« 春風の詩(うた) | トップページ | 私の所感(3) »

春暁(しゅんぎょう)

      孟浩然

  春眠不覺暁    春眠暁(あかつき)を覚えず
  處處聞啼鳥    処処啼鳥(ていちょう)を聞く
  夜来風雨聲    夜来風雨の声
  花落知多少    花落ちること知りぬ多少ぞ

 …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 孟浩然(もう・こうねん) 永昌元年(689年)~開元28年(740年)。中国唐の時代の代表的詩人の一人。襄州襄陽(現在の湖北省襄樊市)出身。若い頃から侠気を好み、各地を放浪し人々と交流した。詩の特徴から、王維と孟浩然は「王孟」と並び称された。

 我が国の清少納言に「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎわ、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」の名文あるとすれば、中国の盛唐詩には「春眠暁を覚えず」の名絶句ありといったところでしょうか。
 この詩は我が国にも早くから伝わり、以来広く愛読されてきました。

 本日22日当地(いや、関東はじめ広い地域で?)朝から突風、強風が吹き荒れた一日でした。しかも外に出てみると、突風には雨も少し混じっていて、横なぐりに道行く私目がけて吹きつけてきました。「夜来風雨聲」ならぬ「終日風雨聲」といった感じを抱きながら、ふとこの詩を思い出しました。
 しかしきょうの風は、悠長に詩など詠めないほどの強風でした。『地域によっては被害が出るんじゃないの?』と思われました。(もっとも夕方には、強風の方はおさまりました。)

 春の季語の一つに、「春疾風(はるはやて)」というのがあります。「春の強風、突風をいう。西または南の風で、雨を伴ったり、長時間砂塵を巻いたりする」(角川文庫版『俳句歳時記・春の部』より)。本日の突風にぴったりの定義です。
 昨21日は、東京の一部の桜(染井吉野)が予報どおり開花したそうです。また春の季語として「花散る」があり、その発展形として「花散らしの風」というのもあります。この場合の「花」とは「桜の花」を指します。古(いにしえ)から人々にとって、「花といえば桜」。桜はそれほど、日本人の美意識に深く浸透している花です。
 「花散らしの風」はしたがって、桜が満開の頃に吹く、突風を伴う強風のことです。桜はきのう開花したばかりですから、本日の風はそれとはまた別の風ということになります。強いてあげれば、春彼岸の頃に吹くとされる、「彼岸西風(ひがんにし)」ということになろうかと思われます。

 『春暁』の詩の解題から大きく逸脱してしまいました。
 しかしこの五言絶句は、古来広く人々に知られた名詩です。改めて注釈を施す必要などないと思います。但し転句・結句の「夜来風雨聲 花落知多少」の「風」は、まだ花々に乏しい今回の風よりも後の「花散らしの風」に近いのかなと推測します。
 もちろんこの詩の中の「花」は桜ではありません。さて盛唐の頃の春の花とはどんな花だつたのでしょう?孟浩然が愛で、長安の深宮の壮麗な庭園にて、玄宗皇帝がそして傾国の美女・楊貴妃が毎春ごと愛でていたであろう花とは。桃の花、牡丹の花はたまた別の花?大変興味深いところです。

 (大場光太郎・記)

|

« 春風の詩(うた) | トップページ | 私の所感(3) »

名詩・名訳詩」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 春風の詩(うた) | トップページ | 私の所感(3) »