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憲法記念日に思うこと

 戦争か平和か

 きょう5月3日は「憲法記念日」です。これは、終戦翌年の昭和21年(1946年)11月3日新しい日本国憲法が発布され、翌昭和22年(1947年)5月3日施行されたことを記念して制定された、国民の祝日です。
 以来今年で62年になります。戦後日本にとってのこの長い歳月の中で、既にご存知のとおりその時々で激しい憲法論議が交わされてきました。そして近年改憲論議が特に盛んに問題になっています。

 それは例えば、8年前の9・11に端を発した、当時の米国ブッシュ政権「対テロ戦争」などから、世界に冠たる大国になった我が国の国際社会への真の貢献のあり方というような観点から論じられてきました。1990年代前半の湾岸戦争の時我が国は莫大な戦費を拠出した。けれども、国際的にはあまり評価されなかった。だから9・11以後のアフガン戦争、イラク戦争では、米国政府の「Show the flag」「Show the boots」の要求どおり、遙かインド洋や中東の地まで自衛隊を派遣させることになったわけです。
 
 しかし小泉政権下でそれを決定した際、与野党間で侃々諤々の憲法論議となりました。最終的には、苦しまぎれに国連決議の際どい条項を持ち出して、詭弁のような形で自衛隊派遣が決定、実行されました。
 その苦い教訓から、特に自民党の国会議員が中心になって考えたことには、結局は現憲法第9条がいつも引っかかる、ならばいっそのことこの際第9条も含めて、現憲法自体を根本から見直そうではないか、必要ならば改憲しようではないか、という流れになって今日に至っているようです。

日本国憲法 第2章 戦争の放棄
第9条〔戦争の放棄、戦力、交戦権の否認〕
①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この改憲論議には、最初に発議した自民党や一部の民主党議員ら国会議員のみならず、憲法学者やジャーナリスト、大新聞の論説委員、テレビのニュースキャスターの中にも、「改憲やむなし」とする意見を持つ者が少なからずいるようです。
 各界のリーダー的人々の上記の見解、そして特にどちらかというとマスコミの「改憲ありき報道」により、今や国民の世論調査でも半数前後が「改憲すべし」という考えに傾いているようです。

 しかしここで、改憲を強力に推進している各界リーダーたちの顔ぶれを見てみましょう。例えば政界では、安倍元首相や中川(ヘベレケ)元財務相のように、ほとんどが先の戦争を体験していない、戦後生まれのリーダーたちです。(もっとも今日では、直接戦争を体験した方々は、70代後半より上とかなり高齢化されています。)
 この人たちが(私はそうは思いませんが)いかに優秀だとしても、彼らは「戦争がいかに悲惨であるか」体験として分かっていません。「体験こそ最高の教師なり」という名言がありますが、彼らの主張はしょせん実際体験を欠いた観念論にしか過ぎないのです。
 かかる改憲論者たちがその理由として決まって、「現憲法はアメリカから押しつけられたものだ。だから今こそ真の独立国として、自前の憲法を制定すべきなのだ」と言います。最もな理屈のように思われます。
 
 だがしかし、これは事実に反しています。今から3、4年ほど前の憲法記念日に、故・筑紫哲也のTBS報道番組「ニュース23」で、決してそうではなかったことを総力取材的に特集していました。
 同特集によりますと、GHQ(米国占領軍)の新憲法制定指令に基づき、最初に新憲法草案に着手したのは、憲法学者ら我が国のメンバーでした。そして彼らが一通りまとめてGHQに提出した憲法草案の中に、後に第9条として結実することになる「戦争の放棄」の条文が盛り込まれていたというのです。改憲論者たちの「押し付け憲法論」は間違いなのです。
 
 思うに当時憲法草案に携わった人たちは、戦争というものがいかに悲惨さしかもたらされないか、骨身に沁みて分かったに違いありません。国土の多くは焦土と化すは、戦闘員・非戦闘員含めて国民3千万人以上は亡くなるは、挙句の果ては広島・長崎に原爆投下されて地獄的状況が現出するは…。いえ何も、憲法草案のメンバーばかりではありません。当時の国民全部が、「もう二度とあんな悲惨な戦争はごめんだ」と心底思ったことでしょう。
 だから草案における「戦争の放棄」は、国民全部の民意の反映だったに違いないのです。

 しかし今日、世界に誇れる「平和憲法」がなし崩し的に変えられようとしています。「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」はずなのが、我が国国軍(という名称になるのでしょう)はそれこそ地球の裏側にまで行って、武力の行使が可能な「普通の国」になりかねない瀬戸際です。
 なにせインド洋、アラビア湾、イラク国内そしてソマリア沖…。既成事実の積み上げによって、第9条の外堀は着実に埋められつつあるのですから。

 次に改憲論者たちが持ち出すのは、先に触れたように「国際貢献上軍隊の派遣が必要だから」という主張です。しかしこれだって、屁理屈です。
 前ブッシュ政権の「対テロ戦争」の呼びかけは、9・11直後なら説得力をもって各国が支持しました。しかし今では大義など全くなかったと分かったイラク戦争以降、急速に各国の支持を失っています。アメリカ自体が、イラクからの撤兵を検討せざるを得ない状況です。
 ことほどさように、国際情勢は刻々変化していくものです。以前は戦争が声高に叫ばれても、状況の変化によって世界の趨勢は「平和指向」に180度変わり得るのです。憲法という国の根本法を、時々の国際情勢の変化に引っ張られてくるくる変えてはなりません。

 それに実は、「戦争指向」は20世紀的遺物なのです。今や未来へと続く世界潮流の底流は、(表面的地事象ではそうは見えなくても)「平和指向」なのです。
 「9・11のドエライ真実」を隠し続けた前ブッシュ政権にみられるような、有史以来人類を不幸に陥れてきた「世界統制チーム(人類史の奥の院)」は後数年以内には、間違いなく地球から去っていきます。我が国の改憲論者たちよ。なのにあなた方は、そんなものに未だに付き従うおつもりか ! このような未熟なリーダーたちに道を誤らせないためにも、今こそ私たち国民がしっかり真実に目覚めなければなりません。

 (追記) 今回は現憲法のうち、特に問題となる「第9条」に絞って拙論を述べてみました。そもそも憲法論議は、こんな小論ではとても述べきれるものではありません。
 最近は改憲論議に煽られて、現憲法がすっかりなおざりにされている感を深く致します。皆様どうか国民の責務として、憲法記念日くらいは現憲法に関心を持たれ、出来ればその条文全文を通読していただきたいと存じます。そしてテレビに出ていた誰かの受け売りではない、各自しっかりした「改憲是か非か論」を持っていただきたいものです。
 (なお私は、現憲法が時代にそぐわないと言うのであれば、「環境権」「プライバシー保護権」条文の追加などの最小限の改正に止めるべきと考えます。)

 (大場光太郎・記)

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