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ある夜の呼び声(3)

 ところで私はただひたすら、キリスト教のみに没頭していたわけではありません。子供の時から関心があっちこっちに飛びやすく、予めカリキュラム化された学校の勉強が大嫌いだった私のクセがここでも出ました。
 宗教書コーナーのすぐ近くには、当時ブームになっていた「精神世界コーナー」がありました。(今でいうスピリチュアルブームの先駆的現象といったところだったでしょうか。)私は自然とそちらにも惹きつけられていったのです。
 
 そのコーナーには、ポルトガルのファティマをはじめ世界各地に出現しているという聖母マリアのメッセージ、ノストラダムスの予言、心霊現象、超常現象、UFO現象、日本霊学、超古代文明関連、世界的秘密結社情報など、多くの批評家から「トンデモ本の類い」と一笑されかねない本が、玉石混交所狭しと並べられていました。
 「神」という無限の存在に少しでも近づき、私自身の「使命」の何たるかを知るには、それらにも目を通さなければと思ったものなのか。それとも、昨年の『私の不思議体験(1)』で述べましたとおり、幼少から不思議なことや神秘的な現象に共鳴しやすい体質だったからなのか。私はそれらにあまり抵抗なく(でもさすがに、最初の2、3冊を買う時はドキドキしました)、未知の神秘ゾーンに踏み込むようなワクワク感さえありました。

 しかし今思うに、最初にキリスト教を研究したのは正解でした。現世界システムの根底にあるのは、仏教でもイスラム教でも他の何教でもなく、キリスト教だからです。近現代世界の強力な推進力であった「西洋近代原理」にすら、キリスト教は色濃く影響を止めています。
 より深い世界理解のために、キリスト教の最低限の知識は欠かすことが出来ないのです。

 当初から何となく漠然とながら、この世界あるいは見えざる世界に共通して貫く「途方もなく大きな構図」のようなものがあるはずだという予感がありました。
 それがどれだけ把握出来るかは実は、私自身の「神との距離感」にありました。最初の頃、私にとって「神」はおよそ掴み所のない途方もなく遠い存在でした。(お断りしておきますが、今日の私にとっての「神」とはキリスト教的な「一神教の神」のことではありません。)
 しかし玉石混交数多ある類書を片っ端から読み込んでいくことにより、次第に玉と石ころの区別がつき始め、「神」は微笑みながら一歩ずつこの私に近づいてくれるようでした。それとともに、それまで分からなかった超巨大な構図が、まるでジグソーパズルをはめ込むように徐々に鮮明になってきたのです。
 そのためには、紀伊国屋書店や神田の三省堂書店に足しげく通って優れた霊的書物を探したり、TM超越瞑想、ヨガ教室、大本教系の勉強会など、各種セミナーに機会があれば参加したりしました。

 当時の精神世界ブームそして今日のスピリチュアルブームには、共通して大きなテーマがあるように思います。それはどうやら、大方の人が未だに信じ込んだいるように、現歴史は孫末代までこのまま続くようなものではないということです。(今では具体的な日にちまで分かっているつもりですが)近未来に何か途方もない超変化がこの世界に訪れ、この世界と人類全体が飛躍的に進化させられるのではないだろうか?という可能性です。
 世間一般はあまり関心を示しませんが、今日まで刊行されてきた夥しいスピリチュアルな書籍も、各種セミナーも、「前もってその時に備えよ」という、高次元世界からのプログラムの一環であるように思われるのです。
 だから「私の使命」とは、何かしらそれに関わることなのではないだろうか?とごく初めの段階でおぼろげながら感じておりました。

 話は変わって―。「お前のこの世での使命は何だ ! 」という全く同じ呼び声を聞いた人物が、私以外にあと一人いたのです。誰だと思います?意外な有名人です。「1・2・3ダァーッ」や「闘魂ビンタ」でおなじみのアントニオ猪木です。
 アントニオ猪木はご存知のとおり、1989年の参議院選挙で「スポーツ平和党」を結党し、自ら立候補しました。たまたま聞いた彼の政見放送で分かったのです。同放送の終わりの方で、何と驚いたことに猪木は、私とほぼ同じような状況で背後からの声を聞いたことを身振り手振りで示したのです。「その出来事によって、今回の参院選に立候補したのです」というようなことも話していました。確実ではないものの、聞いた時期も私と同時期くらいのようでした。

 アントニオ猪木は同選挙で100万票弱くらいの得票数で当選し、1期6年間参議院議員を務めました。またその後の活躍は広く世間に知られるところです。「同じ声を聞きながら何たる彼我の差よ」といったところですが、これは個人的力量のしからしむところであり、いかんともしがたいものがあります。
 しかし2人がその声を聞いたということは、あの時もっと多くの人が聞いた可能性があります。ただそのような体験は、私自身今回初めて公開するように、通常の話題にはなりにくいものがあり表に出なかっただけなのかもしれません。
 それとも、私とアントニオ猪木とでは個性も生き方も人間的力量もまるで違うものの、同じ「魂やモナド」に属しているのでしょうか?あの呼び声は、私たちを統括する「オーバーソウル」からの何十人,何百人かのソウルメイト、モナドメイトへの「緊急招命(コーリング)」のようなものだったということでしょうか?

 あの夜の呼び声から、早や27年の歳月が経過しました。時折りその声が思い出されては、その時点での自分の立ち位置が今どの辺なのかを確認してきました。そしてそれだけの長い歳月、ただの一日も欠かすことなく「真理探究」をし続けてきたつもりです。
 とっくに「神我一体の境地」に達して、世間的に誰の目にも明らかなほどの輝かしい使命を果たしてしかるべきはずです。
 しかし「日暮れて道なお遠し」が、偽らざる実感です。この数千年間に埋め込まれた、人間個々の「制限と限界の意識」がいかに強固なものであるかを思い知らされます。

 それはそれとして。今の私は、使命とは何も大げさなものでなくてもいいと思っています。その時点で出来ることを、一歩一歩着実に。例えば、ささやかながら当ブログを運営していることも、そしてこのような情報を発信していることも「使命の一つなのかな?」と思う、きょうこの頃です。   ―  完  ―

 (大場光太郎・記)

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