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ある夜の呼び声(2)

 その声は背後から、聞き逃すことが出来ないほどはっきりと響き渡りました。
 ただ一言。「お前のこの世での使命は何だ ! 」。
 しかし真夜中の道、もちろん私以外に歩いている者は誰もいるはずがありません。つまりその声は、背後から聞こえてきたものの、私の「内なる声」だったわけです。

 今となってはその声を聞いて、その時どんな反応をしたのか、まるで覚えていません。あまりの事態にただ茫然自失だったのかもしれません。
 しかしそれは、私に徐々に深いところから影響を及ぼしていったもののようです。声の出処など分からないとしても、わざわざ「この世での使命は何だ ! 」という呼び声があったということは、今まで使命に則った生き方をしてこなかった、あるいはそういう生き方とはほど遠かったということに他ならないわけですから。
 それとともにその声は、首都圏に生きる無数の人たちの中の一平凡人にすぎないこの私にも、『そうか。何らかの使命があるのか ! 』という勇気も与えてくれました。

 この出来事をきっかけに、生まれて初めて「神」とまともに向き合ってみようという意識が芽生えました。翌週日曜日は仕事も休みだったので、本厚木駅前の有隣堂書店に行きました。そして、各種専門書が置いてある地下売り場に降りて行ったのです。目指すは滅多に足を向けたことのない宗教コーナー、それもキリスト教関係の本が並んでいる書棚です。
 聖書をじっくり選んでいました。その結果旧約、新約合冊本は分厚いから止めにして、巻末に(旧約の)詩篇つきの口語訳新約聖書を買い求めました。
 こうして33歳にして、生まれて初めて聖書を読み始めました。『マタイによる福音書』中の「山上の垂訓」では、本を読んであんなに涙がとめどなく流れたことがないほどだったことは、昨年の『空の鳥、野の花(1)』で述べたとおりです。

 最初に選んだのが、なぜキリスト教の聖書だったのか?これには伏線がありました。
 本記事(1)で少しふれた「少女」の影響があったからと思われるのです。彼女は当時17歳になったばかり。前年の秋口頃、私が所属していた会社の同じ課にアルバイトとしてやってきました。その後某官庁発注の、土木構造物における「地盤改良」「耐震構造」の過去の主要文献調査の仕事で同じチームになりました。
 7階にある同社の資料室で二人っきりで調べものをしたり、1キロほど先の早稲田大学理工学部の図書館に一緒に行ったり…。お姉さんと共に長崎から上京してきて、間もないようでした。変に都会ズレしていない純真な彼女にいつしか惹かれていき、次第に『キュートな娘(こ)だ』と思うようになっていきました。

 長崎は原爆投下の爆心地付近に、有名な浦上天主堂があったことから分かるとおり、昔からキリスト教(カトリック)が盛んな土地柄です。後に雑談から分かったことは、彼女の家庭もキリスト教だったらしく、たまに私の方からキリスト教関連の質問をしたりしました。こうしてキリスト教への関心が徐々に芽生え、その上別れによる喪失感も重なって…。
 本記事とは関係ありませんので、彼女との詳しいいきさつはこれ以上述べません。出会いから別れまで、たった5カ月という短い期間でした。しかし私の半生の中で「忘れ得ぬ人々」の一人であったことは間違いありません。なお「二木紘三のうた物語」の『なごり雪』の短文コメントは、彼女について述べたものです。

 ―その呼び声は、ただ「お前のこの世での使命は何だ ! 」という問いかけだけなのです。具体的に「お前の使命は、かくかくしかじかだから、こういう道に進みなさい」と具体的に教えられれば、ずっとたやすかったはずです。しかし何か方向性が示されるかな?といくら待ってみても、後はうんともすんともありませんでした。
 今考えると、人間何でも一々見えざるガイド(守護霊、守護神)やハイアーセルフ(高次の自己)の指示にばかり頼っていると、いつまでも真の自立が出来ない。それゆえ「使命とは何か」は自分で探求して自分で答えを見つけよ。ずいぶん遠回りのようでいて実はそれが一番確かな道なのだ、ということだったのかもしれません。

 ともかく私は、その深夜の呼び声から1、2ヶ月後都内の同社を辞し、以後地元を中心に職を転々とし、苦しい職業生活、日常生活を送りながら、密かに求道者の道を生きることになったのでした。   (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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