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不思議な子供たち(1)

 先の『ドーする?!医療崩壊』記事の中で、ご紹介しようと思いながら書き忘れたことがありました。それはアメリカのある子供の体に起こった異変についてですが、それはおいおい述べていくとして―。
 今回は、大人たちの常識では信じられないような、不思議な能力を持つ子供たちが世界中で増えているということを、以下にご紹介してみたいと思います。

 突然ですが。皆様は、幼少時の記憶を幾つの時まで遡れますでしょうか?ちなみに私の場合は、当ブログで何度か述べましたように、5歳くらいの記憶は飛び飛びながら残っています。
 さらに遡って―。太郎村の我が家の中で一人留守番をしているかすかな記憶があります。土間からすぐの、囲炉裏のある板敷きの部屋です。それがただの留守番ではなく、幼児の私があちこち徘徊しないように、腰に紐を巻きつけられそれを少し長く伸ばして柱に結わえつけられてなのです。夕方父母が畑から帰ってくるまで、柱からわずかな周囲が私の動き回れる空間だったわけです。
 父母が野良仕事に行くのに幼い子供は邪魔になり、一番上の私をそうやって縛りつけて置いて行ったものと思われます。

 ずっと後年母に確かめたところ、どうやら私が3歳頃のことのようです。父母の名誉のため申し添えれば、これは我が家独自のことではなく、私の郷里では(あるいは全国の農村どこでも?)まヽあったことだと思います。
 しかしかすかな記憶ではあってもそんな幼時の記憶が残っているということは、その後私の中でかなりのトラウマとなったのかもしれません。思えば私は、小学校高学年頃から外で友だちと遊び回るよりは、家の中で一人静かに本を読むことを好むような少年になっていきました。大人になってからもその傾向は変わらず、人混みや社交的な場はどちらかというと苦手で、孤独を好みがちです。(もちろん必要ならば、そういう場にも出ていきますが)。
 その時の幼児体験が、私の性格形成に大きく影響した可能性は否定できないと思います。

 幼児記憶で有名なのは三島由紀夫です。『仮面の告白』は、昭和24年発刊で三島の文壇デビュー作であり、世界的にも高く評価された代表作でもあります。『仮面の告白』の書き出しは次のとおりです。
 
  永いあいだ、私は自分が生まれた光景を見たことがあると言い張っていた。

 そして少し先の個所で、その根拠となる描写がなされます。少し長めですが、なかなかの名文ですから以下に引用します。

 …どう説き聞かされても、また、どう笑い去られても、私には自分の生まれた光景を見たという体験が信じられるばかりだった。おそらくはその場に居合わせた人が私に話してきかせた記憶からか、私の勝手な空想からか、どちらかだった。が、私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないところがあった。産湯(うぶゆ)を使わされた盥(たらい)のふちのところにほんのりと光りがさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金(きん)でできているようにみえた。ゆらゆらとそこで水の舌先が舐(な)めるかとみえて届かなかった。しかしそのふちの下のところの水は、反射のためか、それともそこへも光りがさし入ったのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合わせをしているようにみえた。         (新潮文庫版『仮面の告白』より)

 出生直後というこの描写をめぐって、これは三島自身の本当の記憶なのかそれとも創作(フィクション)なのか、発表当時大いに話題になったようです。私の個人的見解では、三島由紀夫ほどの鬼才ならあながち作り話ではなく、実際の記憶だったのではないだろうかと考えております。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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