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ドーする?! 医療崩壊(2)

 以下『朝生』の議論から離れて、あまり医療知識のない私が、僭越ながら極論ともいえる「私の医療観」を述べてみたいと思います。

 私はこれまでも今現在も、病院という所は滅多なことでは利用しません。若い頃からそうでした。
 それでは人並み以上の優れた体格と健康体かというと、それほどの自信はありません。むしろ若い頃から今現在まで、どちらかというと虚弱体質とも受け取られかねない体形です。身長160cmジャスト、体重50余Kgほどと、現代男性の規格外の小柄さ。幼少の頃の栄養失調がたたったのか、肝心の骨格が細いのです。腕などは並みの女性より細いくらいです。40代前半頃までは少しは(今でいう)イケメン系のやさ男、今では若干若く見えるくらいの貧弱なオヤジといったところでしょうか。

 ハッキリ申しまして、私は「現代医療」なるものに対して、心のどこかで信用していないところがあるのです。そのため、病院などには出来れば行きたくないわけです。たまに行くとすれば、歯科医院くらいなものです。薬もまず飲みません。
 現在の自営業を始めた頃、親戚の人から「定期健診だけはきちんと受けておいた方がいいよ」と忠告されました。しかしそんな忠告もどこ吹く風で。この12年間検診なしですから、自分の体が一体どうなっているのか、さっぱり分かりません。(実際はある程度は分かっているつもりです)。しかしそれで何か不都合が生じたでしょうか?まったく何も。以来体調は、まあおおむね快調です。今のところ困ることは何もないと思います。

 私の知人で、所属する某社で定期健診を受けて、自分でも思ってもみなかった内臓系の疾患を指摘され、以来気になって気になって、とうとうその疾患が実際現われ通院生活を送ることになってしまった人を知っています。
 昔から「病は気から」と申しますが、結局そういうことなのだろうと思います。もし今私が当市で実施している定期健診などをきちんと受けるとすると、2、3の病名は必ず指摘されることでしょう。指摘され、自分自身でその病名を強く意識する―途端に私は、「○○○」という病名を持つ「病人」になってしまうわけです。
 
 意識することは現われ、意識しないことは現われない。「心の法則」の重要な一面です。本人が○○○という病気を一切意識しない認めない以上、どうしてその人間の体にその病気が現われることが出来ますでしょうか。
 外部の権威機関によって病人と宣告されるよりは、『自分は今の今でも、完全健康体なのだ』と思っている方が、実際の健康的生活のためにはるかに良いのではないでしょうか?(なお、定期健診や人間ドッグの「予防効果」を否定するものではありません)。

 私たち「ホモ・サピエンス(智恵ある生き物)」は、あまりにも「自分自身は病気に対して無力な存在である」と思い込み過ぎています。今回の『朝生』のテーマである「医療崩壊」のすべての根源は、この人類全体の誤った思い込み、さらに申せば「集団的催眠状態」に端を発しているのではないだろうかと思われるのです。
 もし多くの人が私の例のように、「私はただ今健康です。原則として、私の体は私自身が何とか致しますから。今後どうにもならない不具合が生じた際、その時はよろしくお願い致します。しかしそれまでは、病院様とは縁もゆかりもない身でございます」ということになったとしたらどうでしょう?ただでさえ財政難の、特に増大する一方の医療費は著しく減少し、国は大助かりとなり「医療崩壊」は見事に解決を見るのではないでしょうか。  (以下次回につづく)
 
 (大場光太郎・記) 

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コメント

基本的に大場さんのお考えに賛成です。
私も出来るだけ病院には行かないことにしています。何かあれば勿論行きますが、そうでもない限り行かないと決めています。「病は気から」というのは古人の名言だと思います。むしろ病気と闘うという気持を強く持つ方が大切ではないでしょうか。
ところが、病院通いの好きな人がかなりいますね。また、何でも薬を服用したがる人も大勢います。こういった面をまず是正すべきではないでしょうか。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年3月 2日 (月) 17時46分

 矢嶋様。私の拙い説にご賛同たまわり、ありがとうございます。確かに、病院通いが日課になっているお年寄りややたらと薬を服用しないと安心できない人が多いようです。こういう小さな諸問題が山積して、今日「医療崩壊」が深刻な問題になってきているものと思われます。
 根本的解決は、私たち国民一人ひとりの「医療」あるいは「健康」に対する意識改革から始まるものと考えます。その辺のことを、明日は更に述べていければと思います。
 ところでお言葉を返すようですが、一つだけ。病気は「闘う」ものではないようです。例えば「ガン細胞」にしても、「どす黒い悪細胞」というのが現代医学的捉え方で、したがってそういう悪は断固闘って消滅、撲滅させなければならないというスタンスです。これはいわば、どこかでアメリカの「対テロ戦争」と通底した考え方ですね。現代文明の根底に根深く横たわる、「善悪(分離)二元論」です。
 しかし「ニューエイジ的考え方」では、決してそうではないのです。その視点でいけば、がん細胞は極めて波動の高い細胞組織体ということになるのです。高細胞体が、私たちの生き方の間違いをそうやって教えてくれているのだ、と捉えるのです。そうするとガンの完治はどうするのか?教えてくれたガン細胞に、先ず心からの感謝です。そして生き方の間違いを出来るだけ根源にさかのぼって改める。そうすることにより、被患した人間も高波動化して、告知の役割を終えたガン細胞は離れていく。これがいつかご紹介した、早稲田の同窓生、足立育郎氏の『波動の法則』の説いていたことだったかと記憶しています。
 惜しむらくは、筑紫哲也氏も鳥越俊太郎氏も旧思考で、ガンと闘おうとしておられた(現在闘っておられる)のではないでしょうか?今宇宙潮流は、「闘わない」方向に進みつつあります。すなわち「善悪二元(我善し・エゴ)」から「至善(真の自然―皆善し)」の方向ですね。(以上若輩者が、大変僭越ながら)

投稿: 大場光太郎 | 2009年3月 2日 (月) 19時23分

これもよく聞く話ですが、病があれば、病と“共生”しつつ生きようという姿勢ですか? 闘って撲滅しようというのではなく、病をむしろ受け入れていく生き方と理解するのですが。
「一病息災」的な考えではないでしょうか。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年3月 3日 (火) 08時55分

 まず始めに。午前中パソコンから離れており、お返事おそくなりした。
 さて、一面ではそういう解釈になるのかもしれせん。ただもう少し積極的に捉えますと、本来「病」自体が真に存在(実在)するものではないわけです。仏教の有名な教えに、「三界は唯心の所現なり」ということがあります。病は人間が勝手に作り出した、「心の影」のようなものと言えるということです。
 いささか原理宗教的になりますが、キリスト教の教理を拝借すれば、創世記の「善悪の木の実」を食べたことによる「アダムとイヴの原罪」の象徴物語以降、「病」が発生したと考えられます。「善悪相対二元論」の始まりですね。これによって、アダムとイヴは、エデンの園という楽園(至善の園)から追放され、人間の堕落が始まった。善悪相対二元的捉え方=堕落なのです。
 今はかかる分離対立思考の極みのような時代です。だから、真の愛も平和も遠のくばかりです。したがって私たちが近々に求められているのは、片方に悪、敵、病などを認めて「闘おう」とする、この善悪相対二元対立思考からの脱却ではないだろうかと思われます。以前そのことを、ある近代日本の宗教家は「人間神の子。本来無病」と説きました。いずれ「善悪の木の実」の現代的解釈について、更に記事に出来ればと考えています。

投稿: 大場光太郎 | 2009年3月 3日 (火) 13時07分

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