春だより
花満ちてしだれしあたりの神がかり (拙句)
月が替わって4月となり、日中はぽかぽか陽気が続いています。それと共に季節は一気に盛春に向いつつあるようです。この時を待っていたかのように、じれったいほど進み具合の遅かった桜の花も、きのうきょうであっという間に七、八分咲きくらいまで咲きそろいました。
当厚木市は、飯山観音が桜の名所として有名です。この週末は東京辺りからも訪れる大勢の花見客で同観音はごった返すことでしょう。
もっとも私は当地に住んでかれこれ41年ほど経ちますが、近くの名所というのは案外行かないもので、未だに桜の季節の飯山観音を訪れたことがありません。
それに何もそんな賑々(にぎにぎ)しい所までいかなくても、居住地近くの例の中津川堤防道の一本裏の通りに、見事なほどの桜並木がありますから。花見にかこつけて飲んでどんちゃん騒ぎしたいのならいざ知らず、下戸で純粋に桜、夜桜を楽しみたい私などは、その道を通るか歩くかするだけで十分桜を堪能できます。
この暖かい陽気に誘われて、桜のみならず自然万物も一斉に目覚めつつあるようです。近くの野山が萌黄色にボーっとうすけぶりして陽光に輝くさまを眺めては、『あヽ春なんだなあ』との想いを深くさせられます。
本日そんな野山のようすを眺めたのは、昼過ぎのこと。厚木市の郊外ででした。そしてまた同所でうぐいすの声を聴きました。郊外ですからそこそこ樹木もあり、その右側の木陰のどこかから「ホーホケキョ」という第一声が聞こえてきたのです。私はその声を聴いて『空耳か?』と思いました。しかしやがてまた続けて鳴き音(なきね)を聴くに及んで、うぐいすだと確信しました。
もっともうぐいすは、早春から鳴き始める鳥なのでしょう。私にとっては初音(はつね)であっても、その近辺でとうの昔から鳴いていたのかもしれません。
あらためてその付近を見渡せば、木々の萌黄若葉ばかりではなく、小さな畑の端の菜の花の黄なる色が陽光にまぶしく照り映えています。また左手の畑を囲む背の低い木立の一角には、梅とも桜とも桃とも見分けがつかない木花が、紅と白で半分に分かれた花々をいっぱいに咲かせて、これもまぶしく輝いています。
と、右手から二羽の小鳥が飛んできて、ツゥーッと畑の上を横切り花盛りのその木の一枝に止まりました。見るとどうやらつがいの鳥で、さっき鳴いていたうぐいすのようでした。
りんごの花ほころび 川面に霞たち
君なき里にも 春はしのびよりぬ
君なき里にも 春はしのびよりぬ
(ロシア民謡『カチューシャ』1番の歌詞)
こうして桜や諸花(もろばな)が咲き野山が一気に芽吹くさまは、まさしく「春は忍び寄りぬ」そのものです。「ソウルメイト」「ツインソウル」「魂の半身」としての「君」に巡り合うことなく、早や60回目の春です。私にとって「君なき里」であるこの地上に、かくてまた春は忍び寄ってきました。
(『カチューシャ』の歌詞と曲は、「二木紘三のうた物語」にあります。)
(大場光太郎・記)
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