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桜の名句(4)

               高屋 窓秋

    ちるさくら海あをければ海にちる

  …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
 高屋窓秋(たかや・そうしゅう) 明治43年,名古屋市生まれ。法政大学卒業。昭和初年頃より俳句を始め、水原秋桜子(しゅうおうし)に師事。昭和8年「馬酔木(あしび)」の第一期同人となる。同10年、一旦俳句から離れる。12年に再開、いわゆる新興俳句の道を歩む。戦時中は満州に在住、戦後内地に帰還後は、しばしば中断を繰り返しながらも作句に携わり、今日に至る。句集『白い夏野』『河』『石の門』その他。平成11年没。  (講談社学芸文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

 今さら何の注釈も必要ないような、極めて絵画的な落花の叙景句です。この句で描かれているのは、海のすぐ側の桜が盛りを過ぎて、花びらが海の方へ海の方へと散っている、ただそれだけです。

 海は具体的にどんなようすなのか、そこから桜の木まではどのくらいの距離なのか、そもそも桜の木はどんな状況でどんな具合に立っているのか、などということはすべて省略されています。俳句という世界一短い短詩においては、もともとそのような細かいことは叙述できないのです。ですからそれらのことについてはすべて、読み手のイマジネーションに委ねられているわけです。

 私は初めてこの句を読んだ時、海に接して切り立った崖の上に立つ桜の木がイメージされました。崖上の桜から落花花びらが止めどもなく崖下の青い海にはらはら散っている…。
 
 この句にあっては、二句目、三句目の「海あをければ海にちる」という発見が何と言っても秀逸です。そのさまはまるで、ピンク色をした落花のひとひらひとひらが、海の青さを恋い慕って寄っていくようなのです。この叙情性こそが、この句の生命線であるように思います。

 しかしこれは物理的、現実的法則には全く反した表現です。実際には、桜の花びらが海の方向に向って散っているのは、たまたま海風が凪いでいて逆に海の方に向って吹く陸風によるものに過ぎないからです。
 にも関わらず「海あをければ海にちる」は、立派な「真実」なのです。一体何の真実なのでしょう?それは「詩的真実」と言うべきものです。対して、陸の方から海へ向う風のため桜花びらは海の方に流されていただけなのだ、というのは「物理的真実」です。

 これまでこの社会で圧倒的優位を占めていたのが、物理的真実の方でした。この世では、この物理的真実による物事の捉え方が各分野で要求されてきたのであり、一方の詩的真実の方はそのためともすれば軽んじられ、時に異端視され、侮蔑、嘲笑されてきました。詩人、音楽家、画家といった特殊な人々によってのみ、辛うじて命脈を保ってきたのです。

 考えてもみてください。通常の経済活動におけるビジネスの真っ最中に「海あをければ海にちる」式のことを口走ろうものならどうなるかを。いっぺんで商談はご破算、そして言った当人は以後変人、狂人扱いされ、たちまち経済活動からスポイルされてしまうことでしょう。

 しかし今、多くの人々にとって生きる上での至上命題だった経済活動が、この未曾有の金融危機の中で瀕死の状態です。これは一体何を意味するのでしょう?「物理的真実」のみを追い求めて突っ走ると、必ずのっぴきならない大きな壁、限界にぶち当たるということなのではないでしょうか?かといって「詩的真実」追及オンリーだけでも、どんどん現実から遊離した、根無し草のような耽美的傾向に向うであろうことは明らかです。

 私たちは今、「物理的真実」と「詩的真実」とを絶妙にバランスさせながら生きる方途を、求められているのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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コメント

 遅咲きだった今年の桜も、さすがにすっかり散りぎみで、残された桜の木はもう葉桜の粧いです。(神奈川県県央地区基準)
 これは毎年のことですが、こうなってから『あゝ満開の桜をもっとしっかり見ておけばよかったなあ』と思ってしまいます。私などは人様に比べてずい分「ユックリズム」の方で、その分近くの自然を探しながら歩くことも多いのです。が、その私でさえ基本的には「自然ならざる何物か」に急かされている気分がいつも付きまとうのです。
 「来年こそはもっとしっかり」。とは言ってはみても、さてどうなるものでしょうか?

投稿: 時遊人 | 2012年4月18日 (水) 01時05分

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