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春分の日

    春分の夢のかけらが飛び散りぬ   (拙句)

 春分は、1年のサイクル・二十四節気の起点となるものです。天文学では、太陽が春分点を通過した瞬間すなわち太陽の視黄経が0度となった時間を春分と定義しています。(反対に、視黄経が180度の時が秋分。)
 江戸時代の『暦便覧』に「日天の中を行き昼夜等分の時也」と記されているとおり、春分では昼夜の長さがほぼ同じになると言われています。しかし実際は昼の方が夜よりも若干長くなります。理由は、大気による屈折で、太陽の位置が実際より上に見えるためです。屈折は太陽が地平線に近いほど大きくなります。そのため平均的な春分の日の昼の長さは約12時間7分、夜の長さは約11時間53分くらいになるのです。実際に昼夜の長さが最も小さくなる日は、春分の4日ほど前の日のようです。

 ご存知のとおり我が国では、春分の日は国民の祝日になっています。1948年(昭和23年)公布、施行の「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によって制定されました。祝日法ではこの日を、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としています。
 なお春分の日は、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子の「春分日」に基づいて閣議決定され、前年2月に官報(かんぽう)で告知されます。
 またこの日は、明治初期から1947年(昭和22年)までは、「春季皇霊祭」という祭日でした。

 またこの日はご存知のとおり、「お彼岸の中日」でもあります。初日は彼岸の入り、中心の日は中日、最後の日を彼岸の明けといい、合わせて7日間は各寺院で彼岸会(ひがんえ)の法要が営まれます。
 特に彼岸の中日である春分の日は、日が真西に沈むことから、真西に沈む太陽は極楽の東門に入ると伝えられ、この日の太陽を拝むと(十万億土を隔てた)西方極楽浄土の東門を拝むことになり、極楽が最も近くなる日と考えられてきました。
 
 彼岸(ひがん)とは、この世とあの世を挟んだ大きな川の向こう岸という意味です。そして彼岸は仏の世界であり、私たちの住む世界はこちらの岸(此岸)ということになります。すなわち彼岸は仏の大荘厳(だいしょうごん)世界、悟りの清浄世界であり、此岸(しがん)は凡夫の世界、五濁(ごじょく)の迷いの世界と捉えたのです。
 そして迷いの世界(此岸)から悟りの彼岸に到るのが(到彼岸)、仏教における主目的であるとされました。

 「仮に汝(なんじ)極悪人といえど、叡智の舟に乗らば、すべての罪を越えて彼岸に到るべし。」 (『バガヴァット・ギーター』より)
 
 この日に故人の霊を供養すると、迷わず極楽浄土に成仏できると信じられ、死者の冥福を祈り、おはぎ(本当は「お萩」は秋、春は「牡丹もち」)、草もち、五目ずし、稲荷ずしなどを作ってお墓参りします。
 おそらく仏教発生以前から世界中で、昼と夜の長さがほぼ等しいこの日に特別な意義を見出していたものと思われます。(キリスト教の「復活祭」も、それ以前から伝わっていたゲルマン人の春分の行事に、イエスの死と復活の伝説を習合させたという見方もされています。)
 我が国でも仏教伝来以前から、この日は祖先を敬い、農耕に感謝する日だったと考えられます。それが伝来した仏教と習合して、お彼岸の思想が生まれ、さらにはご先祖への感謝の気持ちを伝えるために墓参りする、という習慣になっていったものと思われます。
 また春の彼岸のこの頃は、長い間冬眠していた動物たちが動き始め、地方によってバラツキはあるものの農作業を本格的に開始する目安ともなる日でもあります。

 なお、最新の桜開花予想によりますと、ここ2、3日続いた4月、5月頃の陽気により、東京・横浜の桜開花は21日頃とさらに早まったとのことです。21日といえばお彼岸の中日の次の日、つまり明日ですよ。なのにもう「サクラサク」?
 「桜はいつ咲かなければならない」という、決まりも法律もないけれど。やはり「暑さ寒さも彼岸まで」のお彼岸に、もう咲いちゃった ! というのもねえ。
 
 (追記) 本記事は、フリー百科事典『ウィキペディア』の「春分」「春分の日」などを参考にまとめました。
 (大場光太郎・記) 

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コメント

今朝は小生も亡父の墓前に額づき、花を手向けて来ました。

「ヴァガバット・ギーター」。ヨガの聖典だそうですが、私はいまだ読んだことはありません。学生時代の一時期シモーヌ・ヴェイユという思想家に惹かれたことがあります。わずか34歳の若さでこの世を去ったユダヤ系のフランス女性ですが、その哲学は私の理解力ではとても歯が立たず、途中で投げ出してしまいました。しかし生涯を通じて、一途に、激しく、魂の救済を求め続けた彼女の生き様には、強く心を動かされたものです。
  『神を否定する人の方が、たぶんより近く神の側にいる。』
などという一節は、今も記憶に残っています。その彼女が晩年(といっても30代です!)関心を示していたのが、この「ヴァガバット・ギーター」でした。それでこの言葉に思わずハッとした次第です。

投稿: くまさん | 2009年3月20日 (金) 22時36分

 まあ、くまさん様ともあろうお方が。まだギーターをお読みではないとは。でもちょっぴり安心しました。
 私が思いますに、『バガヴァット・ギーター』は、新約聖書の『ヨハネ福音書』『ヨハネ黙示録』、仏教経典の『法華経』『般若心経』、道教の『老子道徳経』そして我が国の『古事記』などとともに、世界的な至宝の教えだと思います。モーヌ・ヴェイユという女性思想家は初めて聞きますが、19世紀以降欧米でも翻訳されて、様々な知識人に大変な影響を与えたようです。今回の訳は違いますが、岩波文庫の訳者・上村勝彦という人は、ギーター研究に心魂を傾けた人のようで、なかなか優れた訳です。私も久しぶりでもう一度この訳で読んでみたいと思います。
 『古事記』は奇異な感じを持たれるかもしれませんが。ある人いわく、真実は改竄されているものの、特に「上つ巻」は6通りの読み方が出来る書だそうです。そして究極の読み方が可能ならば、天地剖判以来の経綸を読み解くことも出来るとか。
 なお前回の『侍ジャパン』のやり取り、また記事として公開させていただきます。私の文は例により、だいぶふくらませました。ご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2009年3月20日 (金) 23時49分

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