« 不思議な子供たち(3) | トップページ | 私の所感(4) »

千曲川旅情の歌

           島崎 藤村

  小諸なる古城のほとり
  雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
  緑なす繁萋(はこべ)は萌えず
  若草も藉(し)くによしなし
  しろがねの衾(ふすま)の岡辺
  日に溶けて淡雪(あわゆき)流る

  あたヽかき光はあれど
  野に満つる香(かおり)も知らず
  浅くのみ春は霞みて
  麦の色わずかに青し
  旅人の群はいくつか
  畠中の道を急ぎぬ

  暮れ行けば浅間も見えず
  歌哀し佐久の草笛
  千曲川いざよふ波の
  岸近き宿にのぼりつ
  濁り酒濁れる飲みて
  草枕しばし慰む

 …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 この詩は、明治32、3年島崎藤村(明治5年~昭和18年)27歳頃の作です。この頃藤村は、小諸義塾の教師として小諸に赴任していました。そんな折り、早春のある日小諸城址にほど近い千曲川を逍遥していて生まれた詩です。
 明治34年発行の『落梅集』が初出です。同集冒頭に収められた時は『小諸なる古城のほとり』でしたが、この詩と後半の『千曲川旅情の詩』を、後に藤村自身が自選した藤村詩抄で『千曲川旅情の歌 一、二』として合わせました。以来この詩は、元々の題名よりも『千曲川旅情の歌』として親しまれてきました。よって今回は、それにならいました。発表以来広く人口に膾炙(かいしゃ)されてきた、全編に叙情性が漲(みなぎ)る名詩です。

 この詩を一言で表現するとすれば、「憂愁の早春賦」とでもなるのでしょうか。
 「遊子悲しむ」「歌哀し」「しばし慰む」…。とにかく詩の全体を支配する憂愁、アンニュイの気分は、一体どこから来るものなのでしょう。藤村のそんな気分を反映して、目に映ずる千曲川の景色は、有ってほしいものが悉く無い、つまり否定された早春の景色ばかりのようなのです。
 いわく、「緑なす繁萋は萌えず」「若草も藉くによしなし」「野に満つる香も知らず」「浅間も見えず」。(但し「無いもの」を挙げることにより、かえってそれを読み手の心に現出させている詩的効果はさすがです。)

 新体詩を目指しながらこの詩は、五七調です。つまり和歌、俳句などの伝統詩を未だ引きずっているわけです。藤村のみならず以前ご紹介した独歩など、明治の詩人たちにとって伝統からの脱却は容易ではなく、皆苦闘していました。
 もちろん目指したのは西洋の自由詩です。のみならず、西洋的近代性といっていいかもしれません。特に藤村や独歩は若くして上京し、どちらも都会性と共にキリスト教の洗礼を受けています。藤村の個人的な背景以外に、実はここにこそこの詩を解く鍵があるように思います。

 明治の青年群像は、国家の要請として、伝統から脱し欧化しようとして苦悶、苦闘していました。さりとて西洋的な救いに真の平安が見出せない。これは漱石もそうでした。明治の知性ある青年なら誰でも切実に問わざるを得なかった、時代的通過儀礼のようなものだったのではないでしょうか。
 それは自然観察にも大変な影響を及ぼしています。古来からの自然との一体観、融合観は影をひそめ、ともすれば自然を否定的にとらえる対立的自然観が生まれてきたのです。こうして藤村など明治の詩人、文人たちは、芭蕉や蕪村の捉え方、感じ方とは異なった観点から自然に向き合うことになりました。
 今の私たちにとって自然は、更に更に遠のくばかりで…。
 (大場光太郎・記)

|

« 不思議な子供たち(3) | トップページ | 私の所感(4) »

名詩・名訳詩」カテゴリの記事

コメント

英雄は英雄を知る如く、詩人もまた詩人を知る。この名詩についての大兄の評論を拝読してつくづくその思いを強くしております。『憂愁の早春賦』、まさに至言だと思います。ただ、大兄はこの詩を従来の日本的な自然観ではなく、西洋型の対立的自然観に拠っていると評しておられるようですが、私は必ずしもそうは思いません・・・。
 伝統の束縛から脱皮し欧化を目指そうとしながらも、そこに真の平安を見出せずに格闘し苦悶した明治の知識人たち。それはたしかに文明の変革期に特有の通過儀礼でした。その苦悶はしかし、平成の世に生きる私たちの心のどこかに、今なお引きずっていると言えないでしょうか。

投稿: くまさん | 2009年3月12日 (木) 22時13分

 くまさん様。本拙論に対し過分なご評価をいただき恐縮に存じます。
 「自然観」について、一言釈明させていただければ。この名詩のように、確かに藤村の場合、必ずしも「西洋の対立的自然観に拠っている」とまでは言えないところがあります。その叙情的な名描写には、古来からの伝統的なエキスも十分汲んでいると思われるからです。その点、「この詩のように、対立的自然観が生まれてきた」という表現は少し言いすぎだったかもしれません。
 それにしても、明治の知識人たちが知らず知らずのうちに、西洋的自然観の影響を受け始めていたのは間違いないと思われます。だからこの詩から「憂愁」を感じるとすれば、それは藤村個人に止まらない「近代的憂愁」だったのではないかと思われます。一体このような憂愁の気分は、明治の文明開化以前の青年たちは感じることがあったのだろうか?という問いを発すれば、ある程度肯けることなのではないでしょうか。
 以上からこの詩は、藤村の内なる、伝統詩と西洋詩とのせめぎ合いの中から生まれた代表的な詩と言えるとも思われます。
 今回少し調べましたが、藤村はこの詩を収録した『落梅集』の発行をもって、詩とは訣別し、散文に向うことになったようです。ご存知のとおり、小諸時代に名品『千曲川のスケッチ』が生まれていますし、東京に戻る頃には『破戒』の構想もおおむねまとまっていたようです。
 なお、本拙文末尾で少しふれましたが。私は「自然観」については、現代の方が何段階も深刻だと思います。去年も何かのコメントの折り述べたかと思いますが、今は小説、詩を問わず、以前のような「自然描写」は格段に減っています。まるでそれを排除する形で、現代文学は成立していると言っても過言ではない状況のように見受けられます。
 人間はそもそも、「火土水(ひとみ)」の三大エレメントでもって地上に生を享け、そして自然の中で生かされ、また土に還って行く「自然の子」である。このことは、永遠に変わることのないはずなのに。現代人よ、「自然」を離れてどこへ行く! そんな想いがしますね。

 なお今回のやりとり、記事として採用させていただきます。なお『おくりびと・感想』今もって大好評で、連日アクセスがひきもきりません。今回は申し訳ありませんが、聞き役に回っていただきました。また、私の文については、だいぶお化粧を施しております。
 以上のこと、あしからずご了承ください。 

投稿: 大場光太郎 | 2009年3月12日 (木) 23時57分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 不思議な子供たち(3) | トップページ | 私の所感(4) »