こどもの日に思うこと
春の夕もういいかあいまあだだよ (拙句)
きょう5月5日こどもの日はあいにくの雨となりました。朝から全天を覆ううす曇り。ご存知のとおり、11月3日の文化の日は「晴れの特異日」として知られています。私の中では、『確かこどもの日も晴れが多かったよなあ』という記憶なのです。
実際どうだったのかは知りません。これは『こどもの日はすっきり晴れてもらいたい』という、私だけの願望なのかも知れません。(なおこどもの日のきょうはまた、去年に引き続き「立夏-暦の上の夏の始まり」でもあります。)
朝のうす曇りは、晴れに向うのかそれとももっとぐずついて雨になるのか、どちらとも判断しかねる微妙な空模様でした。結果として、午前8時過ぎパラパラと小雨が落ちてきました。もうその時点で、『あヽダメだ』と分かりました。
小雨は一旦上がったものの、午前10時過ぎ頃から今度は本式の雨が降り出し、そのまま終日止むことのない本降りとなりました。
先月の記事『送元二使安西(王維)』の詩の中の
渭城の朝雨軽塵をうるおす
客舎青青柳色新たなり
が思い出されるような、久しぶりの雨となりました。我が居住地近辺にたまに見られる柳若葉はもとより、街中に溢れる諸木(もろき)の若葉若葉も雨に洗われて、にわかにみずみずしい緑で迫ってきます。普段見慣れた街並みが叙情性を帯びて感じられます。
*
でもやっぱりこどもの日は、鯉のぼりが翩翻(へんぽん)と泳ぐすっきりした五月晴れであってほしいものです。というのも雨の日とあって、街の通りにこの日の主役である子供たちの姿があまり見かけられないからなのです。
しかし考えてみますと、普段のよく晴れた日でも、外で子供が遊んでいる姿を見かけることが少なくなりました。大勢の子供を見かけるとしたらせいぜい、朝と夕方の登下校時だけです。登下校児童を狙った凶悪事件の多発によって、学校が定めた通学ルートを集団で固まって一直線に―といった感じです。そして通学ルートの要所要所には、年配のボランティアの誘導員や母親たちが立って見送ったり、帰りを待っていたりします。のっぴきならない当世事情とはいえ、『子供のうちから型にはめられて、可哀そうに』
「昭和30年代前半の子供」だった私などは、『何という世の中なんだ ! 』と思ってしまいます。登校時はさておき、下校時には各自テンデンバラバラ、互いに何人かの気の合った友だちとペチャクチャおしゃべりしたり、帰路とはまったく別の道に逸れて道草したり、途中友だちの家に上がり込んだり…。とっぷりと日が暮れてから我が家に帰っても、親も誰も何とも言わなかったし、第一それで全校生徒が何かの事件に巻き込まれることなどただの一度もありませんでした。
そしてそうした寄り道、回り道、道草の積み重ねが、学校の授業では教われない、世の中をのぞき知る格好の課外授業のようなものだったのではないだろうか―と、山形の片田舎町のあの夕焼け空を思い出しながら、つくづくそう思うのです。
しかし我が郷里の町も、当時とはまるで様変わりしています。何年か前、亡母の年忌の折り帰省し、法要を終えてから懐かしの我が宮内町をレンタカーでグルッと一巡してみたことがあります。結果驚きました。街の中に、人影がほとんど見かけられないのです。
もちろん道を歩いていたり、通りで遊びまわっている子供など皆無です。『これじゃあまるでゴーストタウンじゃないか』。子供の頃の思い出を呼び覚まそうという試みはもろくも崩れ、郷里の町の今の姿に愕然とさせられたのでした。
*
冒頭の句は、今から10年ほど前のとある春の夕暮れ時、たまたま現住居の中にいて、外から「もういいかーい ! 」「まあだだよー ! 」という元気な男の子、女の子の声が聞こえてきました。昔ながらのかくれんぼに夢中なようです。その間10分ほど。
『あヽ子供たちは元気でいいなあ。何の思い煩いもなく、ああやって遊べるとは羨ましい』。そんなことを思いながら、私の中の「インナーチャイルド」が、外の子供たちの声と響き合って生まれた句です。
(大場光太郎・記)
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