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春だより(3)

   昼下がり小さき蝶の孤遊かな   (拙句) 

 きのうは久しぶりの春の雨。おととい20日は二十四節気の「穀雨(こくう)」でしたが、当日は曇天ながら雨は降らず、一日遅れの21日午後から穀物の生育を促す春の雨がけっこう降りしきりました。
 そして本日はうって変わっての晴天。暖かうららかな春の一日となりました。今のこの季節は植物特に道端や空き地の雑草が見る見る繁茂していく季節です。何週間か前は坊主頭のように短かった若草が、今ではもう20、30cmほどに丈を伸ばしています。そんな名もない草々に混じって、タンポポの小さな丸い黄色もずいぶん目立つようになりました。
 ことほどさように、春は自然界のもの皆の確かな再生の季節です。

 春夏秋冬が実にはっきりしている我が国で、人々はこのきちんきちんとした四季の巡りに、どれだけ深い影響を受けてきたか測り知れないものがあります。「雪月花」という日本的四季を表わす言葉もあります。おそらく日本人の民族性を醸成する上で、自然豊かな風土性は、決定的役割を果してきたのは間違いないと思われます。

 この季節はもちろん草々のみならず、多くの植物があっという間に繁茂する季節でもあります。家の庭先などでよく見かける柿の若葉も、日に日に黄緑色の葉を大きくして、日にやわらかく照り映えています。街の大通りの街路樹もとある道路のケヤキ並木も…。それぞれが若葉を豊かにしつつあります。

 私がよく通る近所の“水路道”には、藤の花がみごとに垂れ下がり、うす紫の高貴な色で今を盛りに咲き誇っています。
 いつか述べましたが、この道にあった大きな八重桜は先年根元から伐られ、道の先の方10mくらいは除草マットを敷かれたりと、ご多分に漏れずおエライ人間様の手によってさんざんな目にあっています。しかしともすると、中央のコンクリート部とマットの隙間からさえ、草は何とか少しでも地上に出んものと必死ではい出してきています。
 また八重桜はなくなったものの、なお小さな木は数本残っておりそれぞれが若葉で覆われて、わずかばかりの緑陰を作っています。びっしり住宅が建て込んだ中では、ちょっとした小自然の趣きで、モンシロチョウがゆらゆら飛翔していたり、小鳥たちさえ集まっては耳に心地良い囀りをしきりに交わしたりしています。

 ところで当厚木市の「市の花」は「皐月(さつき)」です。よそ者である私にはその由来はよくは分かりませんが、昔から当地の野山にはさつきが多く自生していたからなのでしょうか。
 そのため厚木市内の道路沿いの植え込みや一般家庭の生垣などにも、さつきがよく植えられています。そしてさつきも、今を盛りに咲いているのです。赤やピンクや白と色とりどりのさつきが、びつしりと生えた葉に負けないくらいいっぱいに咲き誇っているのを眺めて通るのも、なかなか乙なものです。

    吹けそよそよ吹け 春風よ
    吹け春風 吹け柳の糸に
     吹けよ吹け 春風よ
     やよ春風吹け そよそよ吹けよ
           
        (『春風』1番 歌詞:加藤義清 作曲:フォスター)

 爽やかな春風に吹かれながら街を歩いていると、昔習った『春風』が思わず知らず口をついて出てきます。(太字クリックで、mp3演奏が楽しめます。)
 そういえば街行く人たちの装いも、だいぶカラフルで軽装になりました。中には、夏の季語である日傘をさして歩くご婦人たちの姿も早や見受けられる、きょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)         

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