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回想の昭和34年4月10日

 現平成天皇と美智子皇后がご成婚されて、本日4月10日でちょうど満50周年です。両陛下とも病を得ながらも、昨今は快癒されご健勝なごようす、現皇室をこよなく愛する国民の一人としてまことに喜ばしく存じます。
 また現皇太子ご夫妻と御子・愛子様、秋篠宮ご夫妻と悠仁親王はじめ御3人の御子様、その他すべての御皇族方の幾久しい御栄えを心よりお祈り申し上げます。

 さてご年配の方々なら、昭和34年4月10日のご成婚パレードのもようは大変懐かしくもあり、思い出深い記憶なのではないでしょうか?あの頃は昭和31年の経済白書で「もはや戦後は終わった」と明記され、景気も上げ潮。オールディズな昭和30年代前半のことながら、戦後を四季のサイクルに例えてみると、国民誰しもが将来に限りない夢と希望が持てた「戦後日本の春の季節」。その躍動感溢れる若々しい時代の「ミッチーブーム」の頂点ともいえるご成婚は、そのシンボリックな出来事といえました。
 あの世紀の御成婚から、早や半世紀が経過したとは。月日の経つのは早いもので、まさに「光陰矢のごとし」の感を深く致します。そしてあの頃が「春の季節」ならば、バブル崩壊以後の日本社会は「冬の季節」のただ中かとも。
 
 と何やらえらそうなことを申しましても、当時私は小学校4年生に進級したばっかりの頃のこと。しかも首都・東京を東北に何100kmも離れた、山形県内陸部の片田舎町の小学児童。そんな子供の分際とて、当時の大人たちのような皇室に対する特別の思い入れがあったわけでもありません。

 まだその時分白黒テレビさえ、おらが片田舎町の一般家庭には普及していませんでした。それでも前年の昭和33年11月27日の婚約公式発表以降巻き起こった大ミッチーブームの中、当時お世話になっていた町立母子寮のスピーカーから夕方頃流れてくるラジオのニュースで知ったのか、学校の先生から聞いたのか、あるいは大人たちの噂話で知ったものか。その日皇太子様(当時)と正田美智子さんが大々的な結婚式を挙げられるということは、前もって知っていました。

 そしてお二人のそもそものなれそめは、軽井沢におけるテニスが取り持つ縁だとか、美智子さんはいわゆる皇族出身ではない正田家という普通の家庭(とはいってもやっぱり大金持ちの家)のお嬢さんであること、どこぞの名門大学を優秀な成績で卒業された超美人の上に頭も良い人らしい…というような予備知識は、子供ながらに一応知っていたと思います。

 当時は空前のミッチーブームによって、皇室報道を伝えようと現在に至る多くの週刊誌がその頃あい次いで創刊されたり、また当日のご成婚パレードの実況生中継を見ようと、テレビの売り上げが急伸し、パレード一週間前のNHK受信契約数は200万台を突破したそうです。
 当日は、沿道に53万人もの人が参集したという世紀の大パレードでした。が、私は当日のことはあまりよく覚えていません。当日は平日だったようですから、まさかそのため学校が休みになったわけでもないでしょう。おそらく、パレードの実況中継は生では見ていなかったのだと思います。しかし今日でも、何やらノスタルジックな白黒映像でのオープンカーの美智子妃のなごやかな笑顔のお姿は、しっかり目に焼きついています。しかしそれは当日生中継で観たものではなく、その後繰り返し放映された同シーンによるものだったと思われます。

 いや、待てよ。やはり「世紀のご成婚」は、国民的記念日として全国的に学校を休校にしたのかもしれません。そうすると当日は、我が母子寮の近くで唯一テレビがあった「かわら屋」という屋号の金持ちの家に近所の人が押しかけ、縁側あたりでパレードのようすを見せてもらった。そこで生で直接実況中継を観た。その可能性も捨て切れません。しかし半世紀も経過した今となっては、確かめようもありません。

 (大場光太郎・記) 

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