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初夏だより

  はつなつの街白々(しらじら)と輝きて   (拙句)

 風雨ともに激しかったきのうとはうって変わって。きょう17日は、朝からすっきりした晴天に恵まれました。気温もぐんぐん上昇し、家の中にいても外に出てもとにかくすぐに汗ばむほど。体感では「夏日」の目安である25℃などとうに通り越して、「真夏日」である30℃に限りなく迫っていそうな勢い。
 そうすると、きのう雨と激しい突風が吹き荒れたのは、季節の変わり目を示すものだったのでしょうか。惜春の想いを大いに残しながらも、『あヽもう夏だなあ』と実感させられた一日でした。

 当市の郊外にある現居住地の家々などの緑はそこそこ豊かです。
 私の持論では「都市の中に点々と緑がある」のではなく、「溢れかえる緑の中に都市がある」のを理想的都市像とします。それからすればまだまだです。が、ニューヨークはマンハッタンの通りのように林立しているのは高い硬質なビル群のみ、木は一本もなし、という状況でない分だけはるかに救われる気分です。

 街並みの木々の緑葉は、いつしか若葉から青葉へと緑の深さを増していきつつあるようです。その分先月は溢れかえるようだった花々の姿はあまり見かけられません。菜の花や連翹(れんぎょう)などのまぶしいくらいの黄色も、道の辺のタンポポも、藤の花もクレマチスも。厚木市の市の花・さつきも今ではすっかりくたれ気味。いつしか、皆ことごとく影をひそめてしまいました。
 そんな中たまにとある家の垣に、バラが今を盛りと咲き誇っているのを目にします。その真紅の鮮やかな色にはハッとさせられます。バラは夏の季語ですから、そんなところにも「今はもう初夏」という徴(しる)しが読み取れそうです。

 午後3時頃お隣の伊勢原市に行きました。例の市内に向う手前の両側田園の道で、正面に眺められる大山と丹沢連峰は、うすく煙ったように霞んでおりました。そのさまは、さながらうららかな春の午後といった感じをとどめていました。

 ある程度予想されたように、新型インフルエンザの国内侵入を水際でくい止めることは出来ず、ついに国内での感染が拡大しているようです。
 『それで街の人のようすは?』と気になってそれとなく、バスの中や通りを行く人々を見てしまいます。外でもない、どれほどの人がマスクをしているかと。しかしこれが意外と少ないのです。そして『あヽ今はまだそれほどマスコミ報道に影響されていないな』と思って安心するのです。
 通り中を、人という人が今流行(はや)りの尖がって白い鴉(からす)のようなマスク姿で、ぞろぞろぞろぞろと…。そんな光景は想像するだに不気味ではないでしょうか?ネガティヴな黙示録的光景のようで、ぞっとします。(なお『黙示録の真義』とは、極めてポジティヴなものです。)

 そのようなマスク姿というものは、「私は花粉症や新型ウィルスというものに、無抵抗な弱い人間なんです」という表明のようです。またそれは同時に、通りを行き交う「他人は皆病原菌の持ち主かもしれない」という疑念それゆえの防御の姿勢でもあり、他人への拒絶姿勢でもあるように思われます。
 いざとなったらせざるを得ないとしても、いざとならないことを祈りつつ、私自身はなるべくぎりぎりまでマスクはしない方針です。「本当の私」はそんな弱い人間ではないはずですし、他人を拒絶も防御もなるべくしたくありませんから。

   みどりのそよ風 いい日だね
   ちょうちょもひらひら 豆の花
   なないろ畑に いもうとの
   つまみ菜つむ手が かわいいな

     (童謡『みどりのそよ風』1番)

 きのうの夕方のもの皆を揺り動かすかのような、凄まじい突風から一転して。きょうのそよ風の何と心地よいこと ! 去年も同じ頃『みどりのそよ風』を記事にしましたが、今のこの季節は本当に「みどりのそよ風」そのままの爽やかな季節です。
 夜は夜で、やはり去年記事の『水田そして田植え』の同じ田んぼに早や満々と水が張られ、ゲロゲロゲロゲロと夜蛙が鳴いていました。

 (童謡『みどりのそよ風』の詞と曲は、「二木紘三のうた物語」にあります。)

 (大場光太郎・記)

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