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さわらびの萌え出ずる春

                             志貴皇子

  石走る垂水の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 志貴皇子(しきのみこ) 天智天皇7年(668年)~霊亀2年(716年)。飛鳥(あすか)時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。父は天智天皇、母は越道君伊羅都売(こしみちのきみのいらつめ)。壬申(じんしん)の乱―天武天皇元年(672年)に起こった日本古代最大の内乱―後、天武天皇皇統が皇位を継承することとなったため、天智天皇系皇族だった皇子は、皇位継承とはまったく無縁。政治よりも和歌等文化の道に生きた人生だった。薨去後の宝亀元年(770年)、春日宮御宇天皇の追尊を受け、その系統は現在までも続くこととなった。御陵所の奈良市田原「田原西陵」にちなんで田原天皇とも称される。清澄で自然観察に優れた歌人として、万葉集に六首の歌を残している。 (フリー百科事典『ウィキペディア』の「志貴皇子」の項より)

 まずオーソドックスな解釈として―。
 「石(いわ)走る」は「垂水(たるみ)」にかかる枕詞(まくらことば)であるようです。そして垂水とは、「摂津の国(現在の大阪市、神戸市などを含む地域)垂水」という具体的な地名とされています。うららかな春のある日、皇子はかの地に赴き、実際に目にした情景をそのまま詠まれたものと言われています。垂水とは一般的には滝のことで、その地に名滝があったためその名がつけられたとのこと。
 しかしそんな背景を知らない私は、それとは少し違った解釈をしてみたくなります。
 
 雪解(ゆきげ)の頃から、冬中山に降り積もった雪が徐々に溶け始めます。その多くは地表を流下していきますが、一部の雪解水は山肌に沁み込んで伏流水となり春の盛りの頃になっても、山裾の小岩の割れ目などから歓喜のように地表に踊り出してきます。だから、垂水はかの地の名滝でもなく、山は耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)、天香具山(あめのかぐやま)といった「大和三山」のような名だたる山にあるものでなくてもいい、ごく普通の小山の情景でいいのです。
 私たちもちょうど今頃の季節、そんな小山の山道を散策していると、道上の小岩による小さな窪みから清水が迸(ほとばし)っているのを目の当たりにすることがあります。振り仰ぐと岩の上に、初々しい早蕨(さわらび)がヒョロンと萌え出ている―私自身の郷里での思い出から、そんな情景が思い浮かんでくるのです。また大滝の上よりも、2、3m高いくらいの所に生えているわらびの方が、目視にはちょうどいいように思われます。

 この歌の背景がどこであろうとも。「石走る垂水の上のさわらびの」は、迸る春の清水のように、何のよどみもない滑らかなリズムです。そして「萌え出ずる春になりにけるかも」と、一気に詠み切ってしまいます。
 あたかもさわらびが天に向って一直線に伸びていくように、そこにはおよそ何の屈託も屈折も悲哀の影もありはしません。春を感じさせてくれる事物を目のあたりにした、ただただ単純素朴な感動、感嘆があるのみです。まさに、「春の賛歌」そのものとも言うべき名歌だと思います。
 
 この歌の勢いと漲る清純の気から、皇子の若い時の歌ではないかと推察されます。壬申の乱などという上古最大の騒乱が、人間界に起ころうと起こるまいと。自然の四季のサイクルはきちんきちんと巡り来て、容易なことでは人間たちに順を乱されたりは致しません。(もし大きく乱されているとするならば、よくよく深刻な異常事態だと私たちは気がつかなければなりません。)

 (大場光太郎・記)

 (追記) 今回から当ブログカテゴリーとして『和歌・短歌観賞』を新たに加えることに致しました。万葉集の秀歌から現代の俵万智の短歌あたりまで、例によって私の独断と偏見によります、ピックアップと解釈を試みていきたいと存じます。

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