京・横浜の桜開花は21日頃とさらに早まったとのことです。21日といえばお彼岸の中日の次の日、つまり明日ですよ。なのにもう「サクラサク」?
 「桜はいつ咲かなければならない」という、決まりも法律もないけれど。やはり「暑さ寒さも彼岸まで」のお彼岸に、もう咲いちゃった ! というのもねえ。
 
 (追記) 本記事は、フリー百科事典『ウィキペディア』の「春分」「春分の日」などを参考にまとめました。
 (大場光太郎・記) 

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連覇だ ! 侍ジャパン !!

 海の向うのアメリカで、WBC第2ラウンドがたけなわです。本日日本時間昼12時から我が「侍ジャパン」は宿敵韓国と対戦しました。東京での第1ラウンド以来3度目の対戦です。ダルビッシュ・有の立ち上がり、塁に出た曲者の一番打者イ・ヨンジュの意表を衝いた盗塁にペースを乱され、初回3点を与えてしまいました。
 結果日本は、1-4とまたも韓国に苦杯を飲まされることになりました。

 話は変わりますが―。かつて私はプロ野球をこよなく愛する一人でした。自主トレ情報、オープン戦から、開幕戦から日本シリーズまでもれなく見続け、深夜の各テレビ局のプロ野球ニュースをはしごしたり、阪神などが巨人から小気味良い勝ち方をした時などは、翌日のスポーツ紙を2、3紙買い込んで読みふける…ほどの熱の入れよう。
 しかしここ数年はプロ野球熱もすっかり冷めて、観戦するのは開幕戦とプレーオフ、日本シリーズそしてたまに大リーグの試合くらいなもの。そんな私から見て、今回のWBCはサッカーのワールドカップに準ずる、日本シリーズあるいはそれ以上のステータスを賭けて各国が争う「ワールドシリーズ」といった感があります。

 それにしても、今回の日本代表監督に巨人軍監督・原辰徳が決まったのには驚きました。去年の何かの記事の中で、矢嶋武弘氏から、誰がWBC監督にふさわしいか?というような問題提起コメントがありました。それをめぐるやりとりの中で、候補として伊東勤、古田敦也、落合博満、野村克也などの名前が挙がりました。しかし、原辰徳の名は出ませんでした。

 決定前のファンアンケートでは、「北京オリンピックで惨敗の、星野仙一だけは止めてくれ」「野村克也がいいんじゃないの」という声が多かったようです。しかしフタを開けてみると、日本プロ野球機構は「原辰徳」と決定。昨年のセリーグを巨人が制したとは言え、日本シリーズ前のことです。アンチ巨人の私などは、『国際試合までも、結局巨人主導かよ』と思ってしまいました。(巨人ファンの方々、度々すみません。)
 しかし決まった以上は、前回王ジャパンが達成してくれたWBC(初代)王者の地位を今回も死守してくれれば、誰が監督でもいいわけですが。

 第2ラウンドで、キューバ戦での圧倒的な勝ち方からして、『日本がやっぱり最強だな !』と確信していました。ところがまたも韓国が立ちはだかって、お先に準決勝切符を持っていかれてしまいました。
 韓国野球は、日本より20年から30年くらいスタートが遅かったはずです。長嶋、王、野村、金田、稲尾、村山といった、殿堂入りクラスの歴史的名選手だっていないのではないでしょうか?なのに、いつもいつも日本をこんなに脅かすなんて !

 我が侍ジャパン。韓国に敗れたことによって、敗者復活をかけて再度キューバと対戦することになりました。いかに強打、強豪のキューバとはいえ、前回の戦いをみる限りジャパンは何回戦っても勝てそうです。まったく心配していません。(但し韓国との緒戦コールド勝ち、後2連敗。油断は禁物)。決勝に進んで、アメリカ、ベネズエラどちらとの対戦でも、緻密さとチームワークで勝る我がジャパンが勝つと思います。
 
 問題はやはり韓国です。日本野球を知り尽くし、なおかつ大リーグのパワーにも近づいていそうな韓国チーム。そして沈着冷静で腹の中を見せないキム・インシク監督。やはり最大の脅威です。これを撃破して見事連覇を果たすには、何といっても不調・イチローの復調しかないと思います。侍ジャパンは結局、イチローのチームだと思いますから。  とにかく連覇だ。侍ジャパン !!

 (追記) 日本時間19日昼から行われたキューバとの試合で、岩隈久志と杉内俊哉の完封リレーで5-0と完勝しました。明日は4度目の韓国戦です。今度こそ、打倒韓国 ! いずれにしてもこれで第1ラウンド進出確定。それにイチローの復調気配の三塁打といい、侍ジャパンにとって良い風が吹き始めたようです。
 (大場光太郎・記)

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春彼岸の入り

    をちこちで春風メールしてをりぬ   (拙句)

 春のお彼岸の入りの本日、関東をはじめ列島の広い範囲で晴天に恵まれたようです。当地でも、朝から大快晴の暖かい一日となりました。外に出てみても、街を吹き渡る風はそよ風といった趣きで心地よく、きのうまでの冷気をふくんだ風とは明らかに違います。きょう一日ばかりは、季節は早春からいよいよ本格的な春を迎えたか?と思われました。
 このぽかぽか陽気に誘われて、街はいつもより人が出ているようです。さすがにまだカラフルな春の装いとはいかないまでも、街の通りを大勢が行き交っていました。ニュースによれば本日はまた、黄砂に列島広く覆われたとのこと。しかし当地(厚木市)では、きょうのところはほとんど影響ありませんでした。

 近くの駐車場の土手で日を浴びて、土筆(つくし)がポツンポツンと芽を出しておりました。またとある畑の一隅には、ふきのとうは最早薹(とう)が立ちすぎて、代わって幾分小さいながら蕗(ふき)の葉が辺りいっぱいに広がって生えています。
 車で回っていると、とある家の庭先に少しクリーム色がかった白いコブシの花が満開で咲いていて、一瞬ハッとさせられたりします。『さて、桜は?』と、並木の一本の枝を振り仰ぐに、まだあるかないかよく分からないくらいの小さな蕾です。

 東京・横浜の今年の開花予想は、今月23日から25日頃なのでしょうか。きょうは17日、ちょうど一週間後くらいには咲き始めるわけです。『まだこんなに小さなツボミなのに?』。空が透けて見える桜の、横に伸びた黒い枝を見上げながら思います。本当に頼りないほど小さな蕾です。
 しかし分かりません。きょうのような暖かい日が続きでもすると、ちょっと見ぬ間に蕾は大きくふくらんで、ある日突然不意討ちのように「お待たせ !」とばかりにパッと咲いてしまうのですから。

 それにしても、桜の開花は年々早まっている印象です。確か10年以上前までは、当地では開花は4月上旬頃に固定していたように思います。それが今では、3月下旬の開花が当たり前になってしまいました。
 自然のサイクルの一つ一つに、甚大な影響を及ぼしている我ら人間の営為よ!といったところでしょうか。

 夕暮れ時、西の大山と丹沢の連なりに目を転じました。すると大晴天の西空を背景に、連山はおぼろに霞んでいました。そんなようすからも、『あヽ春なんだなあ』との想いを深く致します。

 (大場光太郎・記) 

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不思議な子供たち(4)

 病気になることができない子供たち

 今から10数年前、アメリカのある州で、両親からエイズ病原菌を受け継いだ子供が生まれました。その子は生後6ヶ月の検査でもエイズ陽性でした。両親が死亡したこともありその後は定期的な検査が行われず、6歳の時改めて再検査が行われました。すると驚いたことに、その時の検査ではエイズは影も形もなくなっていたのです。

 エイズは今日でも完治が難しい現代の難病です。そこでこの検査結果に衝撃を受けたUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で、この子に何が起こったのかを徹底的に調べることになりました。
 その結果、単にエイズ病原菌に対する強力な免疫力を持っているだけでなく、あらゆる疫病に対して完璧な免疫力があることが分かったというのです。つまりこの子は、「病気になることができない」人間になっていたのです。

 さらに調査した結果、遺伝子レベルでも変化が見られたそうです。
 ごく簡単に述べれば―。DNAの「コドン」がその子の場合、通常人より余計に活性化されていることが解明されたのです。(注 コドンとは、DNAの4種類の塩基配列-チミン:T、アデニン:A、グアニン:G、シトシン:C-のうち、例えば「T・A・G」というような3種類の組み合わせのこと。全部で64(=4×4×4)ある。)
 さらに1995年から1996年に行われた、国際的な血液調査のサンプルの結果、必ずしもエイズに関係なく、コドンが活性化している子供たちが次々に見つかりました。その数何と約100万人です。主に子供ですが、中には大人もいたそうです。
 そして今では(注 この情報は今から数年前のもの)、世界の人口の1%つまり約6,500万人がこれに該当するとされています。わずか10年ほどでこの規模にまで「増殖」したのです。

 「胎内記憶」や「ESP能力」は、人間生命についてのアプローチの格段の進歩の結果、と無理してこじつけることも出来ます。しかし今回の事例はどうでしょう?今までのいかなる社会通念によっても、納得のいく説明は出来ないのではないでしょうか。
 私は今回、驚くべき子供たちのことをご紹介してきました。これは何も、興味本位でそうしたわけではありません。「今この時」進行中の事態がただならぬものであることを、もっともっと自覚していただきたいがためなのです。

 つまり今進行中の「超大変化」は、資本主義システム、旧来の政治システム、社会システムの変貌または崩壊といった、目に見える外側の形だけの問題ではないということです。それは、私たち人間自体の、さらに踏み込んで申せば、これをお読みのお一人お一人の体内の「質的変容」でもあるのです。
 いえ実は、こちらの方がより肝心で、この超大変化の本質と言ってもいいかもしれません。

 「そんな重大なことなら、政府や権威ある大学病院などから発表があるはずだろ?」。いいえ、決して。このような変化がなぜ起こっているのか、例えばNASA(米航空宇宙局)などはある程度把握しています。何もこの問題だけではありません。「彼ら」にとって「不都合な真実」は、決して公開しないのです。世界的な主要メディアが取り上げることも、まずありません。

 今回のシリーズを終えるにあたって、申し上げたいのは。決して、不安動揺しないでください。むしろワクワク胸躍らせてください。(詳細には述べられませんが)なぜなら今のこの変化は、これまでの「制限だらけの人類」から、「本来そうあるべき人類」に戻るプロセスなのですから。
 特に平成に入ってから生まれた子供たちは、来るべき時に備えてDNAも大幅に修正されて生まれてきているようです。だからあまり抵抗もなく、今の変化を楽しめてしまうのです。しかし私たち大人は違います。あまりの急激な変化に、しばしば体調不良にも陥りがちです。しかしそれは「好転反応」であることがままあります。『ひょっとして、病気?』と思って病院に直行する前に、以上のことを思い出していただければと思います。心を鎮めて深くリラックスしているだけで、少々の体調不良なら収まる場合もありますから。  ―  完  ―

 (大場光太郎・記)

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『天地人』について(5)

 第11回の今回は「御館(おたて)の乱」。『天地人』前半のクライマックスの真っ只中という感じです。何度も言うようですが、戦国時代はやはり「戦乱」です。戦乱あってこその戦国ドラマです。日常平時をだらだらと描かれて、その中で「義と愛」を教訓的に直江兼続(妻夫木聡)などに語らせても、つまらないし、しらけるばかりです。
 神をも仏をも恐れぬ織田信長(吉川晃司)ならいざ知らず。謙信も兼続も確かに、戦国の世にあっては稀に見る清廉潔白の武将だったのでしょう。しかし時は、下剋上(げこくじょう)の血で血を洗う戦乱の世です。果して、「義と愛」だけを金科玉条の如く掲げて生きていたものか。大いに疑問に思います。

 市場原理主義を本格導入以来、経営陣・株主優遇、代わって社員は冷遇。のみならず厄介な正規社員より、使い勝手のいい非正規社員をどんどんふやし、いざとなれば首切り御免。また外資系大歓迎、我が国の資産はどんどん外国に流出OK、代わって地方切捨て御免。……。
 大河ドラマ制作局はそんな世の中で、米沢に減封(げんぽう)されても必死で家臣団を守り抜いた直江兼続こそ、リストラの嵐吹き荒れる世の「鑑(かかみ)」とばかりに、「義と愛の人」として取り上げたのでしょう。分かります、確かにその趣旨は。

 しかしならば言いますけど。それならこうなる前に、何でもっと早く「市場原理主義待った!」「外資系進出待った!」「改正(改悪?)派遣法待った!」と、ニュース解説やNHK特番で声を大にして言ってくれなかったのでしょう?NHKには、先の読める優秀な解説委員がキラ星の如く揃っているではありませんか。
 でも無理ですね。政権与党に予算編成権をしっかり握られているのですから。

 さて今回です。前々回、前回に引き続き率直に面白かったと思います。理由は冒頭申し上げたとおりです。
 謙信(阿部寛)亡き後の家督を巡る、上杉景勝(北村一輝)と上杉景虎(玉山鉄二)の争い。景勝は長尾政景の子、景虎は北条氏康の子。血はつながっていなくても、共に謙信の養子で義兄弟の契りを交わした間柄。それに景勝の妹・華姫(相武紗季)は、景虎の妻。したがって景勝の実母・仙桃院(高島礼子)は景虎にとっても義母。複雑な人間模様が絡み合う、骨肉の争いです。

 謙信が前もってきちんと、家臣団に「我が後継は○○である」と宣言していれば、凄まじい内乱は避けられたかもしれません。前回述べたとおり、景勝、景虎どちらも可愛く、甲乙つけがたく迷っているうちに死去してしまったのか。あるいはどちらを後継者にと腹案はありながらも、もしそれを明確に打ち出してしまうと、鉄の団結を誇った上杉軍団に綻びが生じかねない、それを恐れて躊躇していたのかもしれません。
 一説には謙信が兼ねていた関東管領職を景虎に、越後国主を景勝にと考えていたという見方もあるようです。しかし確実な根拠はないようです。

 ドラマを離れますが。景勝役の北村一輝(きたむら・かずき、39歳)そして景虎役の玉山鉄二(たまやま・てつじ、28歳)、どちらも良い役者ですね。二人ともなかなか良い味出しています。
 北村一輝の方は前から知っていました。‘06年のTBSドラマで『夜王(やおう)』というのがありました。新宿のホストクラブ・ロミオでの、NO1ホストを巡る熾烈な闘いのドラマです。さながら戦国時代の権謀術数を見る思い。面白くなって、ドラマなどめったに観ない私が、とうとう最後まで観てしまいました。不動のNO1ホストとして、ヒーロー・的場遼介(松岡昌宏)を痛めつける聖也というワルの役でした。これが格好良く決まっていて、以来ひそかに注目していました。
 また玉山鉄二の方は、今回のドラマで初めて知りました。やや演技をしすぎているところが見られるものの、若いだけに今後の活躍が楽しみな役者だと思います。

 (大場光太郎・記) 

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ガード下の靴みがき

 先月「二木紘三のうた物語」に、『ガード下の靴みがき』が新しくアップされました。二木(ふたつぎ)先生のmp3の名演奏を解説を読みながら最初に聴いた時、とめどなく涙が流れました。推察するに、ご同好の多くの皆様も同様だったのではないでしょうか。解説によりますと、この歌が発表されたのは昭和30年(1955年)8月のことだそうです。(作詞:宮川哲夫、作曲:利根一郎、唄:宮城まり子)
 
 「最早戦後ではない」と言われ出した昭和30年当時。山形の辺鄙(へんぴ)な村で、我が家は父が病に倒れどん底にあったことは、これまで何度も記してきました。ちょうどその頃ある晩、村の集会所で幻燈(げんとう-スライド映写)を母とともに見ました。東京のようすを写したものでした。何やら遠くて現実感の希薄な都だなあと、思ったのか思わなかったか。とにかくぼんやり見ていました。
 そんな東京のど真ん中でもまた、こんな貧しさがあったわけです。この歌の主人公である「おいら」は、戦災孤児。ガード下を通る大人たちの靴を磨かせてもらって、日々を何とかしのいでいたのでしょう。戦後10年経ってもまだ、戦災孤児?
 私の郷里の町の夏祭りと秋祭りを思い出します。立ち並ぶ出店の外れで、片腕か片足かを戦争で無くしたという自称傷痍(しょうい)軍人たちが、白装束姿でアコーディオンをひいたりして寄付を求めていました。昭和30年代半ば頃でもなお、当時の社会は終戦直後のメンタリティを色濃く引きずっていたのです。
 
 「おいら」が、親を亡くして終戦を迎えたのはうんと幼児の時。そして10幾つになった今でも、ガード下の靴みがき。
 ガード下。昭和50年代後半でも、新宿駅界隈のガード下は薄汚く、両壁面には全共闘のビラや右翼のビラが所狭しと貼られはがれ落ちていました。昭和30年当時ならなおのこと。やっと雨風がしのげるだけの、どんよりと澱んだ薄暗い処(ところ)だったことでしょう。
 今も昔も、最底辺の者が救われるのは一番最後です。(但し二木先生の解説の中には、そんな逆境の中から這い上がり立派な社会人になった人の感動秘話も紹介されています。)

 ある種の人たちは、国の誇りとか国家の威信といったことを声高に主張します。そうした言葉自体に問題はなくても、彼らが意図するのは、実は他の国々に対する政治的・軍事的なプレゼンスの強大化です。
 そうしたことを追求していった結果が、多くの人々から愛する者や、楽しかるべき子ども時代を奪うようなものなら、誇りも威信もいりません。三等国・四等国でけっこう。芸術や科学、スポーツで成果を上げれば、ほかの国々から尊敬は得られます。
 (二木先生「蛇足」の結論部より)
 
 「三等国・四等国でけっこう」は、私の心を強く撃ちました。
 この歌が発表されてからの半世紀余とは、一体何だったのだろうか?確かに物は豊かになり衣食住は格段に良くなったけれども。国土の荒廃は進み、共同体的和はズタズタに破壊されてしまった。「勝者など誰もいないよ」と、ただ薄ら寒い殺伐の風が吹き抜けるだけ。こんなことになるんだったら、本当に昭和30年代前半の、あの温もりのある三等国、四等国の方がよっぽどマシだったのではないでしょうか?
 
 現下は、戦後経験したことがないような未曾有の大恐慌の進行過程です。半世紀以上過ぎてなお、この国に新たな最貧者が巷に溢れる可能性があります。
     なんでこの世の 幸福(しあわせ)は
     ああ みんなそっぽを 向くんだろ   (3番より)
 願わくば、この歌詞のような心境の人が出ませんように。
 (大場光太郎・記)

 (この歌の歌詞と曲は、「二木紘三のうた物語」にあります。) 

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「ユダヤにやられた」-田原発言

 今月8日(日)午前の、テレビ朝日討論番組『サンデープロジェクト』でのことです。司会の田原総一朗が、田中真紀子をゲストに呼んだコーナーの中で「田中(角栄)さんも結局ユダヤにやられた。お父さんもやられたように小沢さんもやられた」と語ったそうです。それが今ちょっとした騒動になっているようです。
 田原の同発言に、アメリカのロサンジェルスにあるユダヤ系人権団体の「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が噛みついたというものです。「政治的スキャンダルをアメリカとユダヤのせいにする、日本の報道番組の司会者を糾弾する」と題した声明文をホームページ上で発表し、同センター副館長も「テレビ朝日はこのバカげた発言をただちに取り消し、田原総一朗氏とともに公式に謝罪する義務がある」などとコメントしたそうです。

 私自身は同番組を観ておりません。またサイモン・ウィーゼンタール・センターなる団体名も初めて耳にしました。しかし少し調べてみますと、同団体は過去にも立派な(?)圧力実績があったのです。
 ‘95年の「マルコポーロ事件」。ご記憶の方もおられるでしょう。文芸春秋社発刊の月刊誌『マルコポーロ』同年2月号の、「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」という記事に、猛然と噛みついたのも同団体だったのです。その時はどうなったか?結局同誌は、その号をもって廃刊。当時の社長と編集長は辞任に追い込まれました。恐るべき団体なのです。
 今回も、「テレ朝が何らかの謝罪の意志を示さなければ、大スポンサーからのCMが減るんじゃないか?」などという懸念の声も上がっているようです。

 ついでに申せば。日本の各新聞、各テレビ番組、月刊誌、週刊誌などは米国の某民間企業によって、委細もらさず隅々までチェックされています。この企業に出資しているのはユダヤ資本です。戦後間もなくの米国占領統治時代の検閲と似たり寄ったりのことが、実は今も行われているのです。おそらくサイモン・云々・センターも、そこから提供された情報をもとに今回のクレームとなったものと推測されます。

 さて田原総一朗の「田中さんもユダヤにやられた」発言は、例のロッキード事件を指しています。1976年2月同事件がアメリカ発で発覚した当初、時の田中首相は思わず「ユダヤにやられた ! 」と叫んだと言われています(当時秘書だった早坂茂三氏談)。
 そう叫んだのはなぜか?当時田中首相は、アメリカの意向などまるで無視して親アラブ政策を打ち出し、米国に頼らない独自の石油外交を展開しようとしていました。これがアメリカ(特にユダヤ資本が牛耳る米石油メジャー)の逆鱗に触れ、アメリカの情報リークと圧力によって失脚に追い込まれたと見られるのです。

 田原発言のみならず、今回の小沢秘書逮捕に関して政治的プロの間では、「米国の圧力説」という見方が当初からあったようです。例えばジャーナリストのベンジャミン・フルフォード氏は、「小沢氏の失脚で、結果的に誰が喜ぶのかといえばアメリカだ。対等な関係を主張する小沢民主党政権が誕生し、日米関係の見直しを強行されれば大ごとになる。“属国”の日本を手放したくない力が働いたとしても不思議ではない。今回の事件は、田中元首相が失脚したロッキード事件と構図が似ている」と言っています。
 「極東を防衛する米軍は第七艦隊だけで十分」などという、小沢代表の踏み込んだ発言が米国を刺激したとみられるのです。また小沢政権になった場合、(米国も)未曾有の金融危機に見舞われている中で、「要求どおりのカネは出せません」と言われて困るのも米国です。

 真相は分かりません。しかし私の感じでは大いにあり得ることだと思います。とにかく今回の事件は裏の裏がありそうです。「単なる“ユダヤ陰謀論”のたぐいだよ」と、笑って済まされる話ではないように思います。
 あくまで仮定ながら。米国の圧力→政権与党→東京地検→各マスコミ→民意の誘導→幻の政権交代→自公政権、官僚支配の続行→日本崩壊(または半永久的属国状態)。このような構図を想い描いてしまいます。万が一これが本当だとしたら?今回の捜査は、「不公平捜査」「国策捜査」などを越えた、ゾッとするような「暗黒捜査」との感を深くします。
 皆様は、この疑惑どうお感じでしょうか?
 (大場光太郎・記)

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私の所感(5)

 日本人の自然観の変容という問題。大場様は鋭いところに着眼されましたね。私はあまり現代小説や詩を読む方ではないので断定的なことは言いかねますが、たしかに従来のような「自然描写」は少ないように思います。その理由として、経済成長にともなう土地開発や道路の拡張などによって豊かな自然が破壊され、ライフスタイルも欧米型・都市化型が主流となって身近に自然を感じる環境が大幅に減ったことが挙げられると思います。その結果として小説や詩の題材もいきおい人事が中心となり、自然描写を挿入する必然性が減少したということかもしれません。たとえば、三島由紀夫などは樹木や草花の名前をほとんど知らなかったと聞いています。それでもあれだけの作品を書けたのですね。
 
 そこへ行くと島崎藤村はえらい!やはり出自が木曽馬籠宿本陣の息子だけのことはあります。自然に対する感受性が豊かですね。因みに私が俳句を高く評価するのも、わずか5・7・5の17文字の中に、必ず季語という自然を取り入れなければならないという日本ならではの発想を堅持しているからです。そしてこの感性は今や全地球に必要なものになりつつあります。

 ところで藤村といえば、いつか大場様が「うた物語」の中の或るコメントで彼のことを「ただものではない」と言っておられましたが、私も全く同感です。優れた詩人として出発し、次に「破戒」や「家」、かの問題作「新生」といった自然主義小説を確立し、ついにはあの大作「夜明け前」ですぐれた文明論を展開したわけです。
 これは私の独断ですが、明治維新というものの真の姿を理解するためには、この小説は最良のテキストとなるのではないかと思っています。彼はすぐれた文明批評家でもありました。随筆でも実に良いものがあります。「三人の訪問者」という文などは、一読後しばらく動けませんでした。
 漱石・鴎外を国民的文豪というのであれば、詩人・小説家・文明批評家それぞれの分野で一流であった藤村も加えなければ片手落ちという気がします。それと日本ペンクラブ初代会長としての功績も忘れてはいけませんね。
 (くまさん・記)

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私の所感(4)

 今回『千曲川旅情の歌』における「自然観」をめぐって、くまさん様より大変有意義な問題提起をいただきました。これは現代に生きる私たちも、ゆるがせにしてはいけない問題です。そこで、皆様の自然についての考察の参考にと、記事として以下に公開させていただきました。
                        * 
 英雄は英雄を知る如く、詩人もまた詩人を知る。この名詩についての大場様の評論を拝読してつくづくその思いを強くしております。『憂愁の早春賦』、まさに至言だと思います。ただ、大場様はこの詩を従来の日本的な自然観ではなく、西洋型の対立的自然観に拠っていると評しておられるようですが、私は必ずしもそうは思いません・・・。
 伝統の束縛から脱皮し欧化を目指そうとしながらも、そこに真の平安を見出せずに格闘し苦悶した明治の知識人たち。それはたしかに文明の変革期に特有の通過儀礼でした。その苦悶はしかし、平成の世に生きる私たちの心のどこかに、今なお引きずっていると言えないでしょうか。
 (くまさん・記)
                        *
 くまさん様。『千曲川旅情の歌』の文に対し、過分なご評価をいただき恐縮に存じます。
 「自然観」について、一言釈明させていただければ。確かに島崎藤村の場合、必ずしも「西洋の対立的自然観に拠っている」とまでは言えないところがあります。この詩の叙情的な名描写には、古来からの伝統的なエキスも十分汲んでいると思われるからです。その点、「この詩のように、否定に満ちた対立的自然観が生まれてきた」という表現は少し言いすぎだったかもしれません。(今回ご指摘いただき、「この詩のように…」の部分は削除、修正しました。)

 しかし同時に、遊子である作者という主体と、千曲川の風光という客体との「主客分離対立」もあることは否めないのではないでしょうか?それが同拙文で指摘しました多くの「否定」となって反映されているように思われるのです。
 江戸時代の誰かの詩に、次のような一節があったかと記憶しています。
    忙中山看我  忙中(ぼうちゅう)山我を看る
    閑中我看山  閑中(かんちゅう)我山を看る
 これなどはまさに、我と山(自然)との「主客一体の境地」のように思われます。また芭蕉の多くの名句も、そういう境地から詠まれたものと推察します。
 
 明治の知識人たちが知らず知らずのうちに、西洋的自然観また同近代思想の影響を受け始めていたのは間違いないと思います。だからこの詩から「憂愁」を感じるとすれば、それは藤村個人に止まらない「近代的憂愁」だったのではないかとも思われるのです。一体このような憂愁の気分を、明治の文明開化以前の青年たちは感じることがあったのだろうか?という問いを発すれば、ある程度肯(うなず)けることなのではないでしょうか。

 以上からこの詩は、藤村の内なる、伝統詩と西洋詩とのせめぎ合いの中から生まれた、藤村詩業の頂点と呼べる最高傑作詩と言えると思います。
 今回少し調べましたが、藤村はこの詩を収録した『落梅集』の発行をもって、詩とは訣別し、散文に向うことになったようです。ご存知のとおり、小諸時代には名品『千曲川のスケッチ』が生まれていますし、後年東京に戻る頃には名作『破戒』の構想もおおむねまとまっていたようです。
 
 なお、同拙文末尾で少しふれましたが。私は「自然観の変遷」とそれに伴う「苦悶」については、現代の方がよりいっそう深刻だと思います。去年何かのコメントの折り述べたかと思いますが、今は小説、詩を問わず、以前のような「名自然描写」は格段に減っています。まるで自然を排除する形で現代文学は成立している、と言っても過言ではない状況のように見受けられるのです。それがおそらくこの時代の要請なのでしょう。
 
 人間はそもそも、(いささか抽象的ながら)「火土水(ひとみ)」の三大エレメントでもって地上に生を享け、そして自然の中で生かされ、また土に還って行く「自然の児」である。このことは、魂が地上の肉体に宿り続ける以上、いかに文明化されようと永遠に変わることのない定理のはずです。なのに現代人よ、「自然」を離れてどこへ行く ! そんな想いを強くしますね。
 (大場光太郎・記)

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千曲川旅情の歌

           島崎 藤村

  小諸なる古城のほとり
  雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
  緑なす繁萋(はこべ)は萌えず
  若草も藉(し)くによしなし
  しろがねの衾(ふすま)の岡辺
  日に溶けて淡雪(あわゆき)流る

  あたヽかき光はあれど
  野に満つる香(かおり)も知らず
  浅くのみ春は霞みて
  麦の色わずかに青し
  旅人の群はいくつか
  畠中の道を急ぎぬ

  暮れ行けば浅間も見えず
  歌哀し佐久の草笛
  千曲川いざよふ波の
  岸近き宿にのぼりつ
  濁り酒濁れる飲みて
  草枕しばし慰む

 …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 この詩は、明治32、3年島崎藤村(明治5年~昭和18年)27歳頃の作です。この頃藤村は、小諸義塾の教師として小諸に赴任していました。そんな折り、早春のある日小諸城址にほど近い千曲川を逍遥していて生まれた詩です。
 明治34年発行の『落梅集』が初出です。同集冒頭に収められた時は『小諸なる古城のほとり』でしたが、この詩と後半の『千曲川旅情の詩』を、後に藤村自身が自選した藤村詩抄で『千曲川旅情の歌 一、二』として合わせました。以来この詩は、元々の題名よりも『千曲川旅情の歌』として親しまれてきました。よって今回は、それにならいました。発表以来広く人口に膾炙(かいしゃ)されてきた、全編に叙情性が漲(みなぎ)る名詩です。

 この詩を一言で表現するとすれば、「憂愁の早春賦」とでもなるのでしょうか。
 「遊子悲しむ」「歌哀し」「しばし慰む」…。とにかく詩の全体を支配する憂愁、アンニュイの気分は、一体どこから来るものなのでしょう。藤村のそんな気分を反映して、目に映ずる千曲川の景色は、有ってほしいものが悉く無い、つまり否定された早春の景色ばかりのようなのです。
 いわく、「緑なす繁萋は萌えず」「若草も藉くによしなし」「野に満つる香も知らず」「浅間も見えず」。(但し「無いもの」を挙げることにより、かえってそれを読み手の心に現出させている詩的効果はさすがです。)

 新体詩を目指しながらこの詩は、五七調です。つまり和歌、俳句などの伝統詩を未だ引きずっているわけです。藤村のみならず以前ご紹介した独歩など、明治の詩人たちにとって伝統からの脱却は容易ではなく、皆苦闘していました。
 もちろん目指したのは西洋の自由詩です。のみならず、西洋的近代性といっていいかもしれません。特に藤村や独歩は若くして上京し、どちらも都会性と共にキリスト教の洗礼を受けています。藤村の個人的な背景以外に、実はここにこそこの詩を解く鍵があるように思います。

 明治の青年群像は、国家の要請として、伝統から脱し欧化しようとして苦悶、苦闘していました。さりとて西洋的な救いに真の平安が見出せない。これは漱石もそうでした。明治の知性ある青年なら誰でも切実に問わざるを得なかった、時代的通過儀礼のようなものだったのではないでしょうか。
 それは自然観察にも大変な影響を及ぼしています。古来からの自然との一体観、融合観は影をひそめ、ともすれば自然を否定的にとらえる対立的自然観が生まれてきたのです。こうして藤村など明治の詩人、文人たちは、芭蕉や蕪村の捉え方、感じ方とは異なった観点から自然に向き合うことになりました。
 今の私たちにとって自然は、更に更に遠のくばかりで…。
 (大場光太郎・記)

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不思議な子供たち(3)

 超能力を発揮する子供たち

 前回の「胎内記憶」を保持している子供たちも、一般的な社会通念では十分すぎるほどの「超能力者」ということが出来ます。しかしここでは、通常これまで超能力と呼ばれてきた、透視、透聴、物体遠隔移動などのいわゆるESP(Extra-sensory Perception)をいとも簡単に発揮してしまう子供たちの事例をご紹介してみたいと思います。

 ご存知の方もおいでかもしれませんが、七田眞(しちだ・まこと)という人がいます。この人はかなり以前から「七田チャイルドアカデミー」という0歳から6歳での子供たちを対象とした幼児教室を運営している人です。その七田氏の教育で従来の幼児教育と大きく違うのは、「右脳開発」を根本にすえているということです。
 通常私たち成人は「左脳(さのう)偏重」であり、本来「宝の山」である右脳(うのう)は大半が閉じられて機能出来ない状態です。しかしそのくらいの年令の幼児は違います。いつでも右脳使用OKの状態なのです。(ということは、幼児はこの世界を、大人たちとは違う把握の仕方をしているということです)。そこで右脳が本格的に開花するようにうまく誘導してあげると、いとも簡単に信じられないような能力を発揮してしまうのです。

 その実例を七田眞の著書の中から、ご紹介します。
(1)ある子供は、テレビを見ていて次にどうなるか、次の画面が見えると言って次々にその場面を当てたり、階下にいて二階でつけているテレビの画面を説明したりするなどの透視力を持っているということです。
(2)子供を同アカデミーに通わせているお母さんからの手紙では―
 ―この頃子供のESP能力が爆発的になりました。電池も入っておらず、リモコンも使わずにおもちゃの飛行機を「前に進め!」「止まれ!」と動かします。
 テレビも自分の思い一つで、つけたり消したりしています。

(3)次は「子供が母親の病気を」治してあげる話です。
 ある晩母親の腰が寝返りもうてないほど痛みがひどくなりました。そんな時、以前にも子供が痛みを治してくれたことを思い出しました。七田教室に行く電車の中で、子供に背を向けて「腰が痛いんだけど、どこかおかしい所ない?」と母親は聞きました。すると子供は、以外にも腰ではなく背中の上のある箇所をさわり、「ここが真っ黒になってる」といいました。
 そこで「ここは?」と腕を指して聞くと「肌色」と答えたので、「じゃあ、黒い所も同じように肌色にしてくれる?」と頼むと、手でゆっくり背中をなでて良くなるイメージをしているようでした。
 そのうち「だんだん黄土色みたいになってきた。大丈夫、ママ。絶対治るから」と子供は言いました。電車を下りるまで約20分でしたが、その間何度となく背中をなでて、「もう肌色になっているよ」といわれました。目的地に着き、降りるために席を立った時、つい先ほどでの腰の重さや痛みがすっかり消えているのがわかりました。
 (以上、七田眞『右脳で生きるコツ』・PHP出版、船井幸雄・七田眞『百匹目の猿現象は右脳から』・KKベストセラーズより)

 実はこれは七田アカデミーの子供たちだけに見られる能力ではありません。以前テレビで、中国やロシアの超能力少年少女のケースを紹介していましたが、一定の訓練を施してやれば、世界中の多くの子供たちが自然と発揮してしまう能力であるようです。
 そしてこの能力は、例えば我が国で言えば縄文人など、太古の人たちはごく自然に身につけていた「常能力」だったと言われています。しかしそれ以降の文明は、その能力を抑圧し封じ込める方向に進んでいきました。(但し現代でも、ネイティヴ・アメリカンやオーストラリアのアポリジィニなど「未開人?」には見られます。)
 
 これには種々の要因が考えられます。その一つは、ある特定の支配階級にとって、民衆が「超能力」を持つことはコントロール上大変不都合だったということです。そのかっこうの例として、ヨーロッパ中世における「魔女狩り」が上げられます。「魔女」に象徴されるように、「右脳的能力」は「女神の力」の一つです。父権的キリスト教会が弾圧し葬り続けてきたのは、実は女神の力だったのです。 (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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ドーする!?東京地検

 東京地検特捜部の当初の思惑は、高度な政治的配慮(?)のもとに、今回の西松違法献金事件は民主党小沢代表の件だけで一件落着とさせるつもりのようでした。しかし漆間官房副長官の「自民党には捜査が及ばない」オフレコ発言が表に出て、状況は一変しました。
 「裏に何か政治的な意図があるんじゃないの?」という疑念が国民の間から澎湃(ほうはい)として沸き起こり、地検もさすがに重い腰を上げざるを得なくなったものなのでしょうか。
 
 今度は、自民党の道路族並びに運輸族のドンの一人、二階俊博経済産業相の会計責任者が近く事情聴取されるらしいと、永田町は大騒ぎのようです。二階氏は現職大臣です。もしこれが本当なら、民主党側のオウンゴールによって、若干支持率を持ち直した麻生内閣、自民党には、一転して測り知れない大衝撃です。本当に一寸先は闇の、何とも奇妙奇天烈(きてれつ)、面白い(?)「政界オセロゲーム」との感を深く致します。
 
 二階大臣の場合、これまで報じられてきたパーティー券838万円の話が先ずあります。既報のとおりこの問題では、西松のダミー団体から違法である150万円超の献金を受けており、事実なら政治資金規正法違反にあたります。しかし問題はこれだけではないようです。これはいわば「表献金」で、それ以外に「巨額裏献金」疑惑が表面化しつつあるようです。
 毎日新聞によれば、「逮捕された西松建設の前社長・国沢幹雄ら幹部は年1、2回」二階氏側に現金を手渡していた」そうです。収支報告書にはこの記載がなく、「裏献金」の疑い濃厚とのことです。これに関して共同通信の報道はもっと具体的で、西松の関係者が東京地検の取調べに対して「二階氏側に、10年以上にわたり総額6千万円前後の金を渡していた」「二階氏本人に、1対1で渡したこともあった」と供述したというのです。

 これがもし事実なら悪質極まりない事件であり、民主党小沢代表の一件など霞んでしまいそうなくらいです。言われている金額も半端ではありませんし、何しろ会計責任者というにとどまらず二階氏本人への本格捜査が避けられない事態です。まさに自民党にとっては、青天の霹靂、メガトン級の爆弾炸裂か、といった事態なのではないでしょうか。
 野党はこの「二階問題」と「漆間発言」の二点セットでガンガン攻めてくるでしょう。また東京地検も小沢ルートよりも、この二階ルートの調べを先行させそうだという情報もあるようです。

 しかしさる政界通の読みでは、「検察の本命はあくまで小沢。しかしそれで終わりだと“政権交代潰しだ”となり、世論の支持が得られない。だから二階を捜査しても形式犯の政治資金規正法違反で終わりになるだろう」と言うのです。
 西松の関係者が自供までしていると報道されているのに、検察は二階ルートの表に少し踏み込むだけで、「証拠不十分」として肝心の6千万円の裏献金には手をつけないつもりなのでしょうか。
 
 今回の「漆間発言」を待つまでもなく、以前から検察と時の政権との裏取引いわゆる「国策捜査」が、ずいぶん取りざたされてきました。もはや、「現憲法が高らかに謳っている司法・立法・行政の「三権分立」など教科書の中だけ」と、国民の多くがそう思っているのではないでしょうか。
 検察がもし本当に、司法としての誇り高い独立性を主張するのであれば、この西松事件においては、国民にそのような疑念を抱かせない、公正な捜査による全容解明を強く望みたいものです。
 
 (大場光太郎・記)

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『天地人』について(4)

 『天地人』は初回からずっと、去年大好評だった『篤姫』に迫る高視聴率のようです。当ブログでは「天地人おもしろくない」などと酷評気味ですが、けっこう面白く観ている全国のお茶の間も多いということでしょうか?それともやはり「篤姫効果」?初回の「泣き虫与六効果」?
 いずれにしても当フログ、けなしながら実は「天地人人気」にちゃっかり乗っかっているわけです。その意味では、「天地人様々」といったところです。でも当ブログでは、面白ければ面白いあるいはつまらなければつまらないと、今後とも率直に語っていきたいと思います。
                        *
 さて『天地人』第9回「謙信の死」第10回「二人の養子」は、上杉謙信(阿部寛)の死後を巡って物語が展開していきました。『謙信ほどの軍略の天才がなぜ?』と疑問が湧きますが、史実として謙信は遺言を遺さなかったようです。そのため、謙信在世中は一枚岩を誇っていた上杉家臣団に、亀裂が生じることになりました。上杉景勝(北村一輝)と上杉景虎(玉山鉄二)の両家臣たちが、家督を巡って対立を深めることになったのです。
 それを見かねた妙椿尼(萬田久子)は、謙信が「家督は景勝に」と遺言したと嘘をつき、家臣たちはしぶしぶそれを認め、一旦騒ぎは収まります。偽遺言の事実は、当の妙椿尼と仙桃院(高島礼子)直江兼続(妻夫木聡)お船(常盤貴子)の四人だけの秘密ということで、上杉家の騒乱を鎮めるためにこの嘘を真(まこと)としていくことを誓い合います。

 それでは納得出来ないのが、景虎の家臣団です。景勝は、元々は北条家から人質として養子に来させられた外様の身分でした。しかし謙信は、自分がかつて名乗っていた「景虎」を名乗らせたほど、ことのほか景虎を可愛がりました。さしもの謙信も、自分の跡継ぎに関しては、景勝か景虎か思い悩んで、ついに決断出来なかった可能性はあると思います。
 その景虎です。景勝より一歳若いものの、なかなか人望もありまた実力もあったようです。だから、何とか我が主君・景虎を謙信の跡継ぎにと、景虎の家臣団が思うのも無理からぬところです。家臣の中には、ひそかに北条家に救援の密書を送る者もいました。

 ドラマでは、謙信葬儀の夜、兼続の父・樋口惣右衛門(高嶋政伸)が、景虎側の機先を制して「(春日山城の)本丸を押さえよ」と、兼続と二男の与七(小泉孝太郎)に指示したことにしています。本丸には、佐渡の金山事業などで謙信が蓄えた莫大な軍資金があったのです。事実上家督を継ぐとすれば「本丸」を押さえることが、最重要だったからです。
 父の命を受けて兼続は、景勝にその旨の許可を求めます。しかし景勝は、義兄弟の契りを結んでいる上、妹の華姫(相武紗季)を景虎の妻として嫁がせていることもあり、首を縦にふりません。しかしことは急を要します。そこで主君には惣右衛門が後で説得することとし、兼続兄弟は夜陰に紛れて本丸を目指します。そこに仲間の上田衆も加わり、途中景虎勢との小競り合いはあったものの、何とか本丸を確保し、納得した景勝も本丸に向いました。

 この一連の経緯については、一部兼続の伝記などによると、脳溢血により死の床にあった謙信から、「世継ぎは景勝様でよろしゅうございますね」と、介護に当たっていたお船の妹・吉乃に尋ねさせ、謙信が「ううう」と唸ったことをもって「これで決定  ! 」と、断を下したのは兼続だったとしています。そしてその後の本丸占拠も、もちろん兼続の計略だったというのです。
 その時兼続18歳。もしそれが本当ならば、現在の若者と比較すれば、およそあり得ないほどの大胆不敵、機略縦横ぶりです。しかし「人生50年」の当時です。元服間もなくならばいざ知らず、兼続はその頃既に押しも押されもせぬ(他国からも上杉軍最強と恐れられた)上田衆のリーダー的存在になっていました。

 師と仰いだ謙信も、その年頃に実力で越後国主の地位を、時の将軍足利義輝に認めさせています。弱冠18歳の兼続が既にそれだけの力量と成熟度を示していたとしても、あまり不思議ではないと思います。
 ちなみにこの事跡について、その作者は次のように評しています。
 「兼続は判断が早かった。先手必勝でことに臨んだ。この素早い行動力。これが兼続の真骨頂だった」 (星亮一著「軍師・直江兼続」より)

 NHKさん、私が求めている兼続像とは、まさにこれなのです。「義だ、愛だという観念論は一先ずいいんです」というようなことについては、また次回で。
 (大場光太郎・記)

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ご報告致します(5)

 3月5日(木)で、開設以来の総訪問者数が8,000人を越えました。いつものとおり、その内容の概要を以下にご報告申し上げます。なお、1月初旬私自身の分を除外する方法がやっと分かり、私の訪問数は過去に遡って除外しました。よって以下の数字は、純粋な訪問者数となっております。
 
(1)開設(‘08年4月29日)~‘09年3月5日(延べ日数-311日)
    訪問者合計     8,003 人
    日 平 均       25.7 人  
(2)過去30日分(2月4日~3月5日)
    訪問者合計     1,614 人
    日 平 均       54.3 人
(3)訪問者3,000人当り対比
    前回  110日で到達 (9月7日~12月25日)
    今回  70日で到達  (12月26日~3月5日)
    今回/前回比     0.64 
(4)開設~3月5日現在アクセス数
               12,912 件
    アクセス数/訪問者数比 (12,912÷8,003)
                 1.61/人 
(5)開設~3月5日現在コメント数
    コメント数        281 件  
    うち私の返信等     137 件

 冒頭申しましたが、私のアクセスを除外出来ました。それと共に最近、「アクセスカウンター」を表示させました。最初に表示を試みた2月25日時点の(私自身の分を含めた)アクセス合計は、32,700くらい。そこから私自身の操作のためと思われる数20,000余を差し引き、「12,000」をその時点での純アクセス数と推定しました。正確ではないものの、1ヶ月以上追跡した結果の数値であり、当たらずといえども遠からずかなと考えています。よって以後、それを初期値として表示させてまいります。どうぞご了承ください。 

 さて有名人ブログはさておき。ごく一般人のブログとして、上記訪問者の数字が多いのか少ないのか、あるいは訪問者速度が早いのか遅いのか。比較する基準をほとんど持っていないので、知るよしもありません。
 「ブログ」は、運営者の方針、好み、個性、諸事情、ブログ作成・運営の力量などによって千差万別だと思います。ですから、他ブログと比較してもあまり意味はありません。
 ただ私は当初からのお約束で、このように一定の区切りで、目安となる数値をその都度公開してきました。これは、当ブログをご訪問くださる方々に出来るだけ具体的なデータを公開して、当ブログの現時点での実情を知っていただくことが一つです。そしてもう一つは、あえて公開することによって、私自身の更なる励みにしようという意図もあります。

 「訪問者数」に関しまして。前にも述べましたが、開設から1ヶ月半ほど1日10人の訪問者にも届きませんでした。『出来るだけ大勢の人に読んでもらいたくて、せっせと良い記事を作っているつもりなのになぁ』。すっかり落ち込んでいました。しかしその後徐々にアクセスがふえて、今回ご報告のような数字にまでなりました。
 ただし、今回はだいぶ無理しています。したがって、直前1ヶ月平均:54.3人/日はあてになりません。現時点の当ブログ実力では、日平均40人前後が妥当なところです。

 実にありがたいことに、全国各地からご訪問くださいます。ウソ偽りなく、北は北海道から南は沖縄まで。多い少ないのバラツキはあるものの、47都道府県すべてからまんべんなく。たまにはハワイから、などということもあります。また中には「言語 English」という方が定期的に訪問されています。『この人はどこの国の人?』。日本国内に居住されている外国の方でしょうか、それとも海外からアクセスしてこられる方なのでしょうか?

 私如き者が運営しておりますブログに、全国各地からこうしてアクセスしてこられ拙い記事をお読みいただける。インターネットという媒体がなければ、私のような者は何か言いたくても言える場が得られず、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」となっていたところでした。改めてインターネットというものの、驚異的な瞬時的通信性、無距離伝達性、自在な情報発信性が実感されます。
 
 次回は、1万人到達時点でのご報告とさせていただきます。開設の4月29日までにはと考えております。おかげ様で、今のまま推移すれば十分到達可能なところまで来ました。
 今後とも当ブログごひいきくださいますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 (大場光太郎・記)

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不思議な子供たち(2)

 胎内記憶をもつ子供たち 

 フジテレビの夕方の番組で『スーパーニュース』というのがあります。木村太郎と安藤優子がキャスターを務めている報道番組です。今から3、4年前のことでしょうか。あるいはご覧になった方もおいでかもしれませんが、ある日同番組を6時台たまたま観ていました。すると正確なタイトルは忘れましたが、「胎内記憶を持つ子供たち」というような内容の特集だったかと思います。

 同特集の内容です。3、4年前の当時、5、6歳から10数歳の子供たちを対象に取材したものでした。そこで三島由紀夫も真っ青のような、「胎内記憶」を持つ子供たちの例が紹介されたのです。詳しいことは忘れましたが、それは以下のような内容です。
 7、8歳くらいの男の子の例。それによるとその子は、お母さんの胎内に宿っていた時の感触を覚えているのだそうです。「お母さんのお腹の中ってどんな具合?」と聞かれて、その子は「うん。とっても温かくて気持ち良かったよ」と答えていました。私たち大人からすれば、口あんぐりの驚いた話です。

 しかしこんなことくらいはまだ序の口です。中には、母親の胎内に精子として飛び込んで卵子に受胎してから、胎児として少しずつ大きくなっていくようすを、まるで別の自分が客観的に眺めていたかのように、幾つかの絵にして描いてみせた子もいました。
 それは稚拙ながら、医学書などで胎児が成長して大きくなっていくプロセスの図解とかなり似通っているものでした。

 そして極めつけは。これこそ大人たちの想像を絶する子供の例です。その子の記憶は、母親の胎内での記憶にとどまりません。何と驚くべきことに、それ以前の言ってみれば「未生(みしょう)の記憶」とでも呼ぶべきものです。
 その子は未生の別の世界で、雲の上のような所から日本のある地域を見下ろしていたそうです。傍らには、天使のような愛に溢れた存在が付き添って。その結果、その地域のある地区のある家に目が吸い込まれていったそうです。そして天使のような存在(多分その子のガイドでしょう)と相談の結果、「あの家の子供になる」と決めたと言うのです。
 インタビュアーがその子に聞きました。
 「何で、この家の子になるって決めたの?」
 「それはね。お父さんとお母さん、どちらもとても優しそうだったから」
 そう、その子は答えていました。

 いくらくだけた民放で、5時台の主要なニュースが終わった後とはいえ、このような内容の特集を組むとは。皆様既にご存知のとおり、私はこのような分野に人一倍強い関心を抱いています。その私からみて、その時の『スーパーニュース』の取組みは大いに評価したいと思います。

 しかし実は「胎内記憶(出生記憶とも言う)」は、アメリカなどではかなり以前から科学的研究の対象として、専門的に取り組んでいる医学者はけっこういるのです。そして近年日本でもその研究が徐々に進められ、同番組でもその研究に携わっている某医師が各例についての見解を述べていました。その医師いわく。今の社会システムがそういうことを否定し抑圧しているだけで、実は胎内記憶を潜在させている子供たちはけっこういるのだと。

 それだけではなく、アメリカでは「前世(ぜんせ)記憶」すら、かなり以前から大まじめに研究されています。その成果が『前世を記憶する子どもたち』という本にまとめられています。これは世界各地から寄せられた数多くの「生まれ変わり」の事例を長年にわたって調査・分析してきた、米国精神科教授と共同研究者たちによるものです。まさに驚異的な説得力ある事例がふんだんに紹介されています。日本では、1990年とそのパートⅡが1995年に、日本教文社から発刊されています。

 「胎内記憶」や「前世記憶」は、「死後生存」の可能性とも大いにリンクします。そこでこれらについて、ここでもう少し踏み込んで述べていきたいところです。しかし皆様の中には、これらのことにあまりなじみがなく、少なからず抵抗感をお持ちの方も多いかと思われます。
 そこで今回は、さらりと流すにとどめたいと思います。いつの日かじっくり述べる機会があれば…。地球全体が「上級の惑星」に進化しようとしている「今この時」。好むと好まざるとに関わらず、それらは必須の情報なのです。皆様の「意識の拡大」を切に願っております。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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不思議な子供たち(1)

 先の『ドーする?!医療崩壊』記事の中で、ご紹介しようと思いながら書き忘れたことがありました。それはアメリカのある子供の体に起こった異変についてですが、それはおいおい述べていくとして―。
 今回は、大人たちの常識では信じられないような、不思議な能力を持つ子供たちが世界中で増えているということを、以下にご紹介してみたいと思います。

 突然ですが。皆様は、幼少時の記憶を幾つの時まで遡れますでしょうか?ちなみに私の場合は、当ブログで何度か述べましたように、5歳くらいの記憶は飛び飛びながら残っています。
 さらに遡って―。太郎村の我が家の中で一人留守番をしているかすかな記憶があります。土間からすぐの、囲炉裏のある板敷きの部屋です。それがただの留守番ではなく、幼児の私があちこち徘徊しないように、腰に紐を巻きつけられそれを少し長く伸ばして柱に結わえつけられてなのです。夕方父母が畑から帰ってくるまで、柱からわずかな周囲が私の動き回れる空間だったわけです。
 父母が野良仕事に行くのに幼い子供は邪魔になり、一番上の私をそうやって縛りつけて置いて行ったものと思われます。

 ずっと後年母に確かめたところ、どうやら私が3歳頃のことのようです。父母の名誉のため申し添えれば、これは我が家独自のことではなく、私の郷里では(あるいは全国の農村どこでも?)まヽあったことだと思います。
 しかしかすかな記憶ではあってもそんな幼時の記憶が残っているということは、その後私の中でかなりのトラウマとなったのかもしれません。思えば私は、小学校高学年頃から外で友だちと遊び回るよりは、家の中で一人静かに本を読むことを好むような少年になっていきました。大人になってからもその傾向は変わらず、人混みや社交的な場はどちらかというと苦手で、孤独を好みがちです。(もちろん必要ならば、そういう場にも出ていきますが)。
 その時の幼児体験が、私の性格形成に大きく影響した可能性は否定できないと思います。

 幼児記憶で有名なのは三島由紀夫です。『仮面の告白』は、昭和24年発刊で三島の文壇デビュー作であり、世界的にも高く評価された代表作でもあります。『仮面の告白』の書き出しは次のとおりです。
 
  永いあいだ、私は自分が生まれた光景を見たことがあると言い張っていた。

 そして少し先の個所で、その根拠となる描写がなされます。少し長めですが、なかなかの名文ですから以下に引用します。

 …どう説き聞かされても、また、どう笑い去られても、私には自分の生まれた光景を見たという体験が信じられるばかりだった。おそらくはその場に居合わせた人が私に話してきかせた記憶からか、私の勝手な空想からか、どちらかだった。が、私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないところがあった。産湯(うぶゆ)を使わされた盥(たらい)のふちのところにほんのりと光りがさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金(きん)でできているようにみえた。ゆらゆらとそこで水の舌先が舐(な)めるかとみえて届かなかった。しかしそのふちの下のところの水は、反射のためか、それともそこへも光りがさし入ったのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合わせをしているようにみえた。         (新潮文庫版『仮面の告白』より)

 出生直後というこの描写をめぐって、これは三島自身の本当の記憶なのかそれとも創作(フィクション)なのか、発表当時大いに話題になったようです。私の個人的見解では、三島由紀夫ほどの鬼才ならあながち作り話ではなく、実際の記憶だったのではないだろうかと考えております。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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小沢代表秘書逮捕に思うこと

 3月3日のひなまつりの夕方、国民にとっても驚天動地のようなビックニュースが飛び込んできました。民主党代表・小沢一郎の公設第一秘書・大久保隆規(47)の逮捕です。逮捕したのは、これまでも数々の政治的事件を扱ってきた、あの東京地検特捜部です。
 既にどなたもご存知かもしれませんが、西松建設裏金事件に絡んだ、政治資金収支報告書の虚偽記載容疑です。西松からの献金を、西松OBが代表を務める政治団体からの献金であるかのように記載したというものです。
 
 献金の額は‘03年~‘06年の4年間で計2,100万円。この額は他の政治家と比べて突出して多く、政党支部への献金やパーティー券購入分などを含めれば、過去10数年間で総額3億円にも上ると言われています。
 政治資金規正法は政党以外への企業献金や他人名義での献金を禁じています。大久保も現在容疑を否認しているものの、特捜部は大久保が西松建設に直に献金を要求した文書の存在を確認しているとして、起訴に向けて徹底的に捜査を進めていく方針のようです。

 一方小沢代表は、一夜明けた4日午前民主党本部において釈明会見を開きました。約40分にも及ぶ会見の中で同代表は、「今回の検察の強制捜査は、従来からのやり方を越えた異常な手法。政治的にも法律的にも不公平な国家権力、検察権力の行使だ」と、地検特捜部を厳しい口調で批判し続けました。
 そして同問題は「政治資金規正法に則って適法に処理し、報告し、公開されているもので、何らやましいところはない」、したがって「目下のところ代表辞任などはまったく考えてない」と言うようなことを、いつになく強い口調で語りました。

 しかし東京地検特捜部が、上に述べたような「動かぬ証拠」を本当に握っているとすれば、大久保容疑者の起訴は免れないでしょう。さらには小沢代表がこの件にどこまで関与していたかによっては、代表辞任はもとより小沢一郎の政治生命が終わりになるような大問題です。
 国民の多くが、「自民党は政権与党としての耐用年数は最早尽きたな。頼りなくても民主党への政権交代やむなしだな」と考えていただけに、落胆は大きなものがあります。今始まったことでもないけれど、これでより一層国民の政治不信は増大することでしょう。「これでまた政権交代は遠のいたな。この国が北朝鮮のような一党独裁から脱して、まともな政治先進国になれるのは一体いつなんだ?」。

 それにしても、「なぜ今なの?」と思った人も多かったのではないでしょうか。この問題は3年以上前の話です。特捜部は「時効が…」と言うけれど、それは‘03年分だけで、後の3年分については十分な時間をかけられたわけですから。『ホントにそれだけが理由なの?』と、つい勘ぐってしまいます。
 そこから、一部民主党首脳が言うように、「国策捜査」「謀略捜査」という疑いも出てくるわけです。政権交代が起きてしまうとよほど困る者が、東京地検トップにもいるということなのでしょうか?
 今回の西松裏金事件では、額こそ違え自民党の森喜朗元総理、二階俊博経済産業相、尾身幸次元財務相らも同じようなケースで献金を受けています。地検特捜部は、それらの人々に対しても公平に捜査を進めるべきです。そうでなければ、「いや。決してそんなことはない」と地検がいくら釈明しても、国策捜査の疑いはずっと残ります。

 それにしても、今回の事件で大笑いしているのはどこの誰なのでしょう?それはまず、圧倒的逆風にあった自由民主党です。それと同じ与党の公明党でしょう。株式会社(失言。宗教法人)創価学会の池田大作の証人喚問を阻むため、池田氏存命中は政権の座に何が何でもしがみついていたいわけですから(ここまで言っても、まさか弱小当ブログが炎上することもないでしょう)。
 肝心なお人を忘れていました。支持率低下にあえぐ麻生総理です。そう言えば(どうでもいい)例のぶら下がり会見で、ここ数日やけに余裕綽々時に軽口をたたいていましたっけ。(なるほど、こういうことだったんだな。)
 逮捕を受けた夜の会見では、某幹部から「間違っても、笑わないように」とクギをさされたそうですが、内心は笑いをこらえるのに必死だったでしょうね。アーァ、何だかバカらしくなってきちゃった !
 (大場光太郎・記) 

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うれしいひなまつり

    街の灯にまどひて舞へり春の雪   (拙句)

 3月3日桃の節句ひなまつりのこの佳き日。何とあろうことか、当厚木市では夜から雪が降ってきました。そういえば日中も小雨がちの曇り空。『ひなまつりだというのに、きょうはやけに寒いなぁ』と思っていました。
 もさもさというほどではないにしても、時ならぬ春の雪。しかし今冬はこれまで雪という雪はほとんど降らず、今頃になって今年の初雪か?といった具合です。ただ先ほど外に出て見ても、車のルーフや畑などの土の所にうっすら白く積もっているばかり。明日の朝には止みそうな感じです。

 ところで「ひなまつり」ということで、私はちょうど1年前の去年の3月3日頃のことを思い返しました。たまたまその前日の3月2日夜7時過ぎ、「二木紘三のうた物語」の『赤い靴』にコメントを致しました。私の幼少時の忘れがたい思い出、特に下の妹・菊子の死についてだいぶ長文のコメントになりました。
 「赤い靴の女の子・岩崎きみ」とは何の関係もない、ただ余所にもらわれていって幼くして死んでしまったという薄幸さだけが共通項。極めて個人的な体験であり、だいぶ迷いましたが、思い切って発表させていただきました。

 内容が内容だけに、ご同好の皆様にかなり深刻な印象を与えるだろう。私に続いてコメントする人が、しばらく途切れるかもしれない。そうなれば、責任を取って「うた物語コメント」から撤退だな。そう覚悟を決めていました。
 しかし、私の同拙文をお読みになり、3日早朝早々と心温まるコメントをお寄せいただいた方がおられました。れいこ様です。
 おかげ様で『うた物語』へのコメントを、その後去年いっぱいまで引き続きさせていただくことが出来ました。

 れいこ様への返信の中で、「本日たまたま「ひなまつり」です。半世紀余り経ってようやく、妹・菊子への良い手向けができた思いです」と記しました。そうしましたら、私の一連の拙文に心動かされたのかどうか、同日夕方『うれしいひなまつり』に、大変印象深いやはり幼少期の思い出コメントを寄せられた方がおられました。
 それまで3月3日という日に特別な思い入れはありませんでした。しかしそのような次第で、昨年の3月3日はこれからもずっと、私にとって記憶に残る日となることでしょう。

 同拙文、これまでも『うた物語』ご同好の大勢の皆様からお読みいただいたことと思います。きょう3月3日も『赤い靴』から、当ブログ記事『「赤い靴はいてた女の子の像」実見記』をご訪問の方がおられました。このように、『赤い靴』拙文は今後とも読み継がれていくことでしょう。
 わずか3歳で世を去った妹・菊子は、おかげ様で去年そうしてよみがえりました。今生での縁薄かったとはいえ、兄としてこれ以上の喜びはありません。
 考えてみれば菊子は、私ら残りの家族のための人身御供のようなものでした。今改めて申し訳なさと、感謝の想いと、それに恥じない生き方をしてきたのかという自責の念でいっぱいです。 

 末尾ながら。れいこ様は、その後も『故郷を離るる歌』『母さんの歌』『谷間のともしび』と、節目節目でお励ましのコメントをたまわりました。そして当ブログ開設当初から変わらずご訪問いただいております。この紙面をお借りして篤く感謝申し上げます。中には「NG ! 」という記事もあろうかと存じますが、なにとぞ若輩者の致すところとご寛恕たまわり、今後ともよろしくお願い申し上げます。
 今後益々ご健勝で過ごされますよう、お祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記) 

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ドーする?! 医療崩壊(3)

 「想念で直せない病気はありません」  (ある存在からのメッセージ)

 既にご存知かと思いますが、人間には本来「ホメオスタシス」「自然治癒力」が備わっています。免疫機能、ホルモン組織などは、人間の体が十全であるために四六時中体内で働いています。つまり人間は、少々の体の不調や病気や病原菌などを退ける力を、本来的に備えているのです。(但し、有害なものを摂取せざるを得ない食生活、運動不足、ストレスの多い生活などにより、それらの機能が低下していることは否めません。)
 
 「人間は少々の病気なら、自分で直せる」。このことは、医療に携わる関係者なら誰でもとうの昔に知っています。しかし、日々各病院を訪れる患者たちや一般国民に、その事実を広く啓蒙しようとはしていません。最近は良心に目覚めた医師も増えてきつつあり、個々にはそのような試みもなされてはいるようです。ただ医療界全体としては、まだまだです。
 なぜなのでしょう?理由は明らかです。もしそんなことが広く一般大衆のコンセンサスにでもなろうものなら、それこそ逆の意味で我が国の「医療崩壊」が引き起こされてしまうからです。
 大学病院、各地の病院で勤務する医師や看護師。のみならず、日本医師会を頂点とする我が国の医療ヒエラルキー。それらとズブズブに癒着している族議員や厚労省官僚や大手製薬メーカー。皆々「商売上がったり」。困ることになる人や組織の数は、膨大です。

 ある人は皮肉混じりにこう言います。「今の時代、“神”は各種宗教団体にいるのではない。“現代の神”は病院にいるのだ」。確かに、大学病院の医療事故が続いて起こっても、まだまだ患者たちにとって医師による「ご託宣」は絶対です。
 しかしそもそも医師(あるいは最先端の医療テクノロジー)は、本当に人間の体について完璧に知っているのでしょうか?いいえ、この人たちも実は「人体の驚異」については、私たち一般ピープルと五十歩百歩です。仮にノーベル医学賞受賞者級の権威だとしてもです。

 古代エジプトや古代インドのイニシエート(秘儀伝承者)などにはよく知られていたとおり、人間の体は肉体のみではありません。目に見える体以外に、より精妙なエーテル体、アストラル体、メンタル体、スピリット体などを幾重にもまとっているのです。私たちは、自分で日頃認識しているような、身長2m以下の小っぽけな存在などではなく、無限に広がる生命体であるのです。
 「見えるものだけがすべて」とする現代医学では、このようなことは仮説にも上りません。その結果、全体の深い連関などにはとんと思いを致さず、目に見える肉体の特定部位のみにメスを入れたり投薬して、対処療法的に処置します。しかし肉体はあくまで結果次元なのです。体に顕れた徴候だけを追いかけ回して、一時的に治したように思われても根治はとても無理です。「目に見えない」原因次元へのアプローチがなされていない以上、真の治癒は望めないのです。

 そこで結論として―。
 「今この時」は、あらゆる面で「真理」「真実」に個々人が目覚めるべく強く促されている時です。原則として「いかなる外部の権威によらずとも、体の不調はある程度自分の“想い一つ”で直せる」。このことを自覚することは、「真(まこと)の人」に向うための重要な一歩になると思われます。私たちは、自分が常日頃考えている以上に強い生命体です。今この時は、「光の想い」によって自らが自らを癒す時なのです。
 もし国民の多くがそのことをハッキリ自覚さえすれば、出産ややむをえない救急や突発的発症以外は、そう頻繁に病院を訪れたり薬を多用することもなくなると思います。その時残るのは、真に優れた医師や看護師のみ。医師不足など簡単に解消されます。
 結果困るのは、利権まみれの人たちだけ。増大し続ける医療費の半分以上は、確実に減らせるのではないでしょうか。  ― 完 ―
 (大場光太郎・記) 

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ドーする?! 医療崩壊(2)

 以下『朝生』の議論から離れて、あまり医療知識のない私が、僭越ながら極論ともいえる「私の医療観」を述べてみたいと思います。

 私はこれまでも今現在も、病院という所は滅多なことでは利用しません。若い頃からそうでした。
 それでは人並み以上の優れた体格と健康体かというと、それほどの自信はありません。むしろ若い頃から今現在まで、どちらかというと虚弱体質とも受け取られかねない体形です。身長160cmジャスト、体重50余Kgほどと、現代男性の規格外の小柄さ。幼少の頃の栄養失調がたたったのか、肝心の骨格が細いのです。腕などは並みの女性より細いくらいです。40代前半頃までは少しは(今でいう)イケメン系のやさ男、今では若干若く見えるくらいの貧弱なオヤジといったところでしょうか。

 ハッキリ申しまして、私は「現代医療」なるものに対して、心のどこかで信用していないところがあるのです。そのため、病院などには出来れば行きたくないわけです。たまに行くとすれば、歯科医院くらいなものです。薬もまず飲みません。
 現在の自営業を始めた頃、親戚の人から「定期健診だけはきちんと受けておいた方がいいよ」と忠告されました。しかしそんな忠告もどこ吹く風で。この12年間検診なしですから、自分の体が一体どうなっているのか、さっぱり分かりません。(実際はある程度は分かっているつもりです)。しかしそれで何か不都合が生じたでしょうか?まったく何も。以来体調は、まあおおむね快調です。今のところ困ることは何もないと思います。

 私の知人で、所属する某社で定期健診を受けて、自分でも思ってもみなかった内臓系の疾患を指摘され、以来気になって気になって、とうとうその疾患が実際現われ通院生活を送ることになってしまった人を知っています。
 昔から「病は気から」と申しますが、結局そういうことなのだろうと思います。もし今私が当市で実施している定期健診などをきちんと受けるとすると、2、3の病名は必ず指摘されることでしょう。指摘され、自分自身でその病名を強く意識する―途端に私は、「○○○」という病名を持つ「病人」になってしまうわけです。
 
 意識することは現われ、意識しないことは現われない。「心の法則」の重要な一面です。本人が○○○という病気を一切意識しない認めない以上、どうしてその人間の体にその病気が現われることが出来ますでしょうか。
 外部の権威機関によって病人と宣告されるよりは、『自分は今の今でも、完全健康体なのだ』と思っている方が、実際の健康的生活のためにはるかに良いのではないでしょうか?(なお、定期健診や人間ドッグの「予防効果」を否定するものではありません)。

 私たち「ホモ・サピエンス(智恵ある生き物)」は、あまりにも「自分自身は病気に対して無力な存在である」と思い込み過ぎています。今回の『朝生』のテーマである「医療崩壊」のすべての根源は、この人類全体の誤った思い込み、さらに申せば「集団的催眠状態」に端を発しているのではないだろうかと思われるのです。
 もし多くの人が私の例のように、「私はただ今健康です。原則として、私の体は私自身が何とか致しますから。今後どうにもならない不具合が生じた際、その時はよろしくお願い致します。しかしそれまでは、病院様とは縁もゆかりもない身でございます」ということになったとしたらどうでしょう?ただでさえ財政難の、特に増大する一方の医療費は著しく減少し、国は大助かりとなり「医療崩壊」は見事に解決を見るのではないでしょうか。  (以下次回につづく)
 
 (大場光太郎・記) 

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ドーする?! 医療崩壊(1)

 28日未明の今月のテレビ朝日『朝まで生テレビ』は、「激論 ! ドーする?! 医療崩壊」がテーマでした。私と『朝生(同番組を以下このように表記)』との関わりは、昨年11月の『田母神論文をめぐって(1)』で述べました。
 
 いつものとおり、司会:田原総一朗、進行:長野智子、渡辺宣嗣。今回のパネリストは、国会議員から自民党衆院議員で厚労省副大臣の大村秀章、共産党参院議員で医師でもある小池晃。そして普段はめったにお目にかかれない、医療現場の最先端で活躍中の専門家や医療ジャーナリストなど10名ほど。それで、いつものとおり午前1:20~4:15頃までの長丁場の討論となりました。

 私は後述するかと思いますが、「医療問題」にさほど関心を持っているわけではありません。ただ今日、この面でも地域間格差が広がっていて、地方の病院経営が立ち行かなくなり閉鎖に追い込まれている問題、満床などの理由で次々に受け入れを断られ死亡した妊婦の問題、特に産婦人科や小児科に顕著な医師不足の問題、それらすべての根底にあると思われる医療費削減方針の厚労省などの医療行政の問題等々。
 医療費という一点にしぼっても、75歳以上の後期高齢者のそれは既に11兆円にも上るとか。今後いよいよ高齢化社会に向いつつある状況下、それは更に増大し続けるのは目に見えているわけです。私自身は決してそうは思っていませんが、私も60歳を間近にして「高齢者」の仲間入りか?という年代なわけで、少し関心を持ち、途中から途中までおよそ1時間半くらい今回の『朝生』を観てみました。

 その結果、「医療」は人間にとって必要不可欠なものであるのに、上記のような諸問題が山積している。その問題とは云々(うんぬん)かんぬんかくのとおりであると、医療専門のパネリスト各位が、それぞれ医療現場ののっぴきならぬ実情などを披露します。そして結局は、特にバブル崩壊以後医療費が目の敵にされ削減方向に政策誘導してきた、財務省、厚労省など医療行政がすべて悪かったのだ。
 例えば警察や消防署が赤字でも誰も大騒ぎしない、なのになぜか医療機関が赤字を出すと大騒ぎだ。これは、政府の人命軽視も甚だしいのではないか。もう一つ、病院ががん患者を4週間入院させた場合の請求額は約120万円。なのに、高速道路の(必要でもない)緊急電話設置費用が倍の240万円。これの原価はたったの40万円、途中で搾取するシステムが出来ているのだ。こんな無駄なところにカネを使って、肝心の医療費は削減とはどういうことだ。共産党の小池議員も、医師の強みを生かして強力に援護射撃です。
 一身に矛先を向けられた厚労副大臣の大村議員は、「いや、そんなことはない。政府は時々でやるべき医療政策はきちんと果たしてきた」と、口角泡を飛ばしてやり返します。
 
 そんなことを言う医師側にも問題はないのか?山間僻地の診療所などへはもとより、地方病院には行きたがらず、大都市へと医師が集中することが問題だ。いや患者だって問題だ。今では学校におけるモンスターペアレントならぬ「モンスターペーシェント(怪物化した患者)」もいて、何かというとすぐにクレームをつけあげくは訴訟を起こされるから、医師側も恐る恐る患者と向き合うことになる。昔は一も二もなく医師を尊敬し信頼してくれたが、今の患者は本当に恐い。云々。

 ともすれば議論は、責任のなすりつけ合い、堂々巡りになりがちです。『朝生』のいつもの習いで、医療問題の深刻な面は大いにクローズアップされました。がしかし、それではタイトルの「ドーする?! 医療崩壊」を防ぐための、画期的な処方箋が何か得られたかというと、それは結局打ち出され終いだったのではないかと思います。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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