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君なら蝶に

              折笠美秋

  ひかり野へ君なら蝶に乗れるだらう

 …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》 
 折笠美秋(おりがさ・びしゅう) 昭和9年、横須賀市生まれ。早稲田大学文学部卒業。東京新聞に勤めた。「早大俳句」「早稲田俳句」「新暦」「領事館」「俳句評論」の同人・編集にたずさわった。高柳重信に師事、行を共にしていたが、筋萎縮性側索硬化症という難病にかかり、全身不随の状態で句作を続け、感動を呼び、テレビドラマにもなった。「騎」同人。現代俳句協会賞を受賞。句集に『虎嘯記』『君なら蝶に』などがある。平成2年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

 この句をより深くご理解いただくために、筋萎縮性側索硬化症(ALS)について簡単にご説明致します。ALSとは、筋肉を動かす運動神経が死んでいくことにより、筋肉がやせて萎縮し徐々に身体を動かせなくなる難病です。そして病気の進行とともに、顔面、のど、舌の筋力が低下して言語障害を起こし、さらに呼吸筋が衰えて呼吸困難になると、気管切開をして人工呼吸器を装着すると話が出来なくなります。
 折笠美秋は、昭和56年頃このALSを発症し、ほぼ9年の闘病の末平成2年に逝去。享年55歳でした。
 今回の句を代表句とする句集『君なら蝶に』は、ALS発症後入院先で、目と口の動きから彼の言葉を夫人が読み取って編まれた句集です。当時彼の闘病ドキュメントや夫人の手記をもとにしたドラマがテレビ放映され、広く世間にALSを認知させるきっかけともなりました。

 さてこの句は、俳句という形式をとった「憧れの詩」「祈りの詩」という感を深くします。それにしても何という鮮烈な憧れ、切実な希求であることでしょう。
 重篤な難病のために、己が身をわずかに動かすことや書くこと、さらには言葉を発することすらままならず、四六時中ベットにじっと臥せっていなければならない。不自由極まりない今の我が身。その極度の不自由さがかえって、まるでいっぺんに何かがはじけ飛んでしまった結果生まれたかのような、自由飛翔の名句です。

 この句における「君」とは、難病の折笠美秋を献身的に介護し、各句の代筆までしてくれている彼の夫人を指すのでしよう。いくら長く連れ添った伴侶とはいえ、とんだ難病にとことん付き合せてしまっている妻への、贖罪(しょくざい)と感謝の想いが溢れて、この一句となって迸ったのでしょうか。
 また日々植物人間化しつつあるわが身と引き換え、かいがいしく身の回りの世話をしてくれる健常な妻を、心底自由自在な存在として感受し、思わず知らずこの句が躍り出たのかもしれません。

 しかしそれとともに、この句は折笠美秋自身の、『出来得れば私自身が蝶に乗って、ひかり野へ今すぐ飛んで行きたい』という、強い願望、希求があったのではないでしょうか?その意味で「君」とは、夫人であるとともに、彼の分身でもあるとみることも出来ると思います。

 ALSは運動神経のみが侵され、感覚神経や自律神経系は障害を受けないため、知能や意識は正常に働くのだそうです。これは想像するにかなり辛いことです。聡明な彼のこと、自身の難病がどれほどのものなのかよく自覚していたと思われます。そのため時に、この病気は「不治の病い」であること、それゆえその先に待ち受けている「死」への恐怖などに襲われ、さいなまれることがあったかもしれません。
 しかしこの句では、そのような邪念、妄念はすべて吹き払われています。並みの健常者よりも、遙かに健康的な詩精神の結実です。
 
 「蝶に乗れる」とは、とにかく凄い発想です。普段ずしりと澱んだ「重い思考生活」を送りがちな健常者にはとても思い浮かばない飛躍であり発想です。まさにこの句を詠んだ時の折笠美秋の心は、いかなる限界や制約をも受けていないかのようです。
 自分=(病める)肉体という桎梏から、みごとに解き放たれています。その時もはや、自己を客観視しているなどというレベルではなく、「悟境」のような高い境地にあったのではないだろうかと推察されます。
 
 (大場光太郎・記)

 (追記) 本記事におけるALSの記述は、天野小石著『折笠美秋論・蝶が超えた時代』というサイトをほぼそのまま使用させていただきました。なお同論文は、大変優れた折笠論、俳句論、詩論です。ご興味をお持ちの方は、是非ご一読をお勧め致します。

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コメント

大場様
はじめてメールさせていただきます。以前、二木紘三サイトの『サーカスの唄』のコメント欄に記載されていた大場様の便りに心うたれる思いをし、以来時折当サイトを閲覧させていただいています。ところで「君なら蝶に」の[折笠美秋]は男性ではないでしょうか。文面からは女性と断定されているようにうかがえます。「君」とは分身ではないかと書かれていますが、分身である妻のことなのかも知れません。連想と暗示が極度に圧縮された俳句の味わい方は自由で様々だろうと思います。味わいながらそれが自らの糧になっていくのでしょう。

2009/04/30 noguchi

投稿: 野口芳信 | 2009年4月30日 (木) 09時39分

野口芳信様
 はじめまして。と申しましても、かなり以前から当ブログご訪問いただき、大変ありがとうございます。「アクセス解析」により、貴兄のご訪問はしっかり把握させていただいておりました。そしておそらく、『うた物語』ご同好の方だろうなとも。しかし「埼玉の方」としか分からず、一体どなたかな?と常日頃思っておりました。
 この度コメントをお寄せいただき、野口芳信様と分かり、大変嬉しく存じます。それに『うた物語』の『サーカスの唄』の私の拙文に心うたれた、とのこと。あの頃は私にとりましても、『うた物語』コメントデビューの頃で、とにかく変なことは書けないと、一字一句留意して推敲を重ねながら公開したものです。私自身密かに『会心のコメント』と思っているだけに、大変嬉しく存じます。

 今回のご指摘、野口様のおっしゃるとおりでした。私は今の今まで、(略歴で引用しました、『講談社学術文庫・現代の俳句』の肖像写真から)折笠美秋は「女性」とばかり思っておりました。ご指摘により調べましたら、「男性」でしたね。大変な誤りです。拙文全体を見直さなければなりません。そうすると、貴兄ご解釈のとおり、「君」は「彼の妻」となるのかもしれませんし。
 もう一度しっかり読み直して、なるべく早く書き直したいと思います。大変ありがとうございました。
 誤りのご指摘でもご感想でも、今後とも折りにふれてコメントいただければ幸甚に存じます。
 

投稿: 大場光太郎 | 2009年4月30日 (木) 10時34分

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