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ガード下の靴みがき

 先月「二木紘三のうた物語」に、『ガード下の靴みがき』が新しくアップされました。二木(ふたつぎ)先生のmp3の名演奏を解説を読みながら最初に聴いた時、とめどなく涙が流れました。推察するに、ご同好の多くの皆様も同様だったのではないでしょうか。解説によりますと、この歌が発表されたのは昭和30年(1955年)8月のことだそうです。(作詞:宮川哲夫、作曲:利根一郎、唄:宮城まり子)
 
 「最早戦後ではない」と言われ出した昭和30年当時。山形の辺鄙(へんぴ)な村で、我が家は父が病に倒れどん底にあったことは、これまで何度も記してきました。ちょうどその頃ある晩、村の集会所で幻燈(げんとう-スライド映写)を母とともに見ました。東京のようすを写したものでした。何やら遠くて現実感の希薄な都だなあと、思ったのか思わなかったか。とにかくぼんやり見ていました。
 そんな東京のど真ん中でもまた、こんな貧しさがあったわけです。この歌の主人公である「おいら」は、戦災孤児。ガード下を通る大人たちの靴を磨かせてもらって、日々を何とかしのいでいたのでしょう。戦後10年経ってもまだ、戦災孤児?
 私の郷里の町の夏祭りと秋祭りを思い出します。立ち並ぶ出店の外れで、片腕か片足かを戦争で無くしたという自称傷痍(しょうい)軍人たちが、白装束姿でアコーディオンをひいたりして寄付を求めていました。昭和30年代半ば頃でもなお、当時の社会は終戦直後のメンタリティを色濃く引きずっていたのです。
 
 「おいら」が、親を亡くして終戦を迎えたのはうんと幼児の時。そして10幾つになった今でも、ガード下の靴みがき。
 ガード下。昭和50年代後半でも、新宿駅界隈のガード下は薄汚く、両壁面には全共闘のビラや右翼のビラが所狭しと貼られはがれ落ちていました。昭和30年当時ならなおのこと。やっと雨風がしのげるだけの、どんよりと澱んだ薄暗い処(ところ)だったことでしょう。
 今も昔も、最底辺の者が救われるのは一番最後です。(但し二木先生の解説の中には、そんな逆境の中から這い上がり立派な社会人になった人の感動秘話も紹介されています。)

 ある種の人たちは、国の誇りとか国家の威信といったことを声高に主張します。そうした言葉自体に問題はなくても、彼らが意図するのは、実は他の国々に対する政治的・軍事的なプレゼンスの強大化です。
 そうしたことを追求していった結果が、多くの人々から愛する者や、楽しかるべき子ども時代を奪うようなものなら、誇りも威信もいりません。三等国・四等国でけっこう。芸術や科学、スポーツで成果を上げれば、ほかの国々から尊敬は得られます。
 (二木先生「蛇足」の結論部より)
 
 「三等国・四等国でけっこう」は、私の心を強く撃ちました。
 この歌が発表されてからの半世紀余とは、一体何だったのだろうか?確かに物は豊かになり衣食住は格段に良くなったけれども。国土の荒廃は進み、共同体的和はズタズタに破壊されてしまった。「勝者など誰もいないよ」と、ただ薄ら寒い殺伐の風が吹き抜けるだけ。こんなことになるんだったら、本当に昭和30年代前半の、あの温もりのある三等国、四等国の方がよっぽどマシだったのではないでしょうか?
 
 現下は、戦後経験したことがないような未曾有の大恐慌の進行過程です。半世紀以上過ぎてなお、この国に新たな最貧者が巷に溢れる可能性があります。
     なんでこの世の 幸福(しあわせ)は
     ああ みんなそっぽを 向くんだろ   (3番より)
 願わくば、この歌詞のような心境の人が出ませんように。
 (大場光太郎・記)

 (この歌の歌詞と曲は、「二木紘三のうた物語」にあります。) 

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コメント

 この記事は09年3月公開ですが、今でもけっこうアクセスがあり、大変嬉しく思います。
 この歌を歌った宮城まり子さんは、「この歌はその後の私の生き方を変えてくれた歌なのです」と、後年述懐しています。そういう一曲にめぐり合えた歌手は、本当に幸せだと思います。
 戦後復興期の厳しい世相を歌ったこの歌は、長く後の世まで謳い継いでいってもらいたい名曲です。
 なお文中では、「昭和30年頃の東京の寸景」として捉えていますが、後で考えれば、昭和20年代のことを回顧して作られた歌だったという捉え方が正確なのかな、とも思います。

投稿: 時遊人 | 2011年2月21日 (月) 05時06分

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