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『天地人』について(4)

 『天地人』は初回からずっと、去年大好評だった『篤姫』に迫る高視聴率のようです。当ブログでは「天地人おもしろくない」などと酷評気味ですが、けっこう面白く観ている全国のお茶の間も多いということでしょうか?それともやはり「篤姫効果」?初回の「泣き虫与六効果」?
 いずれにしても当フログ、けなしながら実は「天地人人気」にちゃっかり乗っかっているわけです。その意味では、「天地人様々」といったところです。でも当ブログでは、面白ければ面白いあるいはつまらなければつまらないと、今後とも率直に語っていきたいと思います。
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 さて『天地人』第9回「謙信の死」第10回「二人の養子」は、上杉謙信(阿部寛)の死後を巡って物語が展開していきました。『謙信ほどの軍略の天才がなぜ?』と疑問が湧きますが、史実として謙信は遺言を遺さなかったようです。そのため、謙信在世中は一枚岩を誇っていた上杉家臣団に、亀裂が生じることになりました。上杉景勝(北村一輝)と上杉景虎(玉山鉄二)の両家臣たちが、家督を巡って対立を深めることになったのです。
 それを見かねた妙椿尼(萬田久子)は、謙信が「家督は景勝に」と遺言したと嘘をつき、家臣たちはしぶしぶそれを認め、一旦騒ぎは収まります。偽遺言の事実は、当の妙椿尼と仙桃院(高島礼子)直江兼続(妻夫木聡)お船(常盤貴子)の四人だけの秘密ということで、上杉家の騒乱を鎮めるためにこの嘘を真(まこと)としていくことを誓い合います。

 それでは納得出来ないのが、景虎の家臣団です。景勝は、元々は北条家から人質として養子に来させられた外様の身分でした。しかし謙信は、自分がかつて名乗っていた「景虎」を名乗らせたほど、ことのほか景虎を可愛がりました。さしもの謙信も、自分の跡継ぎに関しては、景勝か景虎か思い悩んで、ついに決断出来なかった可能性はあると思います。
 その景虎です。景勝より一歳若いものの、なかなか人望もありまた実力もあったようです。だから、何とか我が主君・景虎を謙信の跡継ぎにと、景虎の家臣団が思うのも無理からぬところです。家臣の中には、ひそかに北条家に救援の密書を送る者もいました。

 ドラマでは、謙信葬儀の夜、兼続の父・樋口惣右衛門(高嶋政伸)が、景虎側の機先を制して「(春日山城の)本丸を押さえよ」と、兼続と二男の与七(小泉孝太郎)に指示したことにしています。本丸には、佐渡の金山事業などで謙信が蓄えた莫大な軍資金があったのです。事実上家督を継ぐとすれば「本丸」を押さえることが、最重要だったからです。
 父の命を受けて兼続は、景勝にその旨の許可を求めます。しかし景勝は、義兄弟の契りを結んでいる上、妹の華姫(相武紗季)を景虎の妻として嫁がせていることもあり、首を縦にふりません。しかしことは急を要します。そこで主君には惣右衛門が後で説得することとし、兼続兄弟は夜陰に紛れて本丸を目指します。そこに仲間の上田衆も加わり、途中景虎勢との小競り合いはあったものの、何とか本丸を確保し、納得した景勝も本丸に向いました。

 この一連の経緯については、一部兼続の伝記などによると、脳溢血により死の床にあった謙信から、「世継ぎは景勝様でよろしゅうございますね」と、介護に当たっていたお船の妹・吉乃に尋ねさせ、謙信が「ううう」と唸ったことをもって「これで決定  ! 」と、断を下したのは兼続だったとしています。そしてその後の本丸占拠も、もちろん兼続の計略だったというのです。
 その時兼続18歳。もしそれが本当ならば、現在の若者と比較すれば、およそあり得ないほどの大胆不敵、機略縦横ぶりです。しかし「人生50年」の当時です。元服間もなくならばいざ知らず、兼続はその頃既に押しも押されもせぬ(他国からも上杉軍最強と恐れられた)上田衆のリーダー的存在になっていました。

 師と仰いだ謙信も、その年頃に実力で越後国主の地位を、時の将軍足利義輝に認めさせています。弱冠18歳の兼続が既にそれだけの力量と成熟度を示していたとしても、あまり不思議ではないと思います。
 ちなみにこの事跡について、その作者は次のように評しています。
 「兼続は判断が早かった。先手必勝でことに臨んだ。この素早い行動力。これが兼続の真骨頂だった」 (星亮一著「軍師・直江兼続」より)

 NHKさん、私が求めている兼続像とは、まさにこれなのです。「義だ、愛だという観念論は一先ずいいんです」というようなことについては、また次回で。
 (大場光太郎・記)

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