毎朝世界は新しく創られる
作詩者不詳
毎日が新しきはじまりである。
毎朝、毎朝世界は新しく創られる。
悲しみと罪の重荷に打ちひしがれしあなたよ、
此処(ここ)にあなたにとっての美しい希望がある。
過去にありし全ての事物は過去であり、
すでに終わったのである。
仕事は終わったし、涙はすでに流されたのである。
昨日(きのう)の過ちは、昨日にて終わらしめよ。
血を流して、うずいた昨日の傷は、
夜のうちに注がれた神の癒しの力で癒されたのだ。
毎日毎日が新たなるはじまりである。
聴け、我が魂よ、歓びの今日(きょう)の讃歌を。
古き悲しみと過去の罪のけがれと、
及び未来に予想される苦しみを払いのけ、
今日を勇気をもって起き上がり、再びはじめようではないか。
…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の観賞ノート》
作詩者不詳です。おそらく、19世紀後半から20世紀前半頃の米国の誰かの詩と思われます。また訳詩者も不明です。よって著作権は発生していませんので、今回ご紹介することにしました。
この詩を知ったのは、20数年前のことです。当時30代前半だった私は、一時期ナポレオン・ヒルの『成功哲学』やジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する』のような分野の本を集中的に読んでみたことがあります。(私の心の奥底には、「成功」の足を引っ張るネガティヴなものがけっこう潜んでいたようで、思うような実際的成果は得られませんでした。しかしさすがに、心を鼓舞され大いに刺激を受けたことは間違いありません。)
当時我が国でも、謝世輝という台湾出身の東海大学教授が、米国式成功哲学を土台に独自の理論も盛り込んだ本を次々に出版し、ちょっとしたブームになっていました。今となっては忘れましたが、謝世輝の何れかの本の中でこの詩が紹介されていたのです。
*
今の季節は春たけなわ、ゴールデンウィークの真っ只中です。一見すると、去年と同じ春を今年もまた繰返しているかのようです。しかし実は、去年の春と今年の春は違うのです。なぜなのでしょう?地球は、去年の今頃と同じ時空にはいないからです。
どなたもご存知のとおり、地球は太陽の周りを1年365日かけて公転しています。しかし実は太陽系全体も、「ある星(中心恒星)」を約26,000年かけて大公転しているのです。そしてその中心星も太陽系も共に約2億2,500万年かけて、銀河系の中心太陽(セントラルサン)を超大公転しています。それだけではありません。私たちが属する銀河系自体がさらに他の無数の銀河と共に、「この宇宙」の大中心太陽(グレートセントラルサン)を、数十億年かけて超々大公転しているのです。
「上のごとく下もかく有り」とは、神秘学探求者にとっては古来から知られた有名な定理です。このように、宇宙全体のありとあらゆるものが、時空間を絶えず旋回しながら、よりよい変化のための螺旋(らせん)上昇運動をたゆむことなく続けているのです。
地球が巨大な「ガイア意識」であるのと同じ原理で、宇宙全体が超巨大な「生命体」です。私たちが属しているのは、「死せる宇宙」ではなく、瞬々に脈動し呼吸し生成発展している「生ける宇宙」なのです。
ここまで想いを致せば、なぜ「毎日世界は新しく創られる」のか、より深い理解が得られるのではないでしょうか?毎日毎瞬、世界はまさに新たに生まれ変わり更新し続けているのです。それゆえどの一日もどの瞬間も、いい加減に手抜きして惰性で過ごしてよい時間というものはないと思われます。
まさに、「過去の後悔に生きず。未来の不安に生きず」。人生の真の達人がそうであるように、私たちもまた「永遠の中今(なかいま)」である「今この時」にピタッと照準を合わせて、真に実りある日々刻々を生きるべく心がけてゆきたいものです。
(大場光太郎・記)
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コメント
今回再掲載したこの記事などもそうでずが、以前の記事をたまに読み返してみてハッとさせられることがあります。『昔の方がいいこと書いていたんじゃないか?』と、反省させられるのです。
投稿: 時遊人 | 2014年1月 4日 (土) 14時51分